2016年9月18日 「祈りにおける成長」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「祈りにおける成長」      (18/09/2016) ◆もっと何かあるはず…   ◎ある英語の賛美の1節:“I just know there is more of You!” ・「クリスチャンとしての歩みには、もっと何かあるはず」と思ったことはないか? 言い換えれば、今の自分の日々の歩みで「神様なしでもできるもの」を除いたら、何が残る? ・私たちが日常生活の中に「神ご自身に介入していただく」ためのカギ = 『祈り』における成長。 ◆『祈り』とは? ― 祈りの4段階 [ヤコブ4:2-4] ①欲しいものを神様におねだりする。 ②自分のこの世での必要のために求める。   これらは結局「この世での生活に適応するため」に過ぎない! ③他の人々の必要のためにとりなす。 ④神がこの世にもたらそうとしているものを呼び込む。 ・実は神はすでにこれらのものを私たちにお与えになった。[エペソ1:3] ・私たちは「キリストとの共同相続人」とされている。[ローマ8:16-17] しかし「この世と歩調を合わせて生きること」に慣れすぎていて、その豊かな財産を体験できないでいる! ◆新しい価値観 = 『神の国』の価値観 [コロサイ3:1-10] ・私たちは既にキリストとともに『天の座』についている。[エペソ2:4-6]    『究極の祈り』とは、「神に向かってお願いする」というよりは、むしろ   「キリストとともに立ち、御父から既に受け継いでいるものを聖霊によって用いて行く」ためのもの。   Outline of Read more…

(226) “神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。”

様々な技術が発展し、知識も増し、人々の暮らしが豊かになり、欲しいものがほとんど手に入る世の中になったのに、人々は不安にあえぎ、心は満たされず、自殺者は増加の一途を辿っています。何故なのでしょう?一体何が人々の心を脅かしているのでしょう? 『歴史上最も知恵に満ちていた』といわれる人物が聖書の中に出てきます。イスラエル王国の第3代の王様『ソロモン』という人物です。神は彼に「非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えた」とあります。このソロモン王が書き残した有名な言葉に次のようなものがあります。「神を恐れることが知識の初めである」。 この天地万物を造られた神は、すべての知恵と力とに満ちておられる方です。この方に対抗することができるものは何もありません。このお方を恐れ、このお方の御手のもとにへりくだって生きるならば、他に何も恐れる必要はないのです。キリストの使徒パウロは、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」と言っています。全くその通りです! 現代の1つの『カッコイイ』風潮として、「私は誰にも指図されたりなんかしないわ!」というような言い回しがありますが、そんなことを言っている人々に限って『人生の意義』というものをしっかりと見つめることもなく、ただ行き当たりばったりに生きて、やがて行き詰まり、恐れと不安の中に閉じ込められるのです。 「真に恐れるべき対象をしっかり恐れること」こそ、不必要な恐れや不安から完全に解放されて、希望を抱いて生き生きと生きるための秘訣なのです。

(225) “互いに慰め合いなさい。”

ある男性が、ちょっとした知り合いの死亡広告を目にしました。葬儀がちょうど出席可能な日時だったので、彼は身支度を整え会場へと向かったのですが、うっかりして同じ葬儀社の別のセレモニー会場に行ってしまいました。気付いた時は既に遅かったので、やむなく全く別人の葬儀に参列することになりました。参列者は少なく、悲しみを露わにしていたのは、長年連れ添った夫を亡くした未亡人のみでした。葬儀が終わると他の参列者たちは急ぎ足で帰途につきましたが、1人寂しそうに墓地へ向かって行く未亡人を気の毒に感じた彼は、彼女に墓地まで付き添って行きました。墓地からの帰り道、彼は思い切って未亡人に告げました。「誠に申し訳ないことなのですが、実は私はご主人のことを全く知らないのです。」未亡人は少し微笑んでこう答えました。「そうではないかと思いましたわ。全く見覚えのない方でしたから。でもそれはあまり問題ではありません。今日あなたがしてくださったことがどれほど私にとって大きな意味があったかは、神様しかご存じないことですから。」 旧約聖書の『ヨブ記』という書物には、ヨブという人物が悪魔の悪巧みに会い、全財産と子供たち、そして自身の健康をも失い、失意のどん底をさまようストーリーが収められています。そこに彼の3人の友人たちが慰めにやってくるのですが、その初めの部分にこう書かれています。「彼らはヨブと共に7日7晩地に座っていたが、誰もひと言も彼に話しかけなかった。彼の痛みがあまりにもひどいのを見たからである。」その後1人1人とヨブに語りかけるのですが、私の見る限りでは、それらの言葉は「ただ黙って側に座っていてあげること」以上にはヨブの慰めにはならなかったようです。 私たちは、苦難の真っ只中にいる人を見る時に「何とかしてあげたいけど、何にもしてあげられることがない」とついあきらめてしまいがちです。しかし最悪なのは、そう言って「できるだけ関わらないように」してしまうことです。何もできなくてもいい。何を言ってくれなくてもいい。ただ黙って側にいてあげることが出来る人は幸いです。

「『神と共に歩む』ための3要素」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『神と共に歩む』ための3要素」   (04/09/2016) ◆「神と共に歩む」ための3要素 = ①みことば  ②聖霊  ③信仰 ― この3つがどう一緒に働くのか?  ①『みことば』とは? = 『真理』(不動の絶対基準)[ヨハネ17:17] ・この世界は「神のことば」によっている(ヘブル11:3)ので、それに沿って生きるとうまく行く。[Ⅱコリント13:8] ②『聖霊』とは? = 「良い父」である神の霊であり、イエスと同じ方。[ヨハネ14:16-17] ・この方は『真理の御霊』なので、「真理のみことば」によって栄養補給される。 ・私たちが聖書を読むのは、「知識を増すため」ではなく、「いのちを育てるため」。[Ⅰペテロ2:1-3] ③『信仰』とは? ― 「みことば」と「御霊」とを結び付ける役割を担う ・みことばが「単なる知識」のうちは、その本領を発揮しない。『信仰』によって結び付けられる必要がある。 [ヘブル4:2] ◆悪魔による妨害 ・悪魔は私たちの成長を好まない。いつも真理に逆らう。[ヨハネ8:44-45] ・「私たちの『自由意志』を神にささげる」 とは、つい「この世のならわし」につられてしまいがちな自分自身を、 敢えて「神のことばこそ真理である」と軌道修正し、『真理のみことば』に従わせていくこと。 これこそ「信仰」であり、「神に対する愛」である。 ◆まとめ ◎みことばに対し「アーメン!」と言って取り込むと、御霊の栄養補給になる。 ◎『真理の御霊』は、その『真理のみことば』を思い起こさせ、あなたを通してご自身のみわざをなさろうとする。 ✰『信仰』によって、みことばによる聖霊の導きに素直に従おう!   Outline of the sermon     “3 indispensable factors to Read more…

(224) “すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”

クライストチャーチに滞在しておられる日本人のうち2人の方々が、最近イエス・キリストにある救いを受け入れて『クリスチャン』となられました。どちらも50歳前後の方々です。 1人は男性で、今まで数々の挫折を経験してこられました。幼い頃のいじめ、青年時代の交通事故とその後遺症、そして離婚。人生に希望を見い出せず毎日の生活に行き詰っていた時、ニュージーランド留学を望む姪御さんの親代わりとしてクライストチャーチに付き添って来ることになりました。ホームスティ先のクリスチャンのご家族から教会へ行くことを勧められ、JCFに来られました。当初はその表情から疑心暗鬼な様子が見て取れましたが、徐々に馴染んで来られ、表情も和らいできました。毎週の礼拝での聖書の話や、姪御さんの留学・ご自身のビザ延長などに関して親身に相談に乗ってくれる人々の暖かさに触れることを通して、「慈愛に満ちた神がおられること」「イエス・キリストの十字架による罪の赦し・救い」などを信じられるようになりました。今ではすっかり表情も明るくなり、人生の目標も定まって、毎日生き生きと過ごしておられます。 もう1人は女性で、高校生のお嬢さんの留学に付き添って来られました。やはり離婚を経験しておられますが、こちらは「女手1つで娘を育ててきた」という自負があり、「自分の人生は自分で切り拓く」というファイト満々で、「せっかくニュージーランドに来たのだから、バリスタの資格を取って帰ろう」と学校に通っておられました。そんな中、同年代の娘を持つクリスチャンの方と親しくなり、教会に来られるようになりました。初めのうちは「私は神様など信じないけれど、人生の参考になるから、続けて通ってみよう」と思っていたそうです。ところが毎週聖書の教えを聞いているうちに神様からの語りかけを感じるようになり、礼拝の終わり頃にはいつも涙が流れてくるようになったそうです。「わたしはいつもあなたと一緒にいたよ。たくさん傷ついてきたね。強がって生きるより他に方法を知らなかったんだね。でもわたしに寄りかかっていいんだよ。」と。 「キリスト教は『弱者の宗教』」と言われます。でも実際誰か「弱くない人」がいるでしょうか?私は世の中には「自分の弱さを認めることができる人」と「自分の弱さを認めることを恐れている人」しかいないのではないかと思います。また、キリスト教は『宗教』ではありません。創造主なる神との『生きた関係』なのです。すべてをお見通しの神様の前に素直な心で立った時、誰でもこの方と真の意味で『出会う』ことができるのです。

2016年8月28日 「神のために?それとも、神とともに?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「神のために?それとも、神と共に?」   (28/08/2016) ◆「~のために」 or 「~と共に」 ・誰かの『ために』何かをすることは、それほど難しくはない(自分の都合でできるから)。しかし誰かと『共に』何か をするのは、相手と歩調を合わせなければならない分困難である。 ・神は私たちに「自分のために生きて欲しい」と思っているのではなく、「自分とともに歩んで欲しい」と願って おられる。 〈エノクの例〉 [創世記5:24,ヘブル11:5] ◎「共に歩む」ための最低条件2つ ①向きが同じ(共通のゴール) ― あなたを通して「神の栄光」が現されること ・『罪』とは、「神をガッカリさせること」ではなく、「神と向きがズレること」。 ②ペースが同じ(共通の興味) ― 人々への愛 ・神が立ち止まるのは、あなたを通して何かをしたい時。(イラつかないで!) *だから「神様とのコミュニケーション」がとても重要 = 『みことば』と『聖霊』。 ◆キリストのからだ ・「神を愛するために『自由意志』をささげたら、私たち1人1人の個性が失われてしまうのだろうか?」 そんなことは、ない! 何故? → 私たちは『キリストのからだ』の各器官だから。[ローマ12:5] ・教会(私たち)はキリストのからだであって、キリストがその『かしら(司令塔)』。[エペソ1:22-23] ・神は私たち1人1人を通してご自身のみわざを現されると同時に、共同体としての教会(私たち)を通して 『更に大きなわざ』をなさる。[ヨハネ14:12]  だからこそ「一緒に集まること」に大いに意義がある! ✰神は「ご自身とともに歩む者たちが互いに愛し合う共同体」を通して、大いなるわざをなさいます!   Outline of the sermon       “‘For God’? or Read more…

(223) “人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。”

「自分はそのように生まれついてしまったのだから、仕方がない」という言い方で、自分の欠点の言い訳をしたり、人生をあきらめてしまったりしている人がいます。しかし本当にそのように決め付けてしまって良いのでしょうか? ある調査結果によると、『一卵性双生児』が何らかの理由で生まれてすぐに別々の環境に育てられた場合でも、性格や好み、また知的レベルなどの約70パーセントは、非常に酷似して成長していくそうです。DNAの伝達機能と言うのは確かにあなどれません。しかし、人間は動物とは違い、そこまで単純に造られてはいません。私たちは生まれつきそれぞれに「自由意志」「理性」が与えられており、自分の人生を自分の「決断・選択」によって切り拓いていくことができるのです。 聖書は「誰でもキリストのうちにあるならば、その人は『新しく造られた者』です」と言っています。私たちがイエス・キリストを通して『創造主である神』との関係において「新しく生まれる」ならば、私たちは真の意味での『人生の意義』を見い出し、全く新しい(正しい)人生観によって雄々しく歩み出すことができるのです。「そのように生まれついている」という言葉を、『事がうまく運ばない言い訳』としてではなく、『神と共に歩む実りある人生』の秘訣として用いることができるようになるのです!

2016年8月21日 「神へのスタンバイ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「神へのスタンバイ」     (21/08/2016) ◆『御子のかたち』に定められた ・「神のうちにとどまる」とは、「キリストが歩まれたように歩む」こと。 [Ⅰヨハネ2:6] ・私たちの内にある『神のかたち』は、イエスの歩みにこそ生き生きと現された。 [ローマ8:29,コロサイ2:9-10] ・御父が私たちに抱いておられるゴールは、私たち1人1人を通して御子イエスが現されること。しかしそれは 単なる「外面的な行為」としてというよりはむしろ、「ご自身との親密な関係」から生まれてくる。 イエスは言われた。 [ヨハネ4:34] ◆「神を愛する」とは? ・ある律法学者が「最も大切な戒めは?」と尋ねた時、イエスは少しもためらうことなく答えた。[マルコ12:28-31] *では、「神を愛する」とは?      ・神が例外なく私たち1人1人に与えておられる『最高のギフト』(自由意志)を神の栄光のために用いること それでこそ、私たちの内にある『ポテンシャル(神のかたち)』が生かされる![ルカ9:23-24] ・では、イエスにも『自由意志』はあったのか? → YES![マルコ14:36] ◆スタンバイできてますか? ・神はいつでも私たちのすぐ側におられ、ご自身のみわざを行おうとしておられる。しかし神はあくまで私たちの 『自由意志』を尊重されるため、私たちの意思に反しては私たちを用いたりしない。 *あなたは、自分を通して現される神のみわざを体験したいですか? ①「自分に起こって欲しいこと」ではなく、「神がなさりたいこと」への献身 ②「自分に都合の良いタイミング」ではなく、「神のタイミング」への献身 ◎「私の願いではなく、あなたのみこころを!」 と、祈れますか?   Outline of the sermon       “Be standing by for God.”       (21/08/2016) ◆We Read more…

(222) “子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。”

思春期のお子さんを持っておられる方はいらっしゃるでしょうか?私たち夫婦には3人の子供たちがいますが、今は上から26歳・24歳・22歳になりました。まあ「子育ての峠は越えた」と言うべきですかね。父親の私としては「やっと手が離れてくれた」という気持ですが、妻(彼らの母親)にとっては「(特に1番下の子に対しては)いつまでも子供のままでいて欲しかった!」というのが正直な気持のようです。 逆に子供の立場に立つならば、十代のある頃に「私はもう子供じゃない!」と強く感じる時期があります。この時期を『思春期』と呼ぶのでしょう。それまでと同様に親が何でもかんでも干渉しようとすると、「ウザい!」と感じるわけです。ですから、1番上のお子さんがこの時期に差し掛かってあなたに「いちいち指図しないで!」と怒鳴ったとしても慌てないで下さい。お子さんは極めて正常な成長を遂げています。 それでは、このような『思春期の子育て』をどう乗り切れば良いのでしょう?ある方は「ウチの子はまだまだ小学生だから心配には及ばない」と考えるかもしれませんが、それは大きな間違いです。何故なら、正しい『思春期の子育て』は、そこに至るまでの子育てを土台としているからです。すなわち、子供が親の権威に素直に従っているうちに『適切な賞罰』によって正しい価値観を子供の心にしっかりと植えつけておくことによって、子供たちが思春期に差し掛かってきたときに、上手に少しずつ「たずなを緩めて」あげることができるからです。 あまり早く「たずなを緩め」すぎ『放任』すると、愚かでわがままな大人に成長することがあります。かと言って「たずなを緩める」のが遅すぎると、反抗的、またはかえって依存心の強い人間になってしまうかもしれません。この部分で非常に慎重になる必要があります。知恵が必要です。 聖書は『子育て』や『夫婦関係』などに関して、私たちに多くの優れた『知恵』を提供しています。我が家の子供たちも、彼らがまだ幼い頃から「一緒に聖書を学んできた」ことが大いに役立って、皆なかなか頼もしい成人へと成長してくれました。次世代を担う立派な大人たちを育成するために、皆さんにも「お子さんと共に聖書を学ぶこと」を強くお勧めします!