聖書

(210) “争いを避けることは人の誉れ、愚か者はみな争いを引き起こす。”

一般に日本人は「議論するのが苦手」と言われます。実際「議論すること」自体は悪いことではないのですが、しっかりとしたマナーを持って議論しないと、相手との関係がギクシャクしたり、関係そのものを壊してしまうきっかけになるため、敢えて議論することを避けてしまう傾向があるのではないでしょうか?ではどのようにして上手に(建設的に)議論することができるのでしょう? 神は私たち1人1人をユニークな存在としてお造りになりましたから、1人1人が違った意見を持っていて当然です。私たち夫婦は大変仲良しですが、意見の衝突はしょっちゅう起こります。しかしそれをエスカレートさせない方法はそれほど難しいことではありません。 まず第1に、「相手の意見に深く耳を傾ける」ということです。意見の衝突をエスカレートさせる大きな原因の1つは、「自分が最も正しい」と無意識のうちに思い込んでいることにあります。ですから「相手は自分のことが分かっていない!」という不満がお互いに爆発し、もはや議論は収集がつかなくなります。ところが、もしあなたが「相手は私がまだ知らない何かを知っているのかもしれない」というへりくだった姿勢で聞く耳を立て、相手の言い分だけではなく、その背後にある気持をも汲み取ってあげるならば、議論はお互いに対する『深い理解』につながり、建設的な方向へと進みます。 上手な議論のもう1つのコツは、「焦点を『問題そのもの』ではなく、『問題の解決』に合わせる」ということです。聖書によると、人間は『禁断の木の実』を食べて以来、その罪責感の故に「責任転嫁」をするようになってしまったようです。「こんな事件が起こったのは、一体誰が原因なのだ?」と問われるや否や、私たちは自分を守ろうとするがあまり、必死で言い訳したり、他の誰かに責任をなすりつけようとしたりします。それでは何も問題の解決にはならず、人々が傷付くばかりです。神様は私たちの目を前後に付けることなく、前にだけお付けになりました。それは私たちが後ろ向きな姿勢ではなく、常に前を向いて(事態の改善に向けて)歩むためです。問題解決のために原因を探ることは大切ですが、それが「誰の失敗によるものか」は重要ではありません。 『上手な議論』とは、常に「お互いをより深く理解しようとする姿勢」と「共に事態の向上を願う心」から生まれるものなのです。

メッセージ

2016年4月24日 「良心よりも大きな神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「良心よりも大きな神」      (24/04/2016) ◆善悪の判断基準 ・人は「自分の良心」に基づいて善悪を判断しようとする。しかし『良心』は完全ではない! ・神は私たちの良心よりも大いなる方。[Ⅰヨハネ3:20] ― それ故、本来は「神の判断」を仰ぐべき ・人間が自分で善悪の判断をするようになったのは、『禁断の木の実』を食べた結果。 「善悪を知る」 ⇒ 「罪責感」 ⇒ 「責任転嫁」 ◆「神に従う」とは? ・「善悪の知識の実」を食べた結果、人は神から離れ(『自立』?し)、自分の罪の責任を自分で負うことになった。 ・神が御子イエスに「私たちの罪を負わせた」とは、もう1度私たちを『誤った自立』から「神に頼って生きる者」 すなわち「神ご自身に判断基準を置いて生きる者とされた」ということ。  *私たちは、神からは『自立』しなくて良い。責任は「父である神」が取ってくださる。 (「だから罪を犯しても良い」のではなく、「だから捨て身で人々と関わることができる」。[Ⅰヨハネ3:18-20]) ◆神と共に『最善』を生きる   ・神にとっては、「善か、悪か?」ではなく、「最善か、それ以下か?」しかない!(“Better is enemy of the Best.”) ・私たちの使命は、「何か最善か」を尋ね求めながら、『完全』を目指して生きること。 [ローマ12:2] ◎私たちは、「神と共に最善を生きるため」に、キリストによってリセットされた!     Outline of Read more…