『三無主義』(無責任・無関心・無感動)という言葉が取り沙汰されるようになって久しいですが、どうやらこれは日本だけのことではなく、世界的な傾向になっているようです。本当に悲しいことですね。

世の中が便利になればなるほど、私たちは「もっと迅速に、もっと多くを」追求するようになり、自分の日常に益をもたらさないことに関しては、つい「それは私の責任範疇ではないから」とか「そんなことに関わり合っている暇はない」などと言って、助けを与えることを拒否してしまいがちです。

神様は元々人間を「1人では生きられないように」お造りになられました。私たちは皆「互いに助け合う」ように造られているのです。そんな私たちが「互いに助け合うこと」を忘れてしまったら、ドンドン『人間らしさ』を失って行ってしまうに違いありません。では、どんなことから始めたら良いのでしょうか?

「互いに助け合う」ために、何もいきなり『ボランティア活動』に登録する必要はありません。まず自分の周囲に関心を持つことから始めましょう。「助けが欲しいなら、そう言ってくれればいいのに…」という人がいるかもしれませんが、本当に深刻な必要に迫られている人ほど、それを他の誰かに打ち明けるのには大変な勇気がいるものです。「周りを見ても皆忙しそうにしている。自分なんかのために時間を割いてもらっては申し訳ない。自分のことは自分で何とかしなければ…」と自分に言い聞かせながら、ドンドン悪い状況へと陥って、しまいには手遅れになってしまうのです。だからこそ私たちの側でまず周囲を見回す機会を持ち、こちらから声を掛けてあげるべきなのです。

助けを必要としている人を見つけたら、その人にしっかりと『アイコンタクト』を取りながら、辛抱強く相手の話を聴いてあげましょう。大抵の人は「この人は自分に関心を持ってくれている。親身に聞こうとしてくれている」と感じただけで、グッと心が軽くなるものです。たとえ相手が必要としていることがアナタの手に負えないことだったとしても「重荷を共有してもらえた」という安心感が相手に希望を与えます。そしてその人の「真の緊急の必要」のために、一緒に助けを探してあげることができたなら(多くの場合、問題のただ中にいる人たちは、客観的に自分の状況を見ることができず、正しい判断を下すことができません)、神様はそんな私たちの姿をご覧になって微笑まれるのです。

Categories: 聖書

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *