聖書

(259) “ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。”

聖書は「人間は生まれながらの罪人である」と指摘します。そしてそれは人類の始祖『アダムとエバ』以来、私たちの人間性の中に「罪を犯す傾向性」として巣食っています。 『アダムとエバ』が最初に犯した罪は「禁断の木の実を食べたことである」と描写されていますが、そのことを神から指摘された2人は早速その罪性を「自分の落ち度を他人のせいにする」という行動によって表現します。私たち人間はこんなに昔から「自分の非を簡単には認めない」という頑なさを固辞しているのです。 私たちが神の愛を知るようになり「神に喜ばれる者になりたい」と思い始めると、神はまずこの私たちの『頑なな心』から造り変えようとなさいます。ところが神はいつでも私たちの『自由意志』を尊重される方なので、無理やり私たちの心の中に入り込んでくるようなことはなさいません。私たちが自分から心を開いて「神様、こんな私を憐れんでください」と助けを求める時、神は喜んで私たちの心を優しく修復してくださるのです。 私たち人間は、どういうわけか自分の落ち度を責められると、自動的に『自己防衛スイッチ』が入り、言い訳をしたり、他人に罪をなすりつけたりしようとします。神はその性質をよくご存知だったので、敢えて私たちの罪をまず「十字架におけるイエス・キリストの身代わりの死」によって帳消しにし、もはや責められるところのない者としてくださった上で、私たちが恐れずに「自分の欠点や弱さ」を神の前に素直に告白できるようにしてくださったのです。 実際は、神の前に隠すことの出来るものは何もないのですが、神は敢えて私たちが幼子のように素直になって抱えている問題を自分から素直に告白できるようになるのを待っていてくださるのです。ですからもはや自分を無理に飾ることなく、ありのままの姿で神の前に進み出て、心のありのままを告白し、神に喜ばれる者へと変えていただきましょう。

メッセージ

2017年5月21日 「父が私を遣わされたように」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「父がわたしを遣わされたように」   (21/05/2017) ◆父なる神が御子イエスを遣わされたように [ヨハネ20:21] ◎御父と御子との間で交わされた会話(あくまで想像) *私たちも同様にして遣わされている。その全貌は明らかにされていない。 しかしイエスはいつも私たち1人1人と共におられ、その1歩1歩を聖霊によって導かれる。 ◆3つの重要ポイント ①父なる神の栄光を現すため [イザヤ43:7,ヨハネ17:1,4,マタイ5:16] ・「自分のガンバリ」ではどうしようもない。(『神の栄光』とはなり得ない) ・「どれだけ明け渡すか」がカギ。 ②キリストにあって造られた [エペソ2:10,ローマ8:28-29] ・『改善』ではなくて、『回復(復元)』。 ・家族が似てくるのは「努力」によるのではなく、「DNA(聖霊)の働き」 と 「一緒にいるから」。 ③聖霊によって歩まなければならない [ヨハネ16:14-15,ガラテヤ5:16-17, 24-25] ・御霊の賜物(力)と 実(品性)によって歩む。 ― いつも『選択』を迫られる。 ・イエスの地上での歩みに『十字架』が不可欠だったように、私たちも十字架の道を通る。 ✰来週からはこれらの内容を更に深く学ぶ   Outline of the sermon     “As the Father Read more…