(228) “いつも主にあって喜びなさい。”

一般的に次の3種類の人がいると言われています。①自分が幸福であることを他の人に申し訳なく感じる人 ②人の幸福を見るとケチをつけたくなる人 ③落ち込んでいる人を励まし、元気付ける人  ①のようなタイプはある意味「非常に責任感が強い人(?)」であり、②のようなタイプは恐らく「深く傷つけられた経験があって、心の中に苦々しさを抱いている人」に違いありません。 キリストの使徒パウロは「いつも主(神)にあって喜びなさい」と書き送りました。ある人は「そんなことが言えるのは、人生の厳しさや試練を知らないからだ」と言いたくなるかもしれませんが、実はパウロがこの言葉を書いたのは、彼がいつ釈放されるかも分からない牢獄の中にいた時なのです。彼にとって『喜び』とは「自分の置かれている状況に対する反応」ではなく、「自分で決めて選び取る心の態度」だったのです。真の喜びは、移ろいやすい私たちの心から生まれては来ません。もっとずっと大きな、周囲の状況を超えたところにおられる『神』から来るのです。 このような喜びを心に抱いて生きるには、次の3つのことに心を留める必要があります。①『真の喜び』は出来事や状況の中にあるのではなく「喜びの源である『愛の神』」から来る。②日々意識してこの『愛の神』に心を向け、信頼と希望を育む。③神があなたをご覧になっているのと同じ目線で人々を見つめ、祝福する。 私たちの人生を左右するのは、「どんな心を持っているか」ではなく、「どこに心を向けているか」なのです。

2016年9月25日 「キリストの臨在」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストの臨在」       (25/09/2016) ◆『キリスト者』としての証し ・救いは『ゴール』ではなく、「神の国の民」としての歩みの『スタート』。 ・『世の光・地の塩』として生きるとは、「世の人々に対して立派な模範を示すこと」ではなく、「世の人々に対して 『キリストは今日も生きて働いておられること』 を示す存在である」ということ。 「私たちのガンバリ」 と 「キリストの顕現」 とは反比例する。 → では、どうすればいいのか? ◆キリストの臨在 ・「十字架にかけられたイエス」ではなく、「よみがえられたイエス」を思う。[Ⅱテモテ2:8,使徒2:32-33] ・『聖霊』は、イエスがよみがえられ、今日も生きて私たちと共に働かれている証拠。 私たちは、この方(聖霊 = キリストの臨在)に渇き、求めるべき![ヨハネ7:37-39] 「聖霊を与えてください」ではなく、「聖霊で満たしてください」。 ・私たちに必要なのは「神のみわざ」ではなく、「神とのリアルな関係」。 神ご自身を求める。 宿 題   ①毎日最低3回、次のように祈る。 「主イエス様。私にはあなたが必要です。あなたとの生きた関係に渇いています。 どうぞ聖霊によって、私にご自身を現してください!」   ②毎週の礼拝のために祈りつつ備える。そして、主の濃厚な臨在を期待して集まろう! ・主イエスの名において集まる所に、主ご自身もおられる。[マタイ18:20]   Outline of the sermon      “The presence of Christ.”      (25/09/2016) ◆What is our witness to the world? ・Salvation is not our “Goal” Read more…