聖書

私の大学時代の専攻は『教育学部の国語科』でした。ですから、日本語のいわゆる文法構造とか文章の読解などが専門だったわけですが、文学作品や論説文などを読み解くのに大変役に立ったスキルの1つは「作者の視点に立つ」ということでした。その作品の著者が「読者に一体何を伝えたかったのか」を考えながら、ひたすら筆者の思いを追求していく時、徐々にその作品の深みを味わえるようになっていくのです。

「聖書の内容はどうも分かりにくい」という声をしばしば耳にします。実はその理由の多くは、聖書を『単なる書物・学術書』と考えていることが原因です。聖書は、この全宇宙を造り、そして私たち人類をお造りになった『創造主である神』が、私たち人間の益のために与えた書物です。いうなれば、その著者は『神ご自身』なのです(もちろん、それらを実際に文字として書き表すためには、人間を用いたわけですが…)。従って、その内容を正しく理解し、私たちの人生に有益なものとして生かしていくためには「著者である神の視点」「神の私たちに対する深い思い」を心に留めることが必要です。しかし一体そんなことがどうしたら可能になるのでしょう?

神は「ご自身に信頼し従う者に『聖霊』を注がれる」と聖書に書いてあります。そしてまたこの『聖霊』という方に関して、別の箇所では『キリストの心』であると表現されています。すなわち、聖書の著者である神は、神に信頼しその心を己れの心として生きようとする者が、聖書の内容をおのずと理解できるようにしてくださっている、ということができるでしょう。別の言い方をするならば、聖書を理解する度合いは、読者の学歴の高さや読書量の豊富さに比例するのではなく、むしろ「自分の足りなさを自覚し、神に頼りつつ人生を正しく生き抜こうとするへりくだった信仰」の度合いによるのです。

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