聖書

(140) “すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父(神)から下るのです。父には移り変わりや移り行く影はありません。”

私が子供の頃読んで面白かった本に『タイムマシン』というものがありました。ある少年・少女がタイムマシンで昔の世界や未来の世界へ旅をして様々なワクワクする体験をするというものです。子供心に「ボクが生きている間に『タイムマシン』が発明されるだろうか?」と夢見たものです。恐らく、誰もが1度は考えてみたことがあるのではないでしょうか? ところが神様は私たちを『時間』というものの中に閉じ込めておられます。私たちは昨日に戻ることもできないし、明日に飛んで行くこともできません。私たちに与えられているのは『今』だけです。面白いことに『今・現在』という概念を表す英語は『プレゼント』といって、『贈り物』を表すことばと同じです。あたかも神様は『今』という時をかけがえのない『贈り物』として私たちに与えてくださっているかのようです。 私はほぼ毎朝飼い犬の散歩に出かけますが、今のような初春の時期はあちこちの庭に新しい花が咲いたり芽が出てきたりして、日々私の目を楽しませてくれます。しかしこれらの景色は、走っていたり車を運転していたりしては見出せません。同様に、過去のことについていつまでもクヨクヨしたり、将来のことばかり気にしていては、『今』を満喫することはできません。神様は私たちに『今』を大切な贈り物として与えてくださっています。ぜひじっくり辺りを見回してみてください。朝ごとに昇る朝日、鳥のさえずり、頬をなでる風、母親の腕の中でスヤスヤ眠る赤ん坊、そしてあなたのことを大切に思ってくれている人々… これらのささいなことを見出し感謝することができたなら、あなたの心の中に「生かされている喜び」が湧き上がってくるはずです。 「そんなことをいっても、すべてのものは過ぎ去り、変わって行ってしまう!」とあなたはおっしゃるかもしれません。そうですね。私たちの出会うものはある意味すべて一時的で、愛する人の心さえも変わってしまうかもしれません。しかし、神様と神様の私たちに対する愛は永遠です。そしてこの神様とつながっている限り、私たちはいつでも人生に新しい輝きを取り戻すことができます。私たちに『今』を与えてくださっている神様は、この『今』の中で私たちと出会ってくださるのです。

メッセージ

2014年9月14日 「主にある『理論』と『実践』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「主にある『理論』と『実践』」     (14/09/2014) [コロサイ 1:9~12]  *物事には「理論的な面」と、「実践的な面」とがある。キリスト者としての歩みも同じ。「真の知識(理論)」[9節]と「あらゆる善行(実践)」[10節]とがある。パウロはその両方がコロサイの教会に備わるように祈った。 ◆「真の知識」とは? ― 神のみこころに関する知識[9節] ・単なる『知識』は、しばしば人を高ぶらせ、神から離れさせる。[箴言1:7]  では『真の知識』とは… ①この天地を造られた神は「善い方」であり、私たち人間を愛しておられる。 ②神は私たちとの「愛の関係」を望まれた故、私たちに『自由意志』をお与えになった。 ③その『自由意志』の故に神から離れた私たちに、神は「和解の使者」としてイエスを送られた。[コロサイ2:3] ④私たちは、イエスを通して得られる神との深い関わりの中で生きてこそ、本来の「神の栄光を反映する 生き方」ができる。                                         ここまでは『理論』! ◆「あらゆる善行」とは? ― 神の心にかなった、あらゆる点で神に喜ばれる歩み[10節] ・『善行』というと、つい人間的な基準における「人助け・親切・慈善活動」が思い浮かぶが、それらは報われれ ば気持ちが良いが、報われなければ「おせっかい」または「徒労」に終わる。 ・ところが「聖書による善行の定義」は:[マタイ6:3-4] すなわち、相手にどれだけ喜ばれるかどうかに関らず、それが「神にあってなされたかどうか」が問われる。 ・この『善行』の目的は「事が成就されること」ではなく、「神との個人的な関係がより豊かにされること」にある。 *「神に関する知識」と「神にあってなされる善行」どちらがより重要ということはない。神のことを良く知らなければ、神がどのようなことを喜ばれるか分からないし、神と共に日々を生きていなければ知り得ない神の側面がある。     Outline of the sermon   “‘Theory’ and ‘Practice’ in God.”  (14/09/2014) [Colossians 1:9~12]  *Things Read more…