お知らせ

2017年JCFクリスマス会報告

2017年12月10日 South City C3 Church にてJCFクリスマス会 『True Christmas 』 が行われました。 たくさんの料理や、歌、ダンス、演奏などの出し物、会場のデコレーションなど、教会員一人一人が神様から与えられた賜物を持ち合い、素晴らしいクリスマス会となりました。  

聖書

(285) “確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。”

「クリスチャンの人たちは、よく『神の導き』などと言うけれど、一体神様はどうやって導くのだろう?」などとお考えになったことはないでしょうか?確かに神様は私たちをご自身のみこころに従って導かれます。でもそれらは「はっきりと見たり聞いたりできる形で導く」というよりも、ある聖書のことばや、聖霊によって内側に湧いてくる強い思いなどによるもので、実際にそれに従って行動を起こしてみないと「あれは確かに神の導きであった」と確証しきれないものが多いのです。 1秒先さえも見通せない私たちは、占いや運勢などを頼りにして、何とかして将来の安全や確証を得ようとします。もしくは人生の先輩のアドバイス、過去の調査データ、また成功マニュアルなどを参考にしようとしますが、どれも私たちに100%の保証を与えてくれはしません。結局は「私たちがその対象にどれだけの信頼をおいているか」ということにかかってくるのです。 私たち家族は今から20年以上前に「海外宣教師」として日本から出発しました。神が私たちをそのように導いておられると確信したからです。当時まだ子供たちは幼く(2歳、4歳、6歳) 周囲には強く反対してくださった方々もいました。しかし私たち夫婦は「聖書のことばによる約束」と「聖霊による強い確信」に導かれて出て行ったのです。以来20年余、数々の危険や不自由な思いも経験しましたが、あのままずっと日本で生活していたら決して味わうことのできなかった特権や祝福そして神の奇蹟を味わうことができました。私たち家族は確かにこの20数年の歩みの中に『神様の御手』を見ることができるのです。 この「神に導かれて生きる信仰の歩み」というものは、一時的なものではなく、生涯続くものです。来年の今頃自分たちがどこで暮らしているのか想像もつきませんが、1つだけ確かなことは、この神様に信頼して従って行く限り、いつも大きな喜びと満足感を心の底に抱いて生きることができるということです。

聖書

(284) “私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか?”

神が人間世界に与えられた最も尊いものの1つが「愛による関係」です。しかしこれは『尊いもの』であると同時に『壊れやすいもの』でもあります。その『愛の関係』が誤った理由に基づいている時は特にそうです。 この世における『愛』はしばしば「条件付き」です。「相手が優しいから」「欲しいものをくれるから」「可愛いから」「一緒にいると楽しいから」などなど。時には親子関係においても「ちゃんと言うことを聞いてくれたらオヤツをあげる」とか「次のテストで百点を取ったら許可する」などという条件によって「親からの褒美を勝ち取る」習慣を身に着けさせられます。 私たちが聖書によって神の愛を知り、イエス・キリストを通して『神との愛の関係』の中で歩き始めても、「何故神がそれほどまでに私たちを愛してくださっているのか?」ということを誤って理解していると、神の愛を疑ったり、神からの凝らしめを恐れたりするようになってしまいます。「こんな失敗をしてしまったから、もう神は私を見捨てるのではないだろうか?」「いくら努力しても立派になれない自分に、神は呆れてしまうのではないだろうか?」 では逆にこんな質問をしてみてはどうでしょう?「神は私を愛することを止めてしまうことがあるのだろうか?」あなたが以前の悪習慣に逆戻りしたとしたら、人助けをするチャンスを見てみぬふりをしてしまったら、そしてあまりの苦しさのため、つい神を呪ってしまったとしたら・・・ 神はもう2度と愛してくださらない方なのでしょうか? 聖書は断言します。「決してどんなものも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません!」そうです。『神の愛』は「私たちがどんなものであるか?」に基づいているのではなく、「最愛のひとり子イエス・キリストの故」なのです。イエス・キリストが、ご自分の立場を私たちと入れ替わってくださり、私たちの身代わりに十字架にかかられたので、今や父なる神は「イエス・キリストを愛していた愛」によって私たちを『無条件』で愛してくださるのです。

メッセージ

2017年12月17日 「神に用いられる教会(人)」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「神に用いられる教会(人)」      (17/12/2017) ◆神への依存 [ヨハネ15:5,Ⅱコリント12:9] ・神の目的は「ご自身の栄光を現す」こと。それ故『自分自身に頼る人々』を用いることはできない。 ・神はしばしば「私たちの常識とは異なった方法やタイミング」でみわざを行われる。私たちが『自分の考え』に 固執しているなら、神と足並みを揃えて働くことはできない。 ◆目的をもって「選ばれた」 [ヨハネ15:16] ・どのような『神の選び』にも「実を結ぶこと」と「祈ること」が伴う。(神からの『召命』をつかみ、「神の方法」で行う) ノアの例  召命:箱舟を造る  方法:1つ1つを神の指示通りに。 ・全く前例がなかったので、神に頼るしかなかった。しかし現代の最新技術に匹敵する完璧な構造。   [Ⅰコリント2:9] = これが「神を愛する者(教会)」のために備えられているもの。 ✰12月31日まで、ひたすら主を求め、召命を求め、具体的にどうしたら良いのかを求めて行こう!   Outline of the sermon     “The church (people) that God uses.”    (17/12/2017) ◆Be dependent on God. [John15:5,ⅡCorinthians12:9] ・We are Read more…

聖書

(283) “彼らのしていることはみな、人に見せるためです。”

『偽善』という語(普段あまり耳にすることはありませんが…)を好きな人はあまりいないと思いますが、実際にその意味を十分に把握している人も多くはないのではないでしょうか?『偽善』を簡単に説明するならばそれは要するに「自分を人に良く見せようとすること」と言えるでしょう。ということは「誰の心にもありがちな思い」なのではないでしょうか?イエス・キリストは多くの面で「寛容と愛情深さ」を示されましたが、この『偽善』に対しては徹底的に挑戦されました。何故だと思いますか?それは「人に良く思われたい」という心は、しばしば「神を見失わせる」からです。 例えばアナタは、今からしようとしている『良い行い』が決して誰の目にもつかないと初めから分かっていても、相変わらずそれを行うでしょうか?もし「それならやっても仕方がない。や~めた!」となってしまうとしたら、アナタは『偽善者』なのです。イエス・キリストは「あなたがたの右手がなそうとしている良いわざを、左手に気付かれないようにしなさい」とさえおっしゃいました。『良い行い』は本来「こっそりと」行われるべきものなのです。でも安心してください。神は私たちのすべての行い(隠れたものも含めて)をご存知です。私たちがどんなにこっそり『小さな親切』をしたとしても、決してそれを見逃したりはしません。神は憐れみ深く、愛に富んだ方ですから、私たちの『愛と憐れみの心』に敏感に反応され、そのような心から純粋に現された『良いわざ』に報いを与えないではいられないのです。

聖書

(282) “愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。”

私たちは皆「人は1人では生きていけない」ということを知っています。そしてそれは『物理的』な理由だけではなく『精神的』な理由においても言えます。私たちは「真に正しい生き方」をしていくために、お互いの助けを必要としていますし、神様はしばしば私たちと周囲との人間関係を通して『良きアドバイス』を与えてくださいます。問題は、そのような(時には耳の痛い)忠告に私たちが素直に耳を傾けることができるかどうかです。 私たちは「自分はまだ不十分である」と感じている時には積極的に周囲の忠告に耳を傾けますが、「自分はもう大丈夫」と思い始めたとたんに耳を貸さなくなります。もし神様が私たちに「そこそこの(無難な)人生を歩んで欲しい」と思っておられるならば、それで良いのかもしれません。しかし実際はそうではなく、私たち1人1人を『最高傑作』として創造なさった神様は、それにふさわしく私たちに『最高級の人生』を歩ませようとなさいます。それ故私たちの周囲に様々な人々を送り、その時その時に必要なアドバイスを与えてくださるのです。 では、私たちは「優れたアドバイザー」と「そうでないアドバイザー」とをどのようにして見分けることができるのでしょう。いくつかの要素が考えられますが、まず「客観的に物事を判断してくれる人」「話を最後まで良く聴いてくれる人」「早急に結論を出さない人」などが考えられます。私たちはつい「自分の身になって同情してくれる」「すぐにアドバイスをくれる」などの要素を期待してしまいますが、それに応えてくれる人はやや危険性を持っているのでご用心を。神の知恵に基づいて適切なアドバイスを与えてくれる人は、そのために神に祈りつつ十分な時間を掛けてくれるので、必ずしも「欲しいタイミング」で応えてはくれないかもしれません。でもそのような人はある意味「人並み以上の耳や目」を持っているのです。あなたはそのような人からのアドバイスを望みますか?もしそうなら、神様が送ってくださる『良きアドバイザー』からの忠告に耳を傾ける心をもって日々歩みましょう。

メッセージ

2017年12月3日 「教会の第1の使命」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「第1の使命」         (03/12/2017) ◆ [ローマ15:5~6] 「父なる神をほめたたえる」 ― 何故? また、どのように? ①忍耐と励ましの神 - 決して「キレない」神。 決して「あきらめない」神。 ・私たちの望んでいるタイミングとは違うかもしれない。しかし必ずみこころを成し遂げる神。 ②キリスト・イエスにふさわしく(キリストに「従って」「倣って」) ・イエスがいつも御父を見上げ、御顔を慕い、信頼して歩んだように。 御父に「喜ばれている者」として。 ③同じ思いを持つ(「同じこと」を考える) ・天の父は「良い父」である! ・すべての賛美を受けるべき唯一のお方。 ・「永遠の視点」を持って。 ④心を1つにして(『使徒の働き』に多用されている表現) ・「私たちの希望は、他ならぬ『アナタ』にあります!」という信仰告白を固く保つ。   ⑤主イエス・キリストの父なる神 ・主イエスを通して表現された神。 ・御子イエスを代価として差し出された神   Outline of the sermon        “Primary mission of the church.”       (03/12/2017) ◆ [Romans15:5~6] “To glorify God” ― Why? And Read more…