聖書

(256) “神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。”

誰でも「問題のない人生」を望みます。しかし実際は「生きている限り問題に直面する」というのが現実です。ですから私たちの問うべき質問は「自分の人生にも問題は起こるだろうか?」ではなく、「問題が起こった時に、どう対処するべきだろうか?」なのです。 あなたの人生に問題が生じた時、あなたは誰に頼るのでしょうか? 親?友だち?それとも自分自身? 聖書は私たちにもう1つの、そして他の誰よりも確かに信頼できる存在を紹介しています。それはこの天地万物を造り、今も支配しておられる『創造主なる神』です。そしてこの『神』は、「私たちがご自身の許に身を避け、信頼を寄せる時に、私たちを苦しみから救い出してくださる方である」と証言しています。 しばしば聖書は私たちに「試練を喜ぶように」と勧めています。常識的に考えれば愚かしく聞こえます。何故なら、この世の価値観は私たちに『安全』や『問題のない人生』こそ善であると教えるからです。しかし私たちをこよなく愛しておられる神様は、私たちをご自身の許に引き寄せるためであるなら、人生の問題をも用いることが出来る方なのです。 神と人々とを憎んでいる悪魔は、私たちが恐れたり悲観的になったりするのが大好きです。しかし私たちが試練の中でも神に信頼し喜んでいる姿を見ると、なす術を失うのです。すなわち私たちが、周囲の状況や己の限られた能力に頼るのではなく、「神に深く信頼することによってのみ得られる真の平安」を見い出しその中に憩うとき、悪魔が張り巡らしている「この世の奴隷とする呪縛」から完全に解放されることができるのです!

メッセージ

2017430 「よみがえられたイエスとの交わり」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「よみがえられたイエスとの交わり」  (30/04/2017) ◆[ルカ24:13-32] エマオの途上での出来事 ・「イエスの死」によって完全に希望を失っていた弟子たちが、『復活の主』と出会って変えられた。私たちの 信仰生活も『十字架』ではなく、この『よみがえられたイエス』によって支えられるべき。 ◆「イエスのよみがえり」は、何を意味するのか? ①イエスは「父なる神のみこころ」を完全に成し遂げた。[使徒2:24] ・イエスが「罪なき生涯」を送られたからこそ、サタンは『死』の力によってイエスをつなぎとめることができなか った。父なる神は、このひとり子の生涯に満足された。[イザヤ53:10-11] ②罪の代価はすべて支払われた。 ・イエスが死を打ち破り、よみがえられたことは、もはやサタンが人間を「罪と死の力」によって支配すること ができなくなったことを証明した。[ローマ8:1] ・私たちの過去・現在・将来の罪の代価すべては、主イエスの十字架の死によって『支払い済み』となった。も はやサタンは私たちに何も要求する権利はないし、「死の恐怖」によって脅すこともできない。[ヨハネ11:25] ③私たちは今や「自分自身」ではなく、『神』に頼って生きるべき。[Ⅱコリント1:9] ・もはや人に弁明したり、自分を正当化したりする必要はない。神は知っておられ、公平にさばかれる。 ・私たちがしばしば試練に遭うのは、このことを思い起こさせるため。   ◎ 使徒たちのメッセージの中心は「イエスはよみがえって、今日も生きて働いておられる」 だった。  それは、今日も同じ! [使徒4:10-13]   Outline of the sermon     “Fellowship with risen Jesus.”    (30/04/2017) ◆[Luke 24:13-32] An Read more…