慰め

ある男性が、ちょっとした知り合いの死亡広告を目にしました。葬儀がちょうど出席可能な日時だったので、彼は身支度を整え会場へと向かったのですが、うっかりして同じ葬儀社の別のセレモニー会場に行ってしまいました。気付いた時は既に遅かったので、やむなく全く別人の葬儀に参列することになりました。参列者は少なく、悲しみを露わにしていたのは、長年連れ添った夫を亡くした未亡人のみでした。葬儀が終わると他の参列者たちは急ぎ足で帰途につきましたが、1人寂しそうに墓地へ向かって行く未亡人を気の毒に感じた彼は、彼女に墓地まで付き添って行きました。墓地からの帰り道、彼は思い切って未亡人に告げました。「誠に申し訳ないことなのですが、実は私はご主人のことを全く知らないのです。」未亡人は少し微笑んでこう答えました。「そうではないかと思いましたわ。全く見覚えのない方でしたから。でもそれはあまり問題ではありません。今日あなたがしてくださったことがどれほど私にとって大きな意味があったかは、神様しかご存じないことですから。」

旧約聖書の『ヨブ記』という書物には、ヨブという人物が悪魔の悪巧みに会い、全財産と子供たち、そして自身の健康をも失い、失意のどん底をさまようストーリーが収められています。そこに彼の3人の友人たちが慰めにやってくるのですが、その初めの部分にこう書かれています。「彼らはヨブと共に7日7晩地に座っていたが、誰もひと言も彼に話しかけなかった。彼の痛みがあまりにもひどいのを見たからである。」その後1人1人とヨブに語りかけるのですが、私の見る限りでは、それらの言葉は「ただ黙って側に座っていてあげること」以上にはヨブの慰めにはならなかったようです。

私たちは、苦難の真っ只中にいる人を見る時に「何とかしてあげたいけど、何にもしてあげられることがない」とついあきらめてしまいがちです。しかし最悪なのは、そう言って「できるだけ関わらないように」してしまうことです。何もできなくてもいい。何を言ってくれなくてもいい。ただ黙って側にいてあげることが出来る人は幸いです。

Categories: 聖書

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