聖書

(173) “私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。”

『信仰』というと、何だか分かるような分かんないような、あやふやなものといった印象があるかもしれませんね。1つの解りやすいたとえは、「盲導犬に信頼する盲人の感覚」でしょうか? なぜ盲人は盲導犬に信頼するのでしょう?それは盲導犬は盲人には見えないものが見えるからです。そして盲導犬は「いつ・どこで止まり、どちらへ向きを変え、どのタイミングでまた歩き出すのか」を、ハーネスを通して盲人に伝え、盲人はそれを注意深く受け取り、それに全幅の信頼を寄せて行動するのです。これが、もし「おかしいな。いつもはこの角でこんなに長く止まっていることはないのに…。これはきっと犬が何か勘違いしているか、または私に意地悪しているに違いない。こんな奴に従ってまごまごしているわけにはいかない。自分の感覚に頼って、もう行ってしまおう!」などと、盲導犬に逆らって進もうものなら、たちまち私たちの人生は危険にさらされてしまいます。 私たちが神に信頼して歩む人生もこれによく似ています。私たちには1秒先のことも解りません。そういう意味ではまさに『人生に関する盲人』のようなものです。それなのに私たちは無謀にも先を急ぎたがります。「なぜこのタイミングでこんなに長く待たなければならないのだろう?もっと早く進んでいきたいのに…」とじれったく思うこともあるでしょう。しかしそれは、今急いで先に進むと、何か危険が潜んでいるからに違いないのです。 神は時空を超えた方です。また彼は私たちを深く愛し、慈しんでおられます。誰よりも私たちの最善を望み、そして導いてくださる方なのです。ですから、盲人が盲導犬に深く信頼して、その歩みを任せているように、「神は私よりも優れた方である。また彼は私を愛し、私のために最善の道を歩まそうとしておられる」そう信じて、自分の感覚よりも『神の導き』を敢えて選んで進むこと、これが聖書の教える『信仰』なのです。

メッセージ

2015年7月5日 「人知を越えたキリストの愛」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「人知を越えたキリストの愛」     (05/07/2015) ◆[エペソ3:16-21] ・神は豊かな方である。また、私たちをその思うところを越えて満たすことのできる方である。 だからこそ「神に対する自分かってなイメージ」は捨てるべき。 ◆愛に基礎を置いている私たち [17節] ・私たちは「自分の能力や信仰深さ」にではなく、キリストを通して現された『神の一方的な愛』に依存している。 ・私たちの信仰の大きさによって神の愛の大きさが変化するわけではない。しかし「私たちがどこまで神の愛の 大きさを知り、それに信頼するか」が、「神の愛をどこまで体験できるか」を左右する。 ◆人知を越えたキリストの愛 [18~19節] ①『広さ』(制限がない)-人種・階級・能力を問わない。敵さえも愛する。 ・完全に聖い神が、罪だらけの『人の世』に、人となって来られた。[Ⅱコリント5:21] この愛の届ぬ所はない。 ②『長さ』(終わりがない)-決してあきらめない。あきれない。待ち続ける。 ・あなたの生まれる前から、あなたのすべての裏切りを知りながらも。[エペソ1:4] ③『高さ』(私たちを取り囲む)[詩篇139:1-6] ・神の守りは完全。神の許しなしには何も起こらない。「God is in control.」 ④『深さ』(罪のどん底からも救い出す)[ヘブル4:15] ・イエスは「罪と関係ない方」だか、罪人の痛みを知っている。その傷ついた手を、傷ついた者へと伸ばす。 ・何故? ➝ 罪の痛みを知る者ほど、キリストの痛み(愛の深さ)を理解できるから。[ローマ5:20] ✯今週もこの『キリストの愛の中』を共に進んでいきましょう!   Outline of the sermon   “The Read more…