(144) “私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。”

2014年10月5日早朝、クライストチャーチ日本人キリスト教会の創始者の1人であられるベティ・ラウンドヒルさんが天に召されました。94歳でした。彼女はご主人のケン・ラウンドヒル先生と共に、日本での40年間の宣教師としての働きを終えてから24年前にニュージーランドに来られ、このクライストチャーチJCFを始められたのです。彼女が70歳の時です。70歳と言えば『隠居』の年であり、わざわざ何か新しいことを始めることは至難のわざであったに違いありません。しかし彼女は、クライストチャーチで不自由な英語を駆使しながら苦闘している日本人妻たちや留学生たちを見て、じっとしてはいられなかったのでした。 聖ルカ国際病院の名誉院長であられる日野原重明教授は次のように言っています。「新しいことを創められる人は、いくつになっても老いることがない。」 ベティ先生はまさにその94年間の生涯を「神と人に対する情熱を持って走り続けた女性」だったのです。 実を言うと彼女が亡くなられた前日(10月4日)は私の長男の結婚式でした。ある方々にとっては「息子さんの結婚式の直後に大切な方が亡くなるなんて、とんだ災難でしたね」ということになるのかもしれません。しかし私にとっては『とんだ災難』ではなく、むしろ「お祝い事が2つ重なった」と言えると思います。何故なら、私はベティ先生が今どこにおられるのかよく分かっているからです。彼女は今、老いて不自由になった肉体を脱ぎ捨てて、天国の神のみもとで「古びることのない、新しいからだ」をいただいて、喜びに満たされているのです。 もちろん「地上での別れ」という寂しさがあることは否定できませんが、私たちには『再会の希望』があります。そしてこの地上での残された人生を、ベティ先生に倣って「最後まで力強く走りぬく」という使命を全うする責任も与えられています。あなたもこの『死の向こう側にある希望』を抱きながら、地上の人生を精一杯走りぬく力を、神様からいただきませんか?

2014年10月12日 「本体であるキリスト」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「本体であるキリスト」     (12/10/2014) [コロサイ 2:16~23] *今日の要点は、「私たちの『キリスト者』としての真価はどこから来るのか」ということ。 ◆私たちの誤り ・私たちの真の評価は、「日々の生活の中でどのようにキリストと関っているか」にかかっている。[16~17節] ・『罪』とは? = 1つ1つの行為ではなく、その選択基準を自分の中に設定してしまっていること。 自分の良心に照らし合わせて「善いか悪いか」ではなく、「内なるキリストを喜ばせるか、悲しませるか?」。 ということは、最優先事項は「神(キリスト)を知ること」。[ヨハネ17:1-3] ・「この世の生き方」[20~21節]とは、必ずしも「自分だけ得しようとして、他人を顧みない」ということではなく、 「この世で誉められようとする生き方」をも含む。イエスを憎んだのは、人生の落ちこぼれたちではなく、「自分 は正しい人間だ」と自負していた人たち。彼らの生き方こそ、イエスから見れば「この世の生き方」。 このような人々に対して、イエスは言われた。[ヨハネ5:39-44] ◆神からの栄誉を求めて生きる(どのようにしてイエスのもとへ行けばよいのか?)    ①悔い改め ・「自分自身の中には、神に評価してもらえるようなものは何もない」ことを認め、憐れみを乞う。    ②懇願 ・『真の人間』として生きるためには、何が何でも「自分にはイエスが必要である」と認め、聖霊によって イエスに人生を支配していただくよう真剣に求める。    ③日々の明け渡し ・日々「イエスこそ自分の人生の主である」ことを宣言し、「従いますから、導いてください」と告白する。   Outline of the sermon       “Reality in Christ.”    (12/10/2014) [Colossians 2:16~23]  ◆How can we evaluate our “Christian life”? ・It is not how much we are following Read more…