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2011年8月28日 ゴスペル・ミニコンサート

今回はいつもより大分長い1時間50分近くのオーディオで、ゴスペル・ミニコンサートの様子を聴いていただけます。賛美ゲストの横山大輔さんの賛美やゲストスピーカーの長谷川 与志充先生のお話も含まれていますので是非お楽しみください。

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2011年8月21日 『フルサイズの人生』を生きる

説教あらすじ 「『フルサイズの人生』を生きる」 (21/08/2011) ◎[ヨハネ5:19-30] *ほとんどの人は『フルサイズの人生』を生きていない。それはなぜか? ◆人の行動の主要な動機   ①「願望(~したい)」  ②「義務感(~しなければならない)」  ③「使命感〔価値観〕(~すべき)」     ・『フルサイズの人生』のためには、①②③が揃わなければならない。それを可能にするのが『愛の関係』。 ◆イエスは、私たちに『フルサイズの人生』を送らせるために来られた。[ヨハネ10:10]    ・だからこそ、イエスは私たちに、最高の教えとして「愛の律法 [ヨハネ15:12]」を与えられた。それ故、私たちが     『フルサイズの人生』を生きるためには、まずこの「愛の関係」を人々との間に築く術を知らなければならない。 ◆イエスと御父との関係はどうだったのか?[19節]    ・イエスは本当に「自分からは何もできな」かったのか? 決してそんなことはない。      では、なぜこのような発言をしたのか? ➝ 御父との「完全な愛の関係」の故に、そう決めていた。    ・御父もイエスに対する完全な愛と信頼の故に、そのみこころを余すところなく示した。[20節]      そして御父は今日、私たちとも同様の関係を築くことを求めておられる。[例:創世記18章17節] ◆イエスの御父に対する信頼の根拠は?    ①御父は良い父だと知っていたから。[21節]   ②御父は『気分屋』ではないと知っていたから。[22節] ◆[25節] 『死人』とは? = 「まことの命の源」である父なる神とつながっていない人。 ★イエスの宣言[24節]と 2つの質問:   ・神との関係を回復し、「人々との愛の関係」を基盤とした『フルサイズの人生』を生きたいですか?   ・神に「彼にはこのことを秘密にしてはおけない!」と言われるような者になりたいですか? Outline of the sermon “Living our lives Read more…

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2011年8月14日 ありがちな勘違い

説教あらすじ「ありがちな勘違い」(14/08/2011) ◎[ヨハネ5:8-18] *この箇所から、私たちの信仰生活に起こりがちな「3つの勘違い」を見てみよう。  ①「安息日を守らなければならない」[10節]   ・この教えのルーツは、モーセの十戒 [出エジプト記20:8-11] また天地創造のわざ[創世記2:1-3]  ◆本来『安息日』は「万物の完成を祝う日」であり、また「神が、人との交わりを楽しむ日」  ②「律法は絶対である」     ・律法それ自体は正しく良いものだが、それよりも重要なのは、それを定めた神ご自身。[ローマ1:25]  ③「『神の教え』に従わなければならない」     ・ユダヤ人たちは「神の教え」を良く研究・分析したが、その根底にある「神の心」を理解しなかった。       一方イエスはいつも「みこころ」を知り、それを行うことに関心があった。[ヨハネ4:34]    *どうやって「神の心」を理解できる?― 信じた者に与えられる『御霊』によって。[Ⅰコリント2:11, 14-16]      神が私たちに聖霊をお与えになるのは、偉大なわざを行わせるためではなく神の心を理解させるため。 ◆[ガラテヤ5:16-18] 肉=生まれながらの性質(自分の力で神を喜ばせたい!)  *神は既にあなたを100%喜んでいる。彼の願いはその喜びを私たちと共有すること。[ヨハネ15:11] ★今日も神は私たちを招く。「わたしはあなたに『わたしの霊』すなわち『キリストの心』を与えた。キリストがわたしと心を1つにして歩んだように、あなたもわたしと心を合わせて、共に歩もうではないか。」 考えてみましょう   ・私たちの信仰生活に起こりがちな勘違いとは、どのようなものですか?  ・神が私たちに願っておられることは、どんなことですか? そのために私たちはどんなことができますか?  Outline of the sermon “Frequent misunderstandings.” (14/08/2011) ◎[ Read more…

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2011年8月7日 『神のみわざ』のプロセス

説教あらすじ「『神のみわざ』のプロセス」(07/08/2010) ◎[ヨハネ5:1-9] *これは単なる「1人の病人が癒された」というだけの話ではない。 ◆イエスは目的を持ってこの回廊を歩いていた。   ・イエスは人々の「目に見える症状」だけではなく、「魂の癒しの必要」を捜しながら歩いていた。 ◆「よくなりたいか?」[6節]   ・普通は病人にこんなことは尋ねない。しかしこの病人にはそれを再び想起させる必要があった。   ・この病人には、もう1つの病(他者依存)があった。[7節] ◆「起きて、床を取り上げて歩きなさい!」[8節]   ・この言葉には次のような意図がある。      「あなたの人生を、他者に支配させてはならない。わたしの言葉に耳を傾けなさい。」   ・この病人はイエスの言葉を心の耳をもって聞き、それに従い、そして癒された。 ◆「神のわざ」のプロセス ◎目に見えるわざを行う前に、神はまず私たちの内側をご自身のみことばによって整える。[ピリピ2:13]     ・そのみことばによって、そのみこころに従って「志を立てさせ」「事を行わせる」。     ・「肉体の健康」よりも「魂の健康」の方が重要である。 ◆最も重要なこと  ・それは「まず静まって『神のことば(語りかけ)』に心の耳を傾けること。 ★神には「どうしてもあなたと一緒にやりたいこと」があるのです! 考えてみましょう ・イエスはこの病人に何と語りかけましたか? またそのことばにはどういう意味がありますか? ・あなたは日々イエスのことばに耳を傾けていますか? もし、いないなら、それはどうしてなのでしょう? Outline of the sermon “Procedure of ‘God’s Work’” (07/08/2010) ◎[John Read more…

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2011年7月24日 しるしは、『原因』か?『結果』か?

(今回はオーディオがありませんのであしからず。) 説教あらすじ 「しるしは、『原因』か?『結果』か?」 (24/07/2011) ◎[ヨハネ4:43-54] *物事には『原因』がつきもの。その『原因』を無視して『結果』だけを追いかけるのは愚か。 ◆ [43-45節]  イエスはサマリヤから、故郷のガリラヤへ行かれた。    ・44節と45節のつながりがおかしい。これは、故郷の人々がイエスを「歓迎した理由」に原因がある。それは、 「イエスがエルサレムで行っていたしるしを見たい!」という好奇心。イエスは「しるしを求めてご自身に近づく 者」を喜ばない。 ➝ [ヨハネ2:23-24] 大切なポイント:イエスの行う『しるし(力あるわざ)』は、私たちの信仰にとって『原因』なのか『結果』なのか?    ①もし、しるしが、私たちの信仰を呼び起こす『原因』であるなら、私たちは終始「しるし(わざ)」ばかりを追い求 める者となる。 ②しかし、もし、しるしが『結果』だとしたら、私たちはその『原因』を探る者となり、それが「神が共におられるこ と」だと見出すことができる。[ヨハネ10:37-38] ・イエスが地上で多くのしるしを行われたのは、それに遭遇した人々に、「わざそのもの」ではなく、 その源である方(父なる神)を求めさせるため。 ◆ [46-49節]  この王室の役人は『しるし』に執着していた。 ・彼にとっては「イエスがどなたであるか?」はどうでも良かった。言い換えるなら、息子の病気を治してくれる なら、相手は悪霊でも何でも良かった。 ・「しるし(現象)」にすっかり心を奪われていたこの役人を、イエスは「目に見えないもの(ことば)」だけを与えて 追い返した。[50節] それはこの役人が「しるし」ではなく、「その源である方」に心を開く者とされるため。 ◆ では「みわざを求める故に神に近づくこと」は、悪いことなのか?     ➝ 理由がどうであれ「神に近づくこと」は良いこと。問題は、その人が「本当に神ご自身を神としている」のか それとも、「みわざ」が偶像になってしまっているのか。 その判別は神がなさる。 ・きっかけがどうであれ、その人が「神に近づいて」いくなら、神はその人の心に働きかけることができる。 ◆ 私たちの神は『良い父』。恵みと愛とに満ちておられる。それ故「みわざに固執する者」の祈りにさえも応えてくだ さる。しかし、イエスが真に求めておられるのは、「しるしの有無」に関わらず、イエスのことばに耳を傾け、彼と 共に働いておられる、力と愛に満ちた『まことの父』に、私たちの心がしっかりとつなげられていくこと。そのよう に歩む者の人生には、「神の力あるわざ」は結果としてついてくる。 考えてみましょう Read more…

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2011年7月17日 神のわざを行う者となる

(今回はオーディオがありませんのであしからず。) 説教あらすじ 「神のわざを行う者となる」 (17/07/2011) ◎[ヨハネ4:31-38] ◆ [34節]  *この前は『水』の話だったが、今回は『食べ物』。    ・『食物』:それは人生における最大の関心事。イエスにとってそれは「父のみこころを成し遂げること」だった。   ・ある人は「『自分のやりたいことのため』ではなく『他の誰かのため』に生きるなんて可愛そう…」と言うだろう が、その考えは次の2つの点で誤っている。     ①「自分の使命」がはっきりしていて、毎時そのために全力を尽くせるのは、幸いである。     ②『自分』のために生きるより、『大切な誰か』のために生きる方が、ずっと生きがいを感じるものである。 ◆ このように生きるイエスのために、父なる神はいつもご自身の『みこころ』をお示しになった。 ・私たちは何のために「神のみこころ」を求めているのか? 純粋に彼を愛しているからか?   それとも単に「やりがい」を見出したいからか?(いわゆる「神に用いられたい」という名目の自分の欲のため?) ・私たちがまず求めるべきものは『神への愛』。  「私たちが神にしてもらいたいこと」ではなく、「神が私たちにして欲しいと思っていること」に思いを向けよう。      ➝ それは『私たち自身』を献げること。[ローマ12:1-2] これぞ「霊とまことによる礼拝」 ◆ 神のわざを行うのは、「個人プレー」ではなく、「適切な役割分担 + チームワーク」 [36-37節] ・この場面でも、イエスが「種を蒔き」、弟子たちが「刈り取り」のために働いたはず。 ・「あれはあの人の働きだから、私とは関係ない」とか「この人は私が誘ったんだから、最後まで面倒看なきゃ」 などということはない。「神のみこころに従ったわざ」は、誰のものでもなく『神のわざ』である。[Ⅰコリント3:6-7] そして神はご自身の好む人々に、そのみこころに応じてご自分のわざを委ねられる。 ◆ 私たちはしばしば「何故私が?」とか「どうして今なの?」などと、つい不平を言いたくなる。しかし、そこには 私たちの思いを遙かに超えた『神の御手』が働いている。だから私たちは、その時その時に神が置いてくださる 状況の中で、とにかく最善を尽くそう。[ピリピ2:13-16]  *次のような祈りは参考になる。 「神様。私は今どうしてここでこうしているのか分かりません。でもこれにはきっと意味があり、私が今あなたの計画のとても大切な部分を担っているのだと信じます。ですから、ともかく今与えられていることを熱心に行います。 どうぞ私を支えてください。そして、私の人生を通して、あなたの大いなるみわざを成し遂げてください!」 考えてみましょう Read more…

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ニュース

ゴスペル・ミニコンサートの写真

8月28日にクライストチャーチJCF主催のゴスペル・ミニコンサートがありました。当日は100人近くの方々が来てくださり、大変良いときをもつことができました。賛美ゲストの横山 大輔さんの賛美も、ゲストスピーカーの長谷川 与志充先生のお話も素晴らしかったです。 写真撮影の前に帰ってしまわれた方もいたので、実際の参加者はもっと大勢でした。当日ご参加の皆さん、どうもありがとうございました!

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聖書

(26) 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。

ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 聖書に「姦淫の現場で捕らえられた女性」の物語が出てきます。律法の専門家たちは「こんな女は、律法が言う通りに『石打の刑』にしてしまうべきだ!」と言います。では、イエス・キリストは何とおっしゃったのでしょうか?この女を軽蔑の眼差しで眺めていた民衆に対しては「あなたがたの中で、罪のないものがまず、彼女に石を投げなさい」と言い、人々が去ってしまった後には、この女をじっと見つめて「私もあなたを罪に定めないから、もう帰りなさい。但し、これからは2度と同じ罪を繰り返してはいけないよ。」とおっしゃいました。この女性は、その後どんな人生を辿ったか、想像に難くはありません。 「互いに励まし合い、徳を高め合う」というのは、聖書全体に流れている1つの大きな思想です。それなのに、なぜ私たちはしばしば『誉めことば』を出し惜しみしてしまうのでしょうか?また「他人の成功のために手を貸すこと」を躊躇してしまうのでしょう?恐らくほとんどの場合、その理由は単に「面倒くさい」「そんなこといちいちする必要ない」などの『自己中心性』から来るモノなのでしょう。 私たちは、人々へのちょっとした『賞賛』や『協力的態度』を現すことがどんな力を持っているか、よく分かっていないようです。それとも、「そんなに誉めてばかりいたら、奴は図に乗ってしまうよ。」などと思っているのでしょうか?世の中には、「心の病で死んでしまう人」はいても、「自惚れすぎて死んでしまう人」はほとんどいません。さあ、今日からぜひ、あなたからの励ましや誉めことばを必要としている人々を見つける旅を始めましょう!そして、それらの人々の傍らに立ち、彼らが目指しているゴールに辿り着けるように、精一杯の手助けをしてみませんか?

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