(128) “怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。”

喜び・憂い・怒りなど、私たちの持っている感情はすべて神から与えられたものであり、基本的には良いものです。私たちは正しいものが損をしたり、弱いものが虐げられたりしているのを見るとき、怒りがこみ上げてくるのを感じます。これは、この地上に正義がもたらされるためにどうしても必要なものです。  ところがこの『怒り』を自分で制御できなくなってしまうようになったら、それは危険信号です。自制されない怒りは人間関係を破壊し、事の真実を見失わせ、神を悲しませる結果を生みます。『家庭崩壊』『幼児虐待』『殺人』『戦争』などなど。では、どのようにして私たちはこれらの「行き過ぎた怒り」から自分を守ることができるでしょうか?  第1に「怒りを表現する前に、少し間をおく」ことです。ほとんどの場合『怒り』の原因は「出来事そのもの」というよりもむしろ「それに対する認識や感情」です。私たちはよく「あの人があんなことを言ったから」とか「こんなことをされたから」などと言いますが、実際はあなたが「自分でその言動をどう理解したか」に原因があるのです。もしあなたの感情が他の人から言われたりされたりしたことにいちいち影響されていたら、まるであなたは周囲の人の奴隷のようです。そうではなくて、むしろ「ちょっと待って。今のはどういう意味?」とか、「私が誤解しているかもしれないから、もう1度良く説明してくれる?」と尋ね返す余裕を持ってください。  2番目は「怒りを溜め込まない」ことです。私たち夫婦は結婚してまもなく1つの約束事をしました。それは「もし喧嘩をしたとしても、寝る前までに必ず和解する」という約束です。『怒り』や『相手に対するわだかまり』をそのままにしておくと、ぐっする眠ることもできないし、2人の間の溝はドンドン深まっていきます。「どちらが悪かったかをはっきりさせること」よりも、「ともかく和解すること」のほうがずっと重要なのです。  怒りからは決して『平安』は生まれません。かえって『怒りの香り』は悪魔を引き寄せるのです。私たちの生活から『過ぎた怒り』を締め出して、悪魔を失業させてしまいましょう!

2014年6月15日 「神の国のエージェント」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の国のエージェント」     (15/06/2014) *私たちの『セルフイメージ』は、「私たちがどんな『世界観』を持って生きているか」に大きく関係している。 ◆2つの世界観   ①下等なものがより高等なものへと進化する過程の中で人間が生まれた。それ故人間は更なる向上のために     努力を続けていく。      特徴:もっと良くなるかもしれないし、ならないかもしれない。とにかくいろいろと試す。[科学者的世界観]   ②神がすべての点で良いものを造られ、それを人間の手に委ねた。ところが人間と神との関係が壊れたために     すべてが堕落へと向かった。神は自分の手でそれを回復しようとはせず、まず私たちとの関係を修復するこ     とによって、私たちを通してそれらを回復しようとしている。      特徴:「もっと良くする」のではなく、「元通りの状態に回復させる」。[医者的世界観] ◆①と②との大きな違い    ①の場合は、「自分に何ができるか」が重要であり、合格・不合格がある。また『問題』を避ける傾向がある。    ②の場合は、「誰のために生きるか」が重要であり、『成績』より『忠実さ』を重視。『問題』に向かっていく傾向。 ◆イエスの世界観は?[マタイ9:10-12] ― イエスは私たちを「3つの働き」のために遣わされる。[マタイ10:5-8]    ①神の国のメッセージ [Ⅰペテロ2:9, 箴言1:7]      ・「神を恐れる」とは、「神以外の何者をも恐れない」ということ。[ローマ8:31]    ②『病人の回復』 [マタイ5:13-16] ・世界は病んでいる。私たちはそれらを回復させるために遣わされている。    ③病原菌(悪霊)を撃退 [エペソ6:12,ヤコブ4:6-7,Ⅰヨハネ4:4] ・病気の元(本当の敵)を見誤らないように。 ◆イエスが目指していたこと [ヨハネ4:34] ✯あなたは、この世のどんな病と闘うために遣わされていますか?   Outline of the sermon       “The agent of God’s Kingdom.”    (15/06/2014) *How we build ‘The relationship with ourselves’ is based on our Read more…

(127) “キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。”

ある牧師がこんなことを言いました。「地上のあらゆる場所に『万有引力の法則』が働いていて、他の力が働きかけない限り物質は必ず上から下に向かって落ちていくように、すべての人間の心の中には『自己中心性の法則』が働いていて、意識して他の人のために生きようとしない限り、私たちは自分が楽をしたり得をしたりするように行動するものである。」 確かにその通りですよね。私たちは知らず知らずのうちに「何かいいことないかなぁ。誰かうまい話持って来てくれないかなぁ。」と周りが自分のために動いてくれることを期待してしまう傾向があります。  イエス・キリストの生涯は、これとはまるで違いました。彼は病人や貧しい者をあわれみ、世間からつまはじきされていた人々と多くの時を共に過ごし、そして罪と死に縛られていた私たちを解放するために、身代わりに十字架で死なれました。彼の生涯はまさに「自分自身のため」ではなく、「他の人々に仕えるため」だったのです。そしておっしゃいました。「私があなたがたに仕えたように、互いに仕え合いなさい」。  多くの人々(クリスチャンの方々でさえ)は、「イエス・キリストは『特別な人(神の子)』だったのだから、そんなことができて当たり前だ!」とおっしゃいます。でもちょっと想像してみてください。イエスが十字架にかかる前の晩、有名な『最後の晩餐』の席で、イエスは弟子たちの足をお洗いになりました。天と地の創造者、私たちの神である方が、私たちの汚くて臭い足(弟子たちの中には漁師たちもいました!)を素手で洗ったのです。何という『謙遜』、何という『無私』なのでしょう!恐らく私たちは、私たちのクラスの先生、また上司などがそんなことをしてくれたとしても驚きあきれ、恐れ入ってしまうのではないでしょうか?(まあ、そんなことをしてくれる『先生』や『上司』など聞いたこともありませんが…)しかし仮にも『神の子』と呼ばれた方が私たちにそのような模範を示されたのだとしたら、私たちは今日から人生に対する態度を改めなければならないのではないでしょうか?

2014年6月8日 「イエスが来られた3つの理由」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「イエスが来られた3つの理由」     (08/06/2014) *世界の歴史上最大の出来事 ― 神が地上に来られた! では、何故彼(イエス)は地上に来られたのか? 1 『神』を証するため   ・神は「概念」ではなく、『人』となられた。そして「神とはどういう方か?」を教えるために『自分』を指し示した。   (わたしが、道・真理・いのち、世の光、いのちのパン、わたしについて来なさい、わたしにとどまりなさい etc)[ヨハネ14:9]   ・「神が愛ならば、何故こんな苦しみがあるのか?」と言う人は、イエスが苦しむ人々をどう扱われたかを見ればよい。   ・イエスは「失われた者を捜して救うために来られた神」、そして「私たちの自由意志をあくまで尊重するために、    自分のいのちさえも犠牲にされた神」。 もし「神とはどういう方なのか」を知りたければ、イエスに注目すれば良い。 2 「人のあるべき姿」を証するため [ヨハネ13:15]   ・イエスはしばしば「わたしがしたようにOOしなさい」とおっしゃった。人々がイエスを通して神を見たように、イエ    スは私たちを通しても神が証されること(神の栄光・聖さ・愛が現されること)を期待しておられる。   ・『律法主義』の間違いは「厳しすぎること」ではなく、「厳しさが徹底していないために、『守れるかも?』と錯覚さ     せること」。マタイ5~7章には、イエスの驚くべき道徳基準が述べられている。[マタイ5:20,48]   ・私たちは、「神の道徳基準」をいつも求めて生きるべきであり、その上で「自分にはできない!」と認めるべき。 3 神と人とをつなぐため   ・イエスにとっての最大の試練は「十字架への道」。与えられた自由意志の故、避けることもできた。でもしなかっ    た[マルコ14:36]。ただ父なる神に対する愛と従順、そして私たちへの愛と救いの完成のため、敢えてその自由    意志で「身代わりの死」を選んだ。ここに私たちに対する『究極の模範』、「神と人との関係の結晶」がある。 ✯人が神への全き信仰と従順に基づいた自由意志によって神と結ばれる時、死からいのちが生まれるのです!   Outline of the sermon       “Why did Jesus come to the earth?”    (08/06/2014) *The most significant event in history ― Read more…

(126) “神の国とその義とをまず第1に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。”

  すべての人間にとって『関係』というものは大きな祝福であり、また課題です。「豊かな関係」を通して私たちは励ましを受け、勇気付けられ、生きる意欲が湧いてきます。一方で「壊れた関係」によって私たちは傷つき、落ち込み、時には自殺に追い込まれることさえあります。もし「関係の達人」がいるとしたら、その人こそまさしく「人生の達人」と呼ばれるにふさわしい人でしょう。  人は誰でも「3つの関係」の中に生きています。 ①『神との関係』 ②『自分との関係』 そして③『周囲の人々との関係』です。ほとんどの人々はこの③の関係を築くことに多大な労力を費やしますが、実際は①の関係が正しく築かれて初めて健全な②の関係が築かれ、①②の関係を豊かに築いている人だけが、真に円滑な③の関係を築いて行くことができるのです。  人はこの天地万物の神、すなわち自分自身の創造主を知ることなしに、自分自身の真価を理解することはできません。「自分の親」と呼べる存在を知らずに育った孤児が「自分自身の健康な家庭」を築くことに戸惑うように、「自分のありのままを喜び、愛し、完全に受け入れてくださっている方」との豊かな関係の中に生きることなしに、健康なセルフイメージは育てようがないのです。  しかし、この真実な愛を基礎にして自分自身を建て上げている人は、その愛を動機として周囲との関係を築こうとします。このような人は拒絶を恐れません。それが自分の価値を落とすことがないことを知っているからです。むしろそのように拒絶する人々さえも愛し受け入れることができます。何故なら『本物の愛』は、それを必要としている人々のところへと流れていこうとする性質を持っているからです。  私たちを造られた神は、真の意味で私たちに必要なものが何であるかをご存じです。私たちがそれを受け取ることができるのは神からだけであり、そのため神は私たちがそれを求めてご自身の許にやってくるのを心待ちにしておられるのです。

2014年6月1日 「神との関係」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ            「神との関係」        (01/06/2014) 1 愛に基づく「契約関係」(旧・新『約』聖書)   ・普通の契約は「双方の合意によって」成り立つが、これと違って、神が私たちと結ばれる契約は『一方的』。そ    の目的は「私たちが神への愛と信頼において成長し、豊かないのちに生きるようになる」こと。そのために神は    私たちの態度に関らず、ご自身の完全な愛・力・善意によって、私たちに誠実を尽くし続ける。      *『信仰』とは、この神の一方的な契約に信頼し、それに誠実に応えようとする私たちの態度。      *『罪』とは、この神の愛に対して、愛によって応えようとしないこと。 2 「親子関係」や「夫婦関係」にたとえられている   ・どちらもその初期においては『盲目的』。しかし、ある時期が過ぎ互いに対する理解が深まると、ガッカリしたり    気持ちが冷めたりする。   ・神との関係(信仰生活)も初めは「無知・盲目的」で良い。ただ素晴らしいことに、親子や夫婦の関係とは違って    神との関係は、相手のことを知れば知るほど、強められ、深められる。      *『親子関係』で重要なのは、「子供が親の善意をどこまで信頼できるか」ということ。      *『夫婦関係』で重要なのは、「相手の弱さや失敗を、どこまで赦し覆っていくか」ということ。 ◆恵みとまことに満ちた神 [詩篇86:15]   ・神が、ご自身との関係において私たちに体験させてくださるのは、この『恵みとまこと』。別の言葉に言い換えるなら、「不動の正義・誠実さ」と「徹底的な赦しとあわれみ」。   ・悪魔が私たちを攻撃するための常套手段は、①相手の誠意を疑わせること  ②不完全な自分を責める心 ✯私たちの神は、「あきれず、あきらめない神」です! [ヘブル13:5]   Outline of the sermon         “Our relationship with God.”      (01/06/2014) 1 The Covenant based on God’s love.   ・Ordinary contract is based on ‘agreement from both Read more…

(125) “神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる…のです。”

1961年、初のロシア人宇宙飛行士として飛び立った無神論者『ユーリ・ガガーリン』は、地球に戻って後次のように述べました。「私はロケットからあちらこちらをじっくりと見回したが、どこにも神など見当たらなかった。」  確かに彼は人類のほとんどが眺めたことのない世界をほんのちょっとだけ見回してきたかもしれませんが、それで「神はいない」と結論付けるとしたら、それはあまりにも浅はかです。もしあなたが1秒に2つのペースで星を数え上げていったとしても、『天の川』の中にある星だけを数えるのにさえ2000年以上かかるのです。そしてまた、標準の大きさの星でさえ、その直径は100億人以上の人間が手をつないでならんだよりも長いのです。それほどに広大な宇宙の一体どこを眺めてきて「神はいなかった」と結論付けられるというのでしょう!?  聖書には「この広大な宇宙でさえ、神の『ほんの指先のわざ』にしかすぎない」と書かれています。そしてその「『ことばでは到底言い尽くせないほどの偉大な神』が、私たち人間を心に留めておられる」というのです。このお方を、私たちのほんのわずかな知識や経験によって結論付けようとするのは、人間の傲慢以外の何物でもありません。神は「人間の探求によって見出される」存在ではなく、唯一「神ご自身がみずからを啓示される」ことによってのみ私たちが感知可能なお方です。  優れた物理学者であり天文学者でもあったニュートンは「宇宙は大きな聖書である」と言いました。そうです。神はその認知不能なご自身の偉大さを私たちに啓示されるために、この広大な宇宙を私たちの面前に広げ、またその愛の深さを知らせるために、私たちに『聖書』を与え、更にまた人の形をとって現れてくださったのです。

2014年5月25日 「3つの関係」

マイク宣教師の証をダウンロードして聴く メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ            「3つの関係」        (25/05/2014) ◆わたしたちを取り巻く『3つの関係』     ①神との関係  ②自分自身との関係  ③隣人(周囲の人々)との関係   ・神が人を造られてからまもなく、これらが ①   ②   ③の順に壊れた。     ①罪(不従順)によって、 ②目が開かれ、自分の裸を恥じるようになり、 ③人のせいにするようになった。   ・私たちはこの②③を修復しようとあがくが、①が完全に修復されて初めて、②   ③とついてくる。 ◆[ルカ10:38-42]   ・マルタは初めイエスを喜んで迎えた。[38節]   ・ところがそのうちに喜びが失われていった。[40節]     何故?(キーワード「いろいろなこと」)      彼女には「自分の理想とするおもてなしスタイル」があり、『自分との関係』にイラついた。      自分の思い通りに動いてくれないマリヤ(隣人との関係)にイラついた。   ・しまいには、「喜びの対象」であったはずのイエスにまでイラついた! ◆イエスの応答 [41~42節]   ・これをひと言に言い換えるなら、「マルタ、あなたの優先順位は間違っているよ。」   *次週からは、これら「3つの関係」それぞれについて詳しく学び、 正しい順序でしっかりと修復していきましょう!   Outline of the sermon           “3 relationships involve us.”        (25/05/2014) ◆There are 3 relationships involve us.     ① Relationship with God.   ②Relationship with ourselves.   ③ Relationship with others. Read more…

2014年5月18日 「弟子への招き」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ            「弟子への招き」        (18/05/2014) ◆「救い主」から『主』へ(献身)   ・クリスチャンと神との関係は(親子関係のように)その成長の過程で変化する。       「自分のための神」から、「神のための自分」へ [ヨシュア5:13-15,Ⅰ列王記22:5-8]   ・神は、すべての人が「キリストによる救いを得ること」を望んでいるのと同様に、すべてのクリスチャンが、    この「『神のための自分』を見出して生きること」を望んでおられる。[Ⅰコリント6:19-20] = 「献身」   ・神は『献身』を強制しない。これは、信仰生活の途上で起こるべき、各自の「自由意志による選択」。 ◆「信者」と『弟子』   ・私たちが自由意志によって神に対する態度を選べるのと同様に、神もご自身の自由意志によって「私たちの    用い方」を選ぶことができる。そして神は限られた人々をご自身の『弟子』としてお招きになる。[マルコ3:13]   ・神はその「特別な目的」「特別な働き」のために、これらの人々をその絶対的主権によってお選びになる。それ    はその人の優劣には関係がない(「ヤコブとエサウ」の例)。従って選ばれたからといって誇ることはできないし、    選ばれなかったからといってガッカリする必要もない。(パウロの『弟子』としての姿勢 [Ⅰコリント9:16])   ・実際、弟子に任命されて得することはあまりない。苦労は増えるし、捨てるものも多い。[ルカ14:27他]    ただ1つだけ確実なことは「主の身近に歩める」ということ。   ・主はご自身の自由意志によってお招きになるが、招かれた側にも『拒否権』がある。 ✯「もし主がお呼びになるなら、私は答えたい!」 という人は?   Outline of the sermon            “A Calling.”          (18/05/2014) ◆ From “my Savior” to “my Lord”. (Commitment)   ・As ‘the relationship between a child and parents’ has Read more…

(124) “なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。”

 聖書は人の『罪』ということを問題にしますが、私たちは『罪』と聞くと、「してしまった悪いこと」というものを思い浮かべます。「他の人の物を盗んだ」とか「不倫をした」とか「人を殺した」などなど。確かにこれらは神の前に『罪』に違いありませんが、実は聖書はむしろこれらのこと以上に、私たちが「しなかった良いわざ」の方を問題にしています。  イエス・キリストはこの地上を歩まれた際、多くのことを「たとえ話」によって教えられましたが、それらの中には「灯火のために十分な油を用意していなかった娘たち」や「せっかく主人に預けられた予算を活用しなかったしもべ」や「自宅の門の前に横たわっていた乞食に施してやらなかった大金持ち」などの話があります。そして極めつけは、イエスが『最後の審判』に関してなさったたとえ話です。イエスは「天国へ迎え入れられる人々」に対しての祝福のことばを述べられた後、「地獄へと投げ込まれる人々」に向かって次のように言います。「あなたがたは、わたしが飢えていた時に食物を与えず、わたしが渇いていた時に飲ませず、旅人であったときに宿を与えず、裸だった時に着る物をくれず、病気や牢にいたときに訪ねてくれなかった。」 人々は驚いてイエスに尋ねます。「一体いつ私たちはあなたに対してそのようにして差し上げなかったでしょうか?」と。するとイエスはこう答えるのです。「あなたがこの世の最も取るに足りない人々にしてあげなかったことは、実はわたしにしてくれなかったのです。」  神は日々あなたに「なすべき良いこと」の機会を与えておられます。それを見過ごさないように!