聖書

(200) “わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。”

皆さんは『台風直撃』の経験をしたことがあるでしょうか?私たち家族はバヌアツ共和国にて宣教師として働いていたとき、電気も水道もない小島にある粗末な小屋でそれを経験しました(ですから『停電』や『断水』の被害の恐れはありませんでしたが…)。いやぁ、なかなかの迫力でしたよ。その辺のジェットコースターその他のアトラクションとは格段の差がありますね。 ところで『台風』には面白い構造上の特徴があります。あれほどの破壊力を持つ自然現象であるにも拘らず、その中心部にある『台風の目』と呼ばれる部分は比較的穏やかで、その部分にいるときは一瞬「あれ、もう台風は去ったのかな?」と勘違いしてしまうほどです。ところがその中心から少しでもズレているいわゆる『中心付近』では物凄い暴風と大雨にさらされます。もし私たちが台風の様子を遥か上空から眺めることができたなら、恐らく「荒れ狂う風雨のど真ん中に存在する不思議な静けさ」を見てビックリすることでしょう。 私たちの人生にも「台風の真っ只中」のような時期がありますよね?「泣きっ面に蜂」ではありませんが、ただでさえ苦しい状況にあるのに、更にまた試練が増し加わるようなことがあります。思わずも「神も仏もない!」と叫びたくなるような…。 こんなとき、神様がそれらの試練を直ちに解決してくだされば良いのに、滅多にそういうことはありません。何故なのでしょう?神様は私たちをもてあそんでおられるのでしょうか?そうではありません。神は私たちに「困難なしの人生」を約束してはおられませんが、「どんな困難の中でもわたしは必ずあなたと共にいて、あなたを守る」と約束してくださっています。神は私たちに「何の困難もないお気楽人生」を与えることによってご自身の愛を現されるのではなく、かえって「神様の助けなしには耐えられそうもない試練」の中にあって『不思議な平安(静けさ)』を体験させることを通して、ご自身の私たちに対する深い愛を伝えようとしておられるのです。

メッセージ

2016年2月7日 「罪と罪責感からの解放」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「罪と罪責感からの解放」      (07/02/2016) ◆人生で最も大切なもの = 「神との親密な関係」 ・これを妨げるもの ― 神の側にとって:私たちの『罪』, 私たちの側にとって:『罪責感』(罪の咎め) *イエス・キリストは、これらの両方を解決するために十字架にかかられた![イザヤ53:5] 1 私たちはイエス・キリストによって「神の前」に『罪なき者』とされた。[ローマ8:1] ・『罪』とは、「ルールに違反すること」ではなく、「誤った信仰による態度」。[ローマ14:23] ・私たちが『罪なき者』とされたのは、ただキリストの贖いのみわざによる。[ローマ3:23-24, Ⅱコリント5:21] *一体何の得があって神はそんなことをされたのか? ― 何よりも「私たちとの関係の回復」を望まれたから。 2 神はご自身の子供たちが『罪責感』から解放されて、いつでもどこでも大胆に御前に出ることを望んでおられる ・悪魔の神の民に対する攻撃は「罪を犯させること」よりはむしろ「神との交わりを妨害すること」。主イエスが罪 の贖いを成し遂げてしまった今、悪魔は私たちの内側にくすぶる『罪責感』を突くしかない。 ・これに対し神は「たとえ自分では『汚れている』と感じても、信仰によってわたしの光の中に出なさい!」と招く。 『信仰』とは、「自分がどう感じるか」ではなく、「神が何とおっしゃっているか」を基準に判断すること。[Ⅰヨハネ1:7-9,3:20] *じゃあ、罪を犯し続けてもいいのか? ― 答えは、『YES』。 ・ただ、『神との関係』が深まるにつれて、私たちはやがて罪を憎み、罪から離れて行くようになる。 まとめ ①神は、あなたの過去・現在・未来すべての罪を赦し、忘れてくださった。もはやあなたは、神にとって 『完全な愛の対象』でしかない! ②神は、あなたが「罪の汚れにまみれている」と感じるままで御前に出てくるのを待っておられる。神の目 には、それらの汚れは既に洗われており、あなたも「自分自身から神の御顔へ」と視線を移す時、それら の汚れは純白の衣で覆われる。[黙示録7:13-14]   Outline of the sermon        “Be free Read more…