我が家の長男の妻はニュージーランド人ですが、ラーメンが大好きです。私たちの住むクライストチャーチにもいくつか「それなりのラーメン」を出すお店はありますが、当然「日本にある美味しいラーメン屋」には到底及びません。2年ほど前に同じ時期に日本を訪問したことがあり、そのとき私たち夫婦が知っているとっておきのラーメン屋に連れて行ってご馳走してあげたら、彼女はこう言いました。「お父さん、お母さんの意地悪!こんなに美味しいラーメンを食べてしまったら、もうクライストチャーチのラーメン屋さんには行けなくなっちゃうじゃない!」私たちが『本物』に触れたとき、もはや私たちは「まがい品」では満足できなくなってしまうのです。

神は私たちを「この世が提供するもの」によってではなく、「神ご自身からしか受け取ることのできないもの」によって生きるようにお造りになられました。ですから私たちは本来「この世にあるもの」では真の満足を体験できないわけなのですが、神から離れて生きている私たちは「本物が与える真の満足」を知らないので、ある人々は「まがい品が与えるそれなりの満足」にごまかされ、またある人々は常に「物足りなさ」を感じているのです。

上記の聖書のことばに出てくる『御霊』とは、人が不信仰によって神から離れてしまう前に神から与えられていた(すなわち、本来人間が生まれつき持っているはずだった)「神ご自身の霊」です。『御霊』は私たちを「神の愛」「神の喜び」「神の平和」へと導き、まさに「人間が本来歩むはずであった人生」へと私たちを導いてくれるのです。「御霊によって歩む人生」が私たちに与えてくれる『満足』を味わったなら、もはや「この世が提供する満足」では物足りなくなるのです。

イエス・キリストは、地上におられる間まさにそのような人生を生き、そして私たちと神との致命的なギャップを埋めるために私たちの代わりに十字架にかかられ、そして今私たちはこのイエス・キリストの身代わりの死を『自分のこと』として受け入れる時神からの賜物としてこの「神の霊である『御霊』」を与えられ、それまでとは全くレベルの違った平安や喜びを抱いて生きることができるようになるのです!

Categories: 聖書

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