(230) “わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。”

2016/10/11

%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%a1%e3%81%ae%e6%b0%b4

人間のからだというものは、ノドが渇いたりお腹が空いたりすれば、敏感に反応を示しすものです。では私たちの『たましい』はどうでしょうか?もちろんたましいだって「渇く」のです。もし私たちがキチンと心を配っているなら「たましいの渇き」にも気づくはずなのですが、現代では「からだの渇き」をそそるものばかりがはびこり、より重大な「たましいの渇き」を紛らわしてしまっているのです。

皆さんは「~中毒」という言葉を耳にすることがあるでしょう。「自分とは無縁のもの」と思う方が多いかもしれませんが、中毒には『アルコール中毒』『ニコチン中毒』『麻薬中毒』などの他にも、『仕事中毒』『セックス中毒』『ギャンブル中毒』そして特に最近では『インターネット中毒』の症状も顕著になってきているように思えます。これらのものは初めは私たちの「からだの渇き」を満たすために近づいてくるように見えますが、やがて私たちのたましいに侵入し始め、ひいては人生を破壊してしまう危険性さえ含んでいます。

私たち人間には『食欲』のようなごく自然な生物学的な「渇き」と同様に、より確かなもの(真理)」を求める「たましいの渇きがあります。そしてそれは私たちをお造りになられた「創造主なる神」以外には満たすことのできないものなのです。神と出会い、その心を満たしていただくまでは、私たち人間は「渇きを満たしてくれるもの」を求めて一生さまよい続けるのです。

古代イスラエルの名高きダビデ王は、誰もが望む名声・財産・権力のすべてを手にしていたにもかかわらず、次のように告白しています。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」誤った娯楽による中毒に陥ってしまう前に、さあ、あなたもたましいの渇きを永遠に潤してくださる方の許へ帰りましょう!

{ 0 comments… add one now }

Leave a Comment

Previous post:

Next post: