(40) 彼(イエス・キリスト)はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。

2012/03/26

candle light

消えそうになっているろうそくの炎

皆さんは『葦の葉』がどんなものかご存じですか?そう、沼地などに生えていて、子供でも簡単に折ることのできるとても頼りない草です。また、ろうそくの火が消えそうになっているのを見たことがありますか?あれほど危なっかしくてヒヤヒヤさせられるものもないですよね。この「半分折れかかっている葦の葉」や「消えそうになっているろうそくの炎」ほどはかないものは、他にはあまりないのではないでしょうか?ほとんどの人々は、そのようなものは「もう必要ない!」と言って、きっと投げ捨ててしまうことでしょう。

イエス・キリストは、この「折れかかった葦」や「消えかけたろうそくの火」のように今にも尽き果ててしまいそうな私たちの弱った心を、優しくその手に拾い上げ、介抱し、再び力づけてくださる方です。人々の心ない言葉に傷つけられ、裏切りに遭い、ささいな失敗を決して赦してもらえず、人々の批判にさらされるとき、私たちは「自分はもはや必要とされていない。もう立ち上がることはできない。」そう思わずにいられなくなることでしょう。

実は聖書の中にもそのような人々がしばしば登場します。「姦淫の現場で捕らえられ、人々からまさに『石打ちの刑』に処せられようとしていた女性。」「最後の回復の望みをイエスに託し、彼に触れていただこうと友人たちに背負われてやって来たにも関わらず、大群衆の故にイエスに近づくこともできなかった病人。」「生まれつき目が見えないために、物乞いをして生きていくしかなかった男が、『イエスが近くをお通りになる』と聞いて、あらん限りの大声で『私を憐れんでください!』と叫び続けたにも関わらず、『うるさい!めくらめ、静かにしていろ!』と怒鳴られて…。」

しかし、イエス・キリストは彼らをあきらめませんでした。彼の目は決してこれらの「傷んだ葦」を見逃さず、彼の耳はこれらの「くすぶる燈心」の音を聞き逃さなかったのです。姦淫の女は赦され、重病の男は癒され、盲人は見えるようになって帰って行ったのです。

今日(こんにち)も同じです。イエス・キリストの御手は、今日もあなたに届くのです。彼の恵みは、どんなに深い泥沼よりも深く、その手は、届き得ないと思われたあなたの心の痛みに触れ、もう1度あなたを立ち上がらせてくださるのです。

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