聖書

(154) “あなたの手に善を行う力があるとき、求める者に、それを拒むな。”

私たちは「なすべきことが分かっているのに、しようとしないこと」は、神の前に正しくないと容易に理解できますが、「なすべきことが分かっていて、いつかしようとはしているけど、もたもたしていること」も神の前に正しくない態度であるとはなかなか気付きません。私たちは恐らくこう言うでしょう。「いや、やろうとは思っているんですよ。ただもうちょっと暇になったら、もうちょっとお金が溜まったら、もうちょっと子供が大きくなったら…」 神の祝福は、ただボ~っと待っているだけの人に注がれるのではなく、既に与えられているものを精一杯用いて人々の必要のために仕えている人に注がれるものです。例えば、今の時点で既に持っているものを用いて人々に施しをしているわけでもないのに「神様、困っている人々を助けてあげたいので、どうぞもっとお金を与えてください」と祈るのは、神の祝福を受けるために正しい順序ではありません。「でもお金が無けりゃ、何も与えてあげられないじゃないですか!」とおっしゃる人もいるでしょう。しかし実際はお金が問題なのではありません。そのような人は今までにそれらの困っている人々に『励ましの言葉』や『あなたの時間』、また「今まで試したことのないような自己犠牲」を与えたことがありますか? 神が私たちに望んでおられる愛し方は、私たちの都合やタイミングに合わせたものではなく、神の憐れみの心に合わせたタイミングや方法なのです。自分の都合や理屈を言い訳にモタモタしてしまう人が得ることのできるものは「せっかくのチャンスを取り逃がしてしまう」という苦い経験なのです。

メッセージ

2015年2月22日 「イエスを見つめて生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「イエスを見つめて生きる」   (22/02/2015) [Ⅰペテロ1:8-9] ここで言われているのは… 1. 私たちは肉眼でイエス・キリストを見ることができるわけではない。 2. にも関らず私たちはイエスを信じ、愛し、喜びに満たされることができる。➝ ではそのカギは何か? ◆日々「イエスを見つめて生きる」ための 3段階 ①「十字架を通して現された神の愛」に魅了される ・レビ記の『いけにえの規定』から学べること ➝ 「罪責感からの解放」と「神との関係の回復の喜び」 そして「2度と罪を繰り返すまい」という固い決意 = これが神が十字架を通して行われたこと [ローマ 5:8] ②生きる目標を天に置く [Ⅰペテロ1:5-9] ・この手紙を読んだ『迫害の真ん中にいる聖徒たち』にとって、「キリストに従うこと」は地上においてほとんど 益をもたらさなかった。おのずと彼らの思いは『真の故郷である天』に馳せられていった。[Ⅰヨハネ2:15-16] ③他の人の利益を求める [Ⅰコリント10:31] ・『何をするにも神の栄光のために』とは? ➝ 常に「周囲の人々の益」を考えながら行動すること [10:23-33] ・これこそが主イエスの歩まれた道。[ピリピ2:3-9] この「イエスの模範に従って歩む者を、神は祝福せずには おられない」ということを信じるのが、聖書の言っている真の『信仰』。[Ⅰペテロ1:8-9] ◆『神を愛する』とは?[Ⅰヨハネ4:20] ✯まず「イエスを通して現された神の愛」に魅了されよう!そしてこの方を喜ばせるため、まとわりつく邪魔物を振り払っていこう。その時、私たちは自分よりも他の人を優先することを学び、そこにおられる主イエスを見る! Read more…