聖書

(248) “陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。”

今日は『喜び』と『幸せ』の違いについて述べたいと思います。ひと言で言うなら「『喜び』がなければ『幸せ』にはなれないが、『幸せ』でなくても『喜び』を味わうことができる」ということです。すなわち『幸せ』は私たちの外側(経済状態、健康状態、人間関係など)によって左右される「感情的なもの」であるのに対して、『喜び』は私たちの内側(無条件に神から愛されていることの確信)から生まれるのです。 日本語でも「笑う角には福来る」と言いますが、私たちが笑う(喜びに満たされている)ことは、多くの良い物をもたらします。それはストレスを解消し、頭痛を癒し、感染や高血圧を抑制します。また「大笑いすること」は適度な運動と同様にあなたの腹・胸・肩その他の筋肉を引き締め、血圧や脈拍をいったん上昇させてから元に戻し、体や気分を大いにほぐしてくれるのです。 この世には、私たちの気分を落ち込ませるものがたくさんあります。しかし神はそのような状況の中でさえ私たちが喜べるように私たちをデザインなさいました。すなわち、私たちが「環境の奴隷」となるのではなく、「神の愛の奴隷」となるように造られたのです。環境は常に変化します。しかし『神の愛』は私たちの外見や人間性、能力や持ち物、また出来・不出来などには決して左右されません。この『神の愛』に心を支配されながら人生を歩み時、他の人々にとって「何1つ喜べる材料が見当たらないような状況」の中でも、喜びに満たされて生きることができるのです。

メッセージ

2017年2月12日 「神が祈りを聞かれる理由」

メッセージ(含証し)をダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神が祈りを聞かれる理由」     (12/02/2017) ◆ご自身のご性質の故に [ルカ18:1-8] ・神は私たちに「辛抱強く」祈ることを望まれる。それは「駄々をこねる幼子」のように、自分の欲しい物をしつこく 求めれば、神は『根負け』をして仕方なく答えてくださる、というのとは全然違う。 ・[3,5節]の表現の直訳は「正当に扱う」。すなわち「神の義」を行っているご自分の民が不当に扱われているの をご覧になって、神は「正しいさばき」(8節)をしてくださる。[マタイ5:6] ・私たちは、『神の義』が軽んじられているこの世(例:「幼児虐待」「盗み」「オカルト」「不倫」 etc)にあって、忍耐強く あきらめることなく、『義なる神』に訴え続けることが求められている。 ◆私たちは『神の子ども』だから [ルカ11:5-8] ・このたとえ話の直前には、「父よ…」で始まる『主の祈り』が述べられており、直後は、「求めなさい。そうすれば 与えられます… たとい悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与える…」と続いている。すなわち、 神は「私たちがご自身の子どもであるから」こそ、私たちの祈りを無視できない。 ・[8節]の直訳は、「あつかましさの故に」。「子どもであること」の特権は、私たちが立派であるかないかに拘らず ただ親の愛を疑うことなく、無遠慮にその胸に飛び込めること。 ・しかもここでは、「自分のため」ではなく、「旅の途中にある友人のため」に求めている。神は私たちが「隣人へ    の愛の動機」によって求める祈りに、心を動かされる。   ✰ しつこく「義なる神」に訴えよう! また『神の子ども』として、あつかましく求めよう!   Outline of the sermon     “Why does God answer Read more…