聖書

(44) 主よ。あなたは代々にわたって、私たちの住まいです。

多忙を極めた1日を終えて、自宅にたどり着いたときの気分ほど、ホッとする瞬間はありませんよね。クツを脱ぎ捨て、普段着に着替えて、お風呂で汗を流して、夕食の食卓に就く。誰に気兼ねすることもなく、どんなにだらしない格好をしていたって大丈夫。大きな音で鼻をかんでも、うっかりオナラをしてしまっても、誰も白い目で睨んだりしません。ホントに身も心もリラックスできますよね。 実は「神様のご臨在の中に生きる」というのも、これと似たような安心感を与えてくれるものなのです。ある人々は、「神様というのは、何か堅苦しく、いつも不機嫌で、こちらの落ち度がないかどうかを見張っている存在」と思っているようですが、それは大きな勘違いというものです。聖書が私たちに知らせている神様は、ざっくばらんで、包容力があり、私たちのありのままを受け入れて喜んでくださり、私たちの思いもかけない豊かな愛で、私たちの必要を満たしてくださる方です。私たちが自分のふがいなさに落ち込んだり、誰にも理解してもらえなくていらだったりしているとき、「大丈夫。あなたは誰よりも私にとってかけがえのない存在だよ。たとえ他の誰もがあなたを見捨てても、私は決してあなたを見捨てたりしない。たとえ誰もキミのことを理解できなくても、わたしにはちゃぁんと分かっているよ。」と言ってくださるのです。 神様は一体、私たちからどのくらい離れたところにいらっしゃるのでしょう?聖書には次のように書いてあります。「確かに神は、私たち1人1人から遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」 まさに神様は、私たちが最も気に入っている『マイホーム』のように、私たちがどこにあっても私たちを心地よい安息で包んでくださるのです。あなたもそんな『移動式マイホーム』に拠り頼んでみませんか?

By Junko, ago
聖書

(43) いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。

訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。 『忠告』というものは、たとえそれが有益なものであっても、素直に聞き入れるのが難しく感じられるものです。しかし、せっかくの善意に満ちた忠告を無視してしまったことによって、避けることのできた破滅を招いてしまうことがあるのも事実です。 これはアメリカで実際にあった話ですが、ある大地震の後、『コリンガ』という小さな町を走る高速道路の橋が落ちてしまいました。それを発見した町の人が警察に連絡し、その橋に続く道路はしばらくの間封鎖されたのです。ところがミニバンを運転していたある若いカップルが、警察の警告を無視して、バリケードを突破して行ってしまいました。途中何度も「この先危険!」という看板があったにも関わらず、彼らはスピードを落とすことなく走り続け、とうとう谷底に落ちて死んでしまったのだそうです。 自分の人生にこんな悲劇を招かないために、私たちはどうしたら良いのでしょう?次の3つのポイントに気を付けると良いと思います。 ①「その忠告に従うか否かに関わらず、まずとにかく耳を傾ける」  大人と子どもの大きな違いは、その年齢や体の大きさではなく、「自分と違う考えを持つ人の意見に耳を傾けることができるかどうか」です。あなたがもし「自分はもう1人前の大人だ」と思うなら、まずとにかく相手の忠告に耳を傾けましょう。 ②「その忠告の中に、自分を成長させる要素がないかどうか、注意深く聞く」  神様は私たち1人1人に異なった背景や性格をお与えになりました。それは、私たちがいがみ合うためではなく、互いに益を受けるためです。もしあなたが「自分は誰かのために役に立ちたい」と思うなら、まずあなたが、自分と違ったタイプの人から学ぶ姿勢を持ちましょう。 ③「自分の心を探り、謙遜な姿勢を持つ」  もし相手の忠告を聞く中で、「この忠告には従いたくない」と感じるなら、その気持ちがどこからやってくるのかを冷静に探ってみましょう。それがもしかして「この人は自分の気に入らないから」とか「その忠告に従うことは、自分のプライドが許さないから」などという好みや感情的な理由なら、神様に助けを求めましょう。「神様、どうぞ世界の益のために、私がこの忠告に正しく応じることができるよう、謙遜な者としてください。」 そうです!あなたの人格的な成長は『世界のために有益』なのです!

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