(122) “立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。”

現代の『スピード社会』は、とにかく私たちに「仕事を手早くやりこなす能力」を要求します。「多くの仕事を任される人」が『有能な人』とみなされるため、ついつい「他人から頼まれた仕事」をできるだけ優先させ、「自分が本来なすべき事」を後回しにしてしまいがちです。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみてください。あなたは「人を喜ばせることの『中毒』」に陥ってはいませんか? 真面目で親切な人ほど「人のためになることは良いこと」と考えるあまり、自分の本分を犠牲にして『人からの頼まれ事』に没頭する傾向があります。もちろんそれが「相手に対する純粋な思いやりや愛情」から出ているものなら、それほど害悪はないかもしれませんが、もしそれらの行為が「相手に良く思われたい」とか「人の役に立つことで自分自身の存在価値を保てるから」などの誤った動機から来ているのだとしたら、それは危険信号です。 神は私たち1人1人を『ユニークな存在』としてお造りになりました。それは「誰か他の人の仕事に携わらせるため」ではなく、「ぜひともあなたと一緒に成し遂げたい『ユニークなわざ』をお持ちだから」です。神は決してあなたを『何でも屋』としてはお造りになりませんでした。「みんなを喜ばせること」よりも、「神を喜ばせる働き」をして欲しいと願っておられるのです。 「でも神様は、私が他の人々を助けることをお喜びになるんじゃないですか?」とおっしゃるかもしれません。確かにそうです。しかし神は同時に、あなたが終始「誰かのためにしなければならないこと」に振り回されること、をお望みにはなりません。ですから、もしあなたが「神から委ねられた働き」に携わっている時に、誰かから何かを頼まれたときは、まず神の前に静まり、神からの知恵と導きをうかがうべきです。 最後に、私の尊敬する『マザー・テレサ』の遺した言葉で締めくくりたいと思います。 “「どれだけのことを成し遂げたか」は問題ではありません。大切なのは『どれだけ心を込めたか』です。”

2014年5月4日 「キリストの律法」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ            「キリストの律法」        (04/05/2014) *ここまでパウロは「律法によっては真の救いは得られない!」と主張してきたが、 今日の箇所では「救いを与える『真の律法』とは何か」を教えている。 [ガラテヤ 6:1~10]  ◆すべての律法の要約 [ガラテヤ5:14,ヨハネ13:34-35] = イエスが律法を全うした![マタイ5:17]   ・ひと言で言うなら、「キリストによる愛を体験した者同士が、互いに愛し合うこと」。 ◆いわゆる『律法』との違い  ①人を「さばくため」ではなく、「共に神の義(正しさ)を求めて歩むため」 [1~2節]     ・私たちは誰も、他の人をさばくことができるほど立派ではない。[3~4節]  ②私たちは1人1人神様から違ったことを期待されている [5~6節]     ・それ故、誰も他の人を自分と比較してさばくことはできない。    では、神は「不公平」なのだろうか?  ③「神の報い」は、誰にでも公平である [7~8節]     ・神は「仕事量」ではなく、「従順(忠実)さ」を測る。また「神の時」を忍耐して待つ『信仰』を測られる。[9節]  ④(自分勝手にではなく)主の導きに従って愛する [10節]    ・「愛しやすい人から」とか「見返りを期待して」ではなく、「身近なところ(家族)」から。 以前も言ったように、まずJCFの中で実践練習をして下さい! ⊚目的は「私たちの愛情深さを示すこと」ではなく、「『愛の内に住まわれる神』が、人々の前に現されること」。[Ⅰヨハネ4:12]   Outline of the sermon        “The Law of Christ.”       (04/05/2014) *So far Paul has been insisting that we can never receive salvation Read more…