懐中電灯

ある人が懐中電灯に新品の乾電池を入れたまますっかり忘れて引き出しの中に1年以上放っておいたそうです。ある時引き出しを整理しているときにその懐中電灯を見つけたのでスイッチを入れてみたら、電気がつきませんでした。念のため中身を確かめたところ、乾電池は中身の液体が染み出してしまっていて使い物にならなくなっていました。引き出しは暖かな部屋の中にあり、周りには害になるようなものは何もなかったにも関らずにです。

乾電池は「暖かくて安全な場所に放置されるため」に設計されてはいません。イザという時に『用いられるため・使われるため』にデザインされ、作られたのです。私たちの人生に関しても同じことが言えます。聖書は私たちのことを「神と人とに仕えるために生まれた」と表現しています。私たちは居心地の良い場所で安穏と過ごすようにはデザインされていません。互いに愛し合い仕え合うようにと『愛の神』の御手によって心を込めて造られたのです。ところが私たちはしばしば自分自身のことに夢中になりすぎてそのことをすっかり忘れ、周囲に私たちの助けを必要としている人がいても「私は今自分のことで忙しいから、誰か他の人に頼んで!」とすげなくあしらってしまいがちではないでしょうか?

神様から与えられている貴重な1日1日を「ごめん、今ちょっと手が放せない!」というようなことでいっぱいにしてしまわないようにしましょう。神様が助けを必要としている人をあなたの側に送られたとき、喜んで助けの手を差し出すことのできる人は幸いです。

Categories: 聖書

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *