聖書

(336) “神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。”

私が高校生だった頃、クラスに陰湿な『いじめ』がありました。当時はまだ現代のような「邪悪な暴力」はまだありませんでした。ですから通常のいじめというのは、「いつも鼻をたらしている子をちょっとからかう」とか、「ウンチをもらしたことのある子に『やーいやーい、ウンコもらし~!』と囃し立てる」など、大抵はっきりした原因があり、いじめ方もあからさまで分かりやすいものでした。ところが、私のクラスで行われた『いじめ』はそれとは少し違って、数人のグループで突然理由もなくクラスの1人をターゲットにして「無視する」というものでした。無視され始まった本人は、一体何が起こっているのかまるで分からず、初めの内は冗談だと思ってしきりに話しかけようとするのですが、それが無駄だと分かると「何か自分に原因があるのかな?」と思い始め、一生懸命に謝ったり理由を尋ねたりし、それも通用しないことが分かると段々ふさぎ込んで、しまいには不登校になる、というパターンでした。「いじめっ子グループ」はそのプロセスを楽しんで、次々とターゲットを変えていったのです。私は自分を「真面目な良い人間」だと自負していましたので、そんなグループには決して加わりませんでしたし、心の中でそのような輩をさげすんでいました。しかしある時自分の友人がそのターゲットになってしまい、私は次に自分がターゲットにされることを恐れて、友人を救うことができなかったのです。 聖書は「すべての人は神の前に罪人である」と言います。私たちは「自分はそれなりに良い人間だ。『罪人』などと呼ばれる筋合いはない!」と主張しますが、同時に「自分の心には一点の曇りもない」と主張できる人間は1人もいません。私たちはつい自分を他の人と比べながら「自分はマザーテレサほどは立派ではないかもしれないけれど、ヒットラーよりはマシなはずだ」と言い聞かせますが、神の望んでおられる『潔白(義)』のレベルにたとえ1センチ足りなかろうが、100メートル足りなかろうが、私たちは皆同じ『罪人』なのです。 しかし聖書は同時に驚くべきことを語ります。「イエス・キリストは罪人を救うために来た」というメッセージです。キリストは私たちに「正しいこと(義)を教えに来た」のではなく、私たちの代わりに正しく潔白な人生を送り、そのご自身の『義』を私たちに与える代わりに、私たちの『罪』をすべて請け負って、その身を神へのいけにえとして捧げたのです。 これが聖書が私たちに伝えようとしている最大のメッセージです。そして『クリスチャン』とは「良いことをしようとしている人たち」ではなく、このメッセージを自分のこととして受け止め、このキリストの愛に心を動かされて1日1日を精一杯生きている人々のことなのです。

メッセージ

2019年3月17日 「乳飲み子を持つ母親のように」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「乳飲み子を持つ母親のように」    (17/03/2019) ◆『内なる御霊』とはどういう方か? ― 良いニュースと悪いニュースがある。 良いニュース:御霊は「紳士」(優しく穏やか)。決して私たちの『自由意志』を冒さない。無理強いをしない。 悪いニュース:御霊は私たちの都合(タイミングや方法)に合わせてはくれない。⇒「乳飲み子と母親の関係」のよう。 ◆「御霊と共に歩む」ために心がけるべきこと ①経験を積む(失敗しても良い) ・御霊がアプローチしてくる方法やタイミングを覚えておく。(もちろん、ワンパターンではない!)   ②臨機応変でいること ・御霊は『法則』ではなく『人格』。「自分の予定や考え」で自分を縛り付けず、いつも「目を覚まして」おく。 ③献身(主権を明け渡す) ・御霊は無理強いしないので、私たちが注意を払うまで「いつまででも待つ」。しかし『人格』を持つので、彼は 悲しむ。[エペソ4:30] だからこそ、気付くのに遅すぎたり、無視し続けたりしないで! ✰今日の大切なひと言: 御霊は『人格』。放っておかないで!   Outline of the sermon    “Like a mum who has a baby.”    (17/03/2019) ◆Who is “the Read more…

お知らせ

2019年JAPAN DAYに参加しました!

2019年3月3日(日)に行われたCanterbury JAPAN DAY 2019に、今年もJCFが参加しました!出店やキッズゾーン、フェイスペインティング、無料のお茶&お菓子などでとても賑わいました。賛美と礼拝の時間もあり、たくさんの方々に神様の良い知らせを聞いてもらうことができました。

聖書

(335) “あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。”

私たちは皆、自分に都合が悪い状況に陥った時に、そこから逃れるための常套手段を知らず知らずのうちに学んでいます。『言い訳』です。「だってみんなやってるんだもん」「だってこんな結果になるなんて知らなかったんだもん」「そうする以外方法が無かったんです」などなど、誰に教わったわけでもないのに、これらの『言い訳』を私たちは駆使して苦境から脱出しようとします。 もしあなたが「本当の意味での幸福」を手に入れたいなら、自分を苦境から逃れさせてくれるのに非常に便利なツールであるこれらの『言い訳』を用いる前によぉく吟味する必要があります。例えば「みんなやってることだから…」と言いますが、何故それがあなたの行動を決定する要因になったのですか?彼らはあなたが窮地に立たされた時に、あなたを助けてくれるのでしょうか?あるいは、人生の終わりの時に神の前に立たされた時「どうしてあなたはあの時あのような行動を取ったのか」と神に尋ねられたら「だって他の人たちもしていましたよ!」と答えるのでしょうか?あなたは神を誤魔化すことができるほど賢いのでしょうか? ほとんどの『言い訳』は、神から与えられている私たちの『良心』を麻痺させる力を持っています。「正しい良心を保って生きる道」を捨てさせ「悪魔の策略に順応して世渡りする術」を磨かせるのです。私たちは『言い訳』を使って危機を脱出したつもりでいますが、実は悪魔のワナにまんまとはまってしまっているのです。 『神の真理』である聖書の教えは私たちを真の意味でこれらの「目に見えない縄目」から解放してくれます。「人目を恐れる生き方」から「誰の目をも恐れずに生きられる人生」へと脱出させてくれるのです。あなたは「ほんの一瞬だけの自由」と「永遠の解放」のどちらを手に入れたいですか?

メッセージ

2019年3月10日 「イエスと神の御霊」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「イエスと 神の御霊」    (10/03/2019) ◆イエスは『正真正銘の人間』だった ・イエスは頭のてっぺんから爪先まで『人間』であり、洗礼を受け神の御霊が注がれるまでは何も奇蹟をなさらな かった。しかし神はイエスにご自身の霊をお与えになった時、その喜びを爆発させた。これは私たちに同じ御霊 を注がれる時にも起こる。これが「天地創造以来、御父が望んでおられた」こと。 ◆私たちの内に住まわれるのは? ・「人間イエス」を『神の御子』とならしめたのは「神の霊の働き」。それ故私たちの内におられるのは「神の霊」でも「御子イエ スの本質」でもあると言える。[ヨハネ14:16-17,16:14] この方を「イエス様」と呼んでも「聖霊様」と呼んでも問題ではない。 ・私たちは、この「内なる方」の故に『神の子』である。「神の子らしく生きているから」ではない!そして「神の子ら しく」造り変えるのは、私たちの力ではなく、『内なる神の霊』の働き。[ローマ8:14-15,Ⅱコリント3:17-18] ・だから御父が望んでおられることは、私たちが「神の子らしく立派になろう!」と頑張ることではなく、「与えられ    た『内なる方』にいつも注目し、この方に出番を与え、この方と一緒に生きることを楽しむ」こと。 ✰今日の大切なひと言: 私たちの『信仰生活』とは、「内なる御霊との関係を深めるプロセス」のこと。   Outline of the sermon    “Jesus & the Spirit of God.”    (10/03/2019) ◆Jesus is “A True Man”. Read more…

聖書

(334) “わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。”

ある人が夜道を歩いていたら、明かりがついている電柱の下で、誰かが探し物をしていたので、「どうしたんですか?」と声をかけました。するとその人が「いやぁ、酔っ払って、財布を落としてしまったようなんです」と言ったので、「それはお困りですね。では私も一緒に探しましょう」と言って一緒に探し始まりました。ところが、それほど見つけにくい場所でもないのに、探しても探しても財布は見つかりません。それで「本当にここで落としたんですか?」と尋ねると、その酔っ払った人は「いや、落としたのはもうちょっと向こうなんだけど、あっちは暗くて見えないから、ここで探してるんだよ」と答えたのです。 ちょっと笑い話みたいですが、ある意味私たちの人生の一面を表しているのではないでしょうか?私たちは人生において様々な問題にぶつかります。何とかその問題を解決したいのですが、その解決のある場所ではなく、違うところで一生懸命に解決方法を探していることがあるかもしれません。そしてその理由は主に「自分の思い込み」や「自分勝手な都合」だったりすることが多いのです。 イエス・キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰も神の許に来ることはできない」とおっしゃいました。 『キリスト教』とか『教会』と聞いただけで、ほぼ反射的に「自分は宗教とは関わりたくないから、遠ざかっていよう」と思う人もいるようですが、それではまさに「落とした場所と違うところで探し物をしている」ようなものです。「人間の悟り」は暗やみの中の手探りのようなもので、見つかるはずのものも見つかりません。 あなたは『生きがい』を探していますか?「確かな人生の目的」を持っていますか?もし「揺るがされることのない人生の基盤」を探しているのなら、『キリストの光』の許に来てみませんか?

聖書

(333) “何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。”

「雪だるま式」ということばを使ったことがありますか?もしかしたら、もう『雪だるま』というものを作ったことのある人自体が減ってきているかもしれませんね。『雪だるま』というのは、初め小さな雪玉だったものを雪の上をただ転がしているうちにドンドン大きく成長して、大きな雪だるまの胴体になるわけですが、「雪だるま式」というのは、それと同じように、初めは割りと小さなものだったのが、みるみるうちにいろいろなものが周りにくっついてきて、思いがけず大きな物に成長してしまう様子を表現した言葉です。今日ではよく「初めはちょっとだけ借りるつもり…」だった借金が、いつの間にか返すことができないほどに大きな負債になってしまった時などに使われますね。 実はこの現象は、私たちの『悪習慣』にもあてはまります。以前もこのコラムに書いたことがありますが、悪魔という存在は、私たちを無理矢理力ずくで不幸に陥れるようなことはしません。ただ「私たちの思いの中」にほんのちいさな種を蒔くだけです。「あんな洋服が欲しいなぁ」「あの娘のおっぱい大きいな」「どうしてあの人ばっかりチヤホヤされるの!」そんなちょっとした私たちの日常に起こり得る『思い』を、私たちが毎日繰り返し思い巡らしたりしていると、それがだんだん「私たちの思いの中」で増幅されて、やがては「あのお店の店員さんは席を外していることが多いから、盗んでもバレないんじゃ?」「あの娘は塾の帰り、よく暗い道を1人で歩いているな」「あの人さえいなくなれば、皆の注目は私に集まるに違いない!」などという危険なアイディアへ「雪だるま式」に成長し、最終的に『盗み・強姦・殺人』などの結果へと至らせてしまうのです。 では一体、私たちはどのようにしてこの『悪魔の策略』に対抗すれば良いのでしょう。それはまず「頭の中で考えるだけなら罪ではない」という考えを改めることです。イエス・キリストは「情欲をもって異性を見たならば、その人は既に姦淫を犯した」とおっしゃいました。「そんな無茶な!」といいたくなりますが、確かに『悪魔の策略』は既にそこから始まっているのです。 イエス・キリストにある『救い』を受け入れると、神様から「新しい心」が与えられます。それは『悪魔の策略』に対してとても敏感な心です。いってみれば「若い女性がゴキブリに対して示すような拒否反応」とでも言いましょうか。このような『悪に対する敏感な心』をもって私たちの思いを見張りながら、悪魔の蒔いてくる「悪い思いの種」を振り払って行くこと、これが私たちを『いのちあふれる人生』へと至らせるのです。

メッセージ

2019年2月24日 「神との喜びの共有」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「神との喜びの共有」    (24/02/2019) ◆神からの最高のギフト = 『聖霊』 ・神は私たちへの愛ゆえに「ご自身の最高のもの」を分かち合っておられる。それは『ご自身の霊』。それ故神は 私たちが「この聖霊をどう扱うか」に最大の関心を寄せておられる。[ヤコブ4:4-5] ・あなたの信仰生活が「神のいのちと力」に満ちてないとしたら、それは『内なる御霊』のところに行かないから。 イエスは言われた。[ヨハネ7:37-39] ◆『神の喜び』は聖霊の内にある [使徒13:52] ・「この世の喜び」は状況に左右されるが、御霊の内にある『神の喜び』は状況と関係ない。使徒パウロが「いつ も主にあって喜びなさい」と書いたのはこのこと。聖霊の内には、いつも「神の国の喜び」がある。[ローマ14:17] 主イエスも、この喜びで満たされていた。[ルカ10:21] *「聖霊と共に歩む者」は、『神の喜び』に満たされて歩むことができる。 ✰今日の大切なひと言: 「神の御霊の内に、神の喜びがある」。   Outline of the sermon    “Sharing ‘heavenly joy’ with God.”    (24/02/2019) ◆ Best gift from God. = Read more…

聖書

(332) “御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。”

聖書の中には『天使』というものが登場しますが、『天使』とは一体何者なのでしょう?私たちは『天使(英語では[エンジェル])』というと、何か「美しくて優しい存在」をイメージしますよね?以前はよく看護婦さんたちを「白衣の天使」などと呼んだりしました。(ちなみに、私の姉と義理の妹、そして娘は『看護師』ですが、確かに皆「美しくて憐れみに満ちた」人たちです!) これはアメリカのネバダ州で起こった実話ですが、デビーさんという若い女性がとても見晴らしの良い町外れの国道を車で走っていたところ、何とガス欠になってしまったそうです。どうして良いか分からず、神様に助けを求めて祈っていたところ、大きなトラクターが通りかかり、運転席からいかにも力の強そうな大男が出てきました。彼は困った顔をしている彼女を見て「お嬢さん、何かお困りですか?」と尋ねました。恐る恐る事情を話すと、彼は「なるほど。それじゃあオレのトラクターに乗せて近くの給油所まで連れてってやるよ」と親切に申し出てくれました。でも考えてみてください。人里離れた場所で「若い女性と大男2人きり」。あなたならどうします?彼女は戸惑いつつ心の中で神様に「この人について行って大丈夫でしょうか?」と祈ったそうです。するとかすかな声で「わたしが彼を遣わしたのだ。恐れないで彼について行きなさい」と言われた感じがしました。他になす術もなかったので、彼女は彼のトラクターに乗り込みました。道すがら彼は彼女に身の上話をしました。「オレはついこの間まで刑務所にいたんだ。でもそこで牧師さんからイエス・キリストの話を聞かされて、それまでの悪事を悔い改めてキリストに従う決心をしたら、人生が180度変わったんだよ!」 給油所でガソリンを買って彼女の車まで戻り、ガソリンを入れると、彼は別れを告げてトラクターに乗り込みました。ホッとして自分の車に乗り込んだ彼女は、もはや彼のトラクターがどこにも見当たらないのに気付いたそうです。スピードの出ない大型トラクターが、この見晴らしの良い国道のどこにも見当たらないなんて・・・ どうやら『天使』は「美しくて優しそうな外見」だけでなく、もっといろいろなバージョンで私たちの人生に関わってくれるようですね。

メッセージ

2019年2月17日 「御霊との関係を築く」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「御霊との関係を築く」    (17/02/2019) ◆どのように「御霊の導き」をキャッチするのか? ・人の日常の行動を支配するもの ― ①習慣 ②肉(気分) ③理性  『御霊の働き』はどれとも違う! ・よくある勘違い = 「信仰生活は、前述の③に始まり、②に打ち勝って、①に至れば身に付く」と思っている。 確かにそのようなことは起こり得るが、それでは『宗教』やカルトと同じ。 ◆「御霊に導かれた歩み」は『関係』に始まる [ルカ2:25-27] ・御霊は私たちの内におられる『人格』を持った存在。この方に導かれるのは「頭の作業」でも「習慣」でもない。 それは「愛に基づいた親密な愛の関係」。そこには「深い理解」が欠かせない。当然築くのに時間がかかる。 ・今私たちにできることは、「信仰によって」内なる御霊と積極的に関わること。その存在を認め、歓迎し、思いを 分かち合う。そんな態度は世の人々からは理解されない。[ヨハネ14:17] だからこそ「励まし合い」が必要。 ✰今日の大切なひと言: 「御霊との関係」は、「御霊に導かれた歩み」に先立つ。   Outline of the sermon    “Build a relationship with the Spirit.”    (17/02/2019) ◆How can we Read more…