(71) 私たちは真実でなくても、神は常に真実である。神にはご自身を否むことができないからである。

2013/03/27

beer

酒に酔う者

使徒パウロは聖書の中で、次のような人々は神の国に入ることはできない、と書いています。「性的な罪を犯す者、偶像を拝む者、酒に酔う者、強奪する者、…そして『すべて偽る者』」。

「それじゃあ、ちょっとした『でまかせ』を言うことや「見え透いたお世辞」を言うことが、不倫や強盗と一緒だって言うのかい?」と問われるかもしれません。でも、そういうことになります。神の前には「税金の支払いをごまかすこと」も、「他の神々に対して膝をかがめること」と同様にその心を痛ませるのです。

どうしてそんなことになるのでしょうか?何故神はそこまで私たちの『不真実』を嘆かれるのでしょう?それは『不真実』は、神のご性質に真っ向から反するからです。神は「ウソをつかない方」でも「ウソをつかないようにしている方」でもなく、「その性質上、ウソをつくことのできない方」なのです。神が私たちに何かを約束されるなら、それを守らずにはいられない方であり、神が何かを語られたなら、それは必ず文字通り理解されるべきです。そして彼が聖書の中で私たちに語られている数々の言葉は、すべてそのまま信じるに値するものなのです!神の辞書には『あやふや』という文字はありません。彼の言葉はいつも白黒はっきりしています。

今日、もし私たちが「本気で神と共に人生を歩もう」と言うなら、私たちはまず「常に心からの真実を神にささげて生きる」ということをしっかりと心に刻まなければなりません。

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