2013年1月27日 「イエスの名によって」

説教あらすじ         「イエスの名によって」      (27/01/2013) [ヨハネ16:16-24] ◆「しばらくすると…」[16節] ― このイエスの言葉は2通りに解釈できる。 ①十字架と復活 [20節] :十字架は弟子たちに悲しみと絶望を、復活は大きな喜びと希望をもたらした。 ②昇天と再臨[21節,マルコ13:8] :もはやそこに絶望はない。必要とされるのは、確固たる希望に基づいた忍耐。    ・大切なのは「イエスがどちらを指していたのか?」ではなく、このイエス・キリストに信頼して歩む時、私たちは 決して失われることのない希望に基づいて地上での人生を全うし、永遠の御国に迎え入れられるということ。   *では、私たちのこの地上での人生は、単に「待っている人生」なのか? ◆「イエスの名」によって [23~24節] ・「イエスの名によって求める」 とは、何か呪文のようなものではない!➝ 『関係』に対する信頼の行為    *この地上での人生は、イエス・キリストを通して、神との信頼関係を築き上げていく期間。     ①「御父とイエスとの関係」に対する信頼        ・「御父がイエスを愛し、イエスに全幅の信頼を置いている」ということを信じる。     ②私たちとイエスとの関係        ・その関係にウソがない(事実に基づいている)ということを御父にアピールする。    *祈りが聞かれるために必要なのは「私たちの努力や良い行い」ではなく、「私たちはただキリストの身代わり の故に、父なる神の御前に『責められる所のない者』として出ることができるのだ」 という事実を信じること。 ◆ [Ⅰヨハネ3:21-23] ★朝ごとにイエスにある希望を告白し、「イエスの名によって」大胆に神に求めつつ、この2013年を歩んで行こう!    Outline of the sermon    “In the name of Jesus.”     (27/01/2013) [John 16:16-24] ◆「In a little while…」[Verse 16] ― This word of Jesus may Read more…

2013年1月13日 「『見えないもの』に目を留めて」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「『見えないもの』に目を留めて」      (13/01/2013) [ヨハネ16:4b-15] ◆「罪について」「義について」「さばきについて」の世の誤り。[7~11節] 世 真  理 罪 イエスを「冒涜罪」に定めた。 イエスを「神の子・救い主」と認めないことこそ、罪。 義 「自分が正しいと信じること」を行うことが、義。 「義なる神に受け入れられる者」となること。 さばき 「罪に定められた人間」を罰すること。 罪と死の力でこの世を支配していた「サタンの権威」を打ち砕くこと  ・弟子たちはイエスとの別れを悲しんだが、イエスは「見えない所によって歩む方が良い」とおっしゃった。弟子た ちは少なくとも3年半「見える形でイエスと共に歩む信仰体験」がある。逆に私たちは「見えるものに従った『不信 仰の歩み』」に満ちている。それ故『経験』に頼ろうとすると、世に引きずられる。 ・「目に見えるものに頼れない私たち」はあたかも盲人のよう。目をつぶると「言葉の重要性」に気づかされる。こ の「ことばの洪水」の中で、真に信頼できるものを聞き分け、信仰によってそれに従う。聞き分けられるまでは何 度でも聴き続ける。徹底した『受信』が必要。 ・赤ん坊は生まれてから話し出すまで約2年間聴き続ける。私たちは「見えないお方」に信頼して歩むようになっ て以来、それほどまでに「聴くこと・受信すること」に費やしてきただろうか?『大人』として行きたいばかりに「見 切り発進」していないか? ★とにかく聖書を読み、またそれを覚えよう。目を閉じて祈り、十分な時間、真理の御霊の御声に耳を傾けよう。 [Ⅰペテロ2:1-3]   Outline of the sermon    “Fix your eyes on what is unseen.”    (13/01/2013) [John 16:4b-15] ◆ Guilt of the world in regard Read more…

(65) 私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は…あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 もし『お金』というものが幸せの条件なのだとしたら、お金持ちの人は他のどんな人々よりも幸せだということになりますよね?ところが残念ながら統計はそれを示していません。幸福に暮らしている人の多くは、お金を追求したことによってではなく、「神様から与えられる生きがい」を追求することによって、それを得ているのです。 『幸福な人々が知っていること』という本の中で、ダン・ベーカー博士は次のように言っています。「私のある友人はすべての物を持っているように見えた。お金、自由、そして友人や家族…。しかし彼は最も欲していた物を手にしていなかった。それは『幸福感』である。彼の家庭生活は惨憺たるものだった。子供たちとはほとんど会話がなく、妻は仕事に忙殺される夫に対して不満がいっぱいだったのである…」 一体この男性の関心事はどこにあったのでしょうか?それは「与えられたものを活用する」のでなく、ただ「蓄えることに一生懸命」だったのです。 この話を聞いてある人は「いやぁ、それはその人が贅沢だっただけで、私だったらそれだけの条件が揃っていたら絶対に幸せになれるさ!」というかもしれません。けれど、決してそんなことはありません。『幸福感』は決してお金では買えないのです。どれほど財産を増し加えても、心にはいつもこんなささやきが聞こえてきます。「まだまださ。もっと儲けなきゃ、まだ安心できないよ。」 一体『幸福になる秘訣』とは何でしょうか?聖書は「それは物を集めることから来るのではなく、私たちの命の源である神様から来る」と言っています。神様は私たち人間を、1人1人目的を持ってお造りになりました。私たちがその「神が私のために用意してくださっている人生の目的」を追求して生きる時、お金その他の物はすべて2次的なものに過ぎません。あなたの人生を確固たるものとするのは「神の与える救い」「内面的な(霊的な)成長」「豊かな家族との関係」「心を分かち合える友」、そして「神から与えられた使命を全うしている、という実感」なのです。神を喜ばせることを熱心に追求している人で、心に喜びと幸福感を持ち合わせていない人に、私はまだ1度も会ったことはありません。