(496) “わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。”

 「喜怒哀楽」というものは『感情』なので、自分ではコントロールできないと思われがちです。もちろんそういった類のものもありますが、大抵の場合は「私たちの意志」によってコントロールできます。例えば『喜び』はある意味「筋肉」のようなもので、上手に鍛えれば徐々に強められ、どんな状況の中でも内側に「静かな喜び」を保つことができるようになります。  今日は「喜びの鍛え方」を2つお教えしますね。  ①小さなことに『感謝』をする   ・「現代のストレス研究の父」と呼ばれている『ハンス・セイル』という方は次のように言っています。「『感謝を表現すること』は他のどんな営みよりも、心にポジティブな力を与える」。ですから、日常生活の中で意識して「感謝できる要素」を探すことを心掛け、口に出したりSNSなどを用いたりして、その『感謝』を相手に伝えましょう。伝える相手が特定できないことに関しては、神様に感謝しましょう。これをクセにすることで、あなたは「自然と笑みを浮かべる人」へと変えられて行きます。  ②『与える』ことを心掛ける   ・興味深いことに、聖書には「神は分け与える人を祝福する」という約束が多く書かれています。恐らくそれは神ご自身が『与える』という性質を持っておられるので、同じように『与える』人々を見て祝福せずにはいられないのではないでしょうか?ですから私たちは「分け与えてしまったら、自分の分が足りなくなってしまうかも…」などと心配しなくて良いのです。ある人はこんなことを言いました。「私の手が誰かに分け与えると、神の手が私に報いてくださる。そしていつでも『神の手』は『私の手』よりも大きい」。  『感謝』と『与えること』を習慣にすることによって、「喜びの筋肉」を鍛えて行きましょう!

2022年8月28日 「驚くべき恵み」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「驚くべき恵み」   (28/08/2022) [マルコ 14:66~72] ◆「赦されるはずもないこと」が赦される   ・「あのペテロがなぜこんなことに?」と思う人もいるだろう。日本人なら「群衆の中で自分1人だけクリスチャン」という状況を味わったことがあるはず。そういう人には、このペテロの行動は理解しやすいかもしれない。   ・「自分はペテロのようには罪を犯していない」と思えている人はある意味幸いだが、「神は私の本当の姿を知ったら、決して赦せないに違いない」と思っている人、その人は正に今日のペテロと同じ。たとえあなたがどんな   暗黒にいようとも、『キリストの光』が届かない暗黒はない! ◆砕かれるべきもの   ・「死んでも『イエスを知らない』などとは言わない」というペテロの自信(プライド)は見事に打ち砕かれた。神にとって「自分自身を拠り所としている人」は用いにくい。[Ⅰヨハネ1:8-9]   ・神は「ご自分の心にその心を摺り寄せて来る人」を好まれる。それは「神がどれほどに恵み深い方なのか」を知っている人であり、また「自分がどれほどにその恵みを受けるのにふさわしくない者か」を知っている人。そして   その2つのギャップを完全に埋めてくださった『キリストにある恵み』に日々心を震わせている人である。 ✰今日のみことば: マタイの福音書 9章13節 ◎更に深い学びのために  ①ペテロはなぜイエスを否んだのだと思いますか? またこの後のペテロの心情について話し合ってみましょう。  ②「自分はクリスチャン失格!」と思ったことがありますか?どうしてそう思ってしまったのか、吟味してみましょう。  ③「神が喜ばれるのは『真実の愛』であって『いけにえ』ではない」とは、どういう意味だと思いますか? Outline of the sermon     “Amazing Grace.”   (28/08/2022) [Mark 14:66~72] ◆God’s immeasurable forgiveness.   ・Someone may think that he is not as sinful as this Peter.  Other may feel, “my sin is Read more…

(495) “それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。”

 聖書は、神が私たち人間をそれぞれ『神の作品』としてお造りになった、と記しています。『作品』は「製品」と違って1つ1つがユニークに造られています。それは目的や役割が違うからです。つまり神様は私たち人間を1人1人「違った目的や役割を持つ存在」としてお造りになっている、ということです。ですから、私たちが他の人を羨んで「どうして私はあの人のようにできないのだろう?」とか、親が自分の子に向かって「どうしてあなたはお兄ちゃんやお姉ちゃんのようにできないの!」などと言ったり考えたりするのは、根本的に間違っているのです。  神は無駄なことをなさる方ではありません。全ての人は、神ご自身の「ユニークな目的・使命」を帯びて造られました。ですから世界には誰1人「要らない存在」などありません。では、一体どのようにして「神が自分に与えておられる使命」なるものを見出すことができるのでしょう?  私たちがこの世の価値観に立って「自分の才能・賜物」といったものを考えるとき、大抵頭の中にあるのは『自己実現のためのツール』としてです。しかし神が私たちをお造りになられたとき、敢えて「1人では生きられないように」お造りになりました。それは私たちが互いに助け合い、支え合いながら生きるようになるためです。すなわち「神の目的に従って生きる」とは、「自分はどのように他の人の役に立てるのか?」ということを考えながら生きるということなのです。他の人が自分とは違った意見を持っていて「意見の衝突」が起こる時、それは「お互いを離れ離れにさせるため」ではなく、かえって「互いの足りない所を補い合うため」なのです。自分の不得意分野を他の人が上手にできるのを見る時、それは「妬みの種を生むため」ではなく、「相手に援助を願い出るため」なのです。  ぜひ『人真似』をしようとするのではなく、『自分らしさ』を追求してみましょう。そして「自分の得意なことや、喜んでできること」が何なのかを突き止め、それらの助けを必要としている人々に手を差し伸べましょう。その時あなたは「神に造られた喜び」を体験するようになるのです。

2022年8月21日 「イエス・キリストは神の子か?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「イエス・キリストは神の子か?」   (21/08/2022) [マルコ 14:53~65] ◆なぜイエスは死刑に定められたのか? [60~64節]   ・ずっと黙っていた主イエスが、この大祭司の質問にだけは黙っていなかった。そしてこのイエスの返答が、彼の死罪を決定づけた(神への冒瀆罪)。[レビ記24:16]   ・本来祭司長たちがイエスを訴えたのは『妬み』のゆえであり、この『冒瀆罪』は隠れ蓑にすぎない。私たちにも同様な「自己防衛のため」に何かを隠れ蓑にして自分を正当化していることはないだろうか?[Ⅰヨハネ1:8-9] ◆イエスは『神の子』なのか?   ・誰かが「自分は神の子である」と証言した場合、次の3つの可能性が考えられる。    ①ウソをついている。(実際はそうではなく、本人もそれを知っている場合)    ②気が狂っている。(自分ではそう思い込んでいるが、実際は違う場合)    ③真実を言っている。   ・「イエスは立派な人物だったが、『神の子』ではない」という理屈は成り立たない。イエスが①か②であるなら、少しも「立派な人物」ではない。イエスはご自分でおっしゃった通り『神の子』であり、私たちの『救い主』なのだ! ✰今日のみことば: ヨハネの福音書 20章31節 ◎更に深い学びのために  ①祭司長たちがイエスを死に定めた真の理由を探りましょう。人の内にあるこのような傾向性をどう思いますか?  ②「自分は神の子だ」と言う人の3つの可能性は? イエスに関してこの3つの可能性を吟味してみましょう。  ③「自分には罪はない!」と言い張る人がキリストの救いにあずかるために、どのようなプロセスが必要ですか? Outline of the sermon      “Is Jesus really the Son of God?”    (21/08/2022) [Mark 14:53~65] ◆Blasphemy. [Verses 60~64]  ・Jesus kept being silent but he couldn’t remain silent Read more…

(494) “貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。主がその行いに報いてくださる。”

 「信仰と日常生活は相容れない」と考える人がいますが、聖書は日々の生活のための具体的な知恵を多く教えてくれています。今日はその中で「聖書がお金に関して語っている2つのこと」を述べたいと思います。  ①施す 聖書は基本的に「気前の良い態度」を勧めています。興味深いのは、聖書の中に『お金に対する態度』と『農夫が種を蒔く様子』を対比させていることが多々あることです。翌年の収穫のための『種』を残しておくことを惜しんで、全ての収穫物を売ったり食べたりして費やしてしまうなら、翌年の豊かな収穫は期待できません。収穫の1部を取っておくことは、翌年のための『投資』なのです。同じように「他の人に施すこと」は、あたかも種を蒔いたかのように、やがて有形無形の『神の祝福』を呼び込むことになるのです。  ②蓄える 「クレジット購入」が常識になってしまっている現代、『衝動買い』をしてしまうことが増えてしまっているのではないでしょうか?テレビのコマーシャルを観ると、どれもこれも「念のため」買っておかなければ後で困るかもしれないというような不安に襲われるかもしれません。でも実際はそれらのほとんどの物はそのまま物置に放置され、1度も使われることなく古びてしまうことが多いものです。不必要なものを買わずにいれば、おのずと少しずつ蓄えができるはずです。  神様はご自身が愛しておられる人々が乏しい思いをしていることを放ってはおかれません。でも「私腹を肥やしている人」には感心されないのではないでしょうか?親が自分の子供たちが分け合っているのを見て微笑むように、私たちが互いの不足を補い合いながら支え合うようになることを、神は望んでおられるはずです。そのためにも、「気前の良い態度」と「適度な節約」を心掛けたいものですね。

2022年8月14日 「聖書が成就するため」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「聖書が成就するため」   (14/08/2022) [マルコ 14:43~52](情景を思い浮かべながら読んでみよう!) ◆何が起こったのか?   ・『口づけ』は、当時のラビと弟子たちとの日常のあいさつとして習慣的だった。イエスと弟子たちは似たような服装をしていたので、ユダがこのようにしなければ、一緒に来た者たちは見分けがつかなかった。   ・ヨハネだけが「剣で切りかかったのはペテロ」と記録しているが、真相は不明。   ・『ある青年』が誰なのかも不明。「亜麻布をまとっていた」ことから、裕福な人物だったと想像される。 ◆聖書が成就するため [49節](50節も、27節の成就)   ・「どのようにして聖書の言葉が成就するのか?」には、次の3つの可能性が考えられる。(③が妥当)    ①イエスが意識的に成就した。 ②神がそう仕向けている。 ③神が全てを予見し、預言者を通して伝えた。   ・私たちは『預言の成就』を通して「神の力と誠実さ」、そして「キリストへの信仰の招き」を知る。[ヨハネ20:31]   ・聖書(神のことば)は、「預言(出来事中心。有無を言わさず「こうなる!」という宣言)」と「教え(人の選択・従順によって左右される)」に大別される。神のことばは必ず成就する。しかしそれが「私たちの人生に成就するかどうか」は神からの招きに「私たちがどう応答するか」という『神との個人的な関係』にかかっている。[ヨハネ15:11] ✰今日のみことば: イザヤ書 55章11節◎更に深い学びのために  ①今日の箇所をよく読んで、情景や出来事から分かること・考えられることを分かち合いましょう。  ②なぜ聖書の言葉は「成就する」のだと思いますか? 上記の①~③を考慮しながら話し合ってみましょう。  ③「聖書の言葉が必ず成就する」ならば、神の招きに対する『私たちの応答』は、それにどう関わるのでしょうか? Outline of the sermon      “Let the Scriptures be fulfilled!”    (14/08/2022) [Mark 14:43~52] (Read carefully to see what are happening here.) ◆What are happening?   ・Judas kissed Jesus to Read more…

(493) “あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。”

 私は昭和中期生まれですが、私が生まれてから半世紀余りのうちに世界は大きく様変わりしました。自動販売機、コンビニ、パソコン、百円ショップ、そして携帯電話にスマートフォン!50年前には思いつきもしなかった『便利品』が次々と生まれ、あっという間に普及し、以前は「不可能」と思えていたのに、今は「実現可能」になったということがたくさんあります。  多くのことを思いのままに操作できるようになったため、つい「自分の人生をも自分の好きなように操れる」という錯覚に陥りがちですが、実際はこれほどまでに文明が発達し科学が進歩しても、未だに人は1分先のことも見通すことができません。相変わらず多くの人々は日々不安を抱え、カウンセリングに通ったり、占いに頼ったりします。しかしそれらの中には「人生の不安を根本的に解決する術」を見出すことはできません。何故なら、それは人間の手中にあるのではなく、「全能の神の大きな御手の中」にあるからです。  聖書は、「現されていることは人間のものだが、隠されていることは神のものである」と教えています。人が追求しても見出せないのは、神が「それはわたしに属しているのだから、わたしに信頼しなさい」と招いておられるのです。いつ?なぜ?どのようにして?などの疑問について内側で悶々と思い巡らすのではなく、「いくら考えても分からないことは、神に委ねるべき領域なのだ!」と心得て、神に信頼して委ね、私たちは自分の手の届く範囲の事に全力を尽くすようにすれば良いのです。

2022年8月7日 「仲介者なるイエス」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ       「仲介者なるイエス」     (07/08/2022) [マルコ 14:32~42] ◆祈りの2面性 [36節]   ・このイエスの「ゲッセマネの祈り」に、私たちは「祈りの2面性」というものを見出せる。 ①「トコトン神に求める」という面 ― イエスは「神にはどんなことでもできる」ということを誰よりも知っていた。だからこそ「御父の計画」を知っていたにも拘わらず、それを「取り去ってください」とさえ求めた。 ②「神の前に自分が整えられて行く」という面 ― イエスは祈りによって神に近づく中で「わたしの望みではなくあなたのみこころを…」と明け渡した。これは祈りの中で『神との交わり』を体験する者だけに起こる変化。 ◆私たちの弱さを、イエスは知っておられる [40節]   ・「祈りによってイエスを支える」はずだった弟子たちは、全く役に立たなかった!そんな弟子たちに対しイエスは「呆れたり、見放したり」はしなかった。何故なら彼は自分自身も人として『弱さ』を身に沁みて体験し、私たちの弱さに寄り添うことができるから。[へブル4:15,ローマ8:34]   ・私たちが日々神を求め、神に近づき、神の助けをいただいて前に進むことができるのは、この「私たちのためにとりなしておられるイエス」がおられるから。今週もこの『仲介者なるイエス』を見上げて歩んで行こう! ✰今日のみことば: テモテへの手紙 第1.2章5節 ◎更に深い学びのために  ①「祈りの2面性」とは、どのようなものでしょう? それらを経験したことがあれば、分かち合いましょう。  ②『自分の弱さ』を思い知らされた経験はありますか? その経験は今のあなたにどのように生かされてますか?  ③イエスは今どんな思いであなたのためにとりなしているでしょう? そんなお方にどう答えて行きたいですか? Outline of the sermon        “Jesus, the Mediator.”       (07/08/2022) [Mark 14:32~42] ◆2 aspects of prayer. [Verse 36]   ・We can see “2 aspects Read more…

(492) “わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。”

 聖書を少し知っている方は、「『愛する』ということは、命令なんてされるべきではない」と感じたことがあるかもしれません。恐らくその大きな原因は『愛する』という言葉に対する理解の違いによるものと思われます。  元々『愛する』は、英語の『Love』の訳語として日本に入って来たと思われますが、英語を話す人々は実際「I love my wife」「I love chocolate」などのように、現代日本語の「とても大切に思っている」と「メッチャ好き!」の両方の意味に『Love』という語を用います。ですから『愛する』という語を「その対象に対する感情的な盛り上がりを表現する言葉」として用いる、もっと分かりやすく言うなら「『好き』よりももっと強い感情」のように理解していることが一般的になっているのだと思います。もしそうであるなら、確かに『愛しなさい』などと命じるなんて、何だか人間の情緒を否定しているように感じられますよね。  『愛する』という言葉が聖書に登場する時、それは「内面的な感情」ではなく、むしろ「相手の最善のために自分にできることをする」というような、とても具体的で実践的な『行為・ふるまい』を表しています。極端なことを言うならば、嫌いな相手をも『愛する』ことはできるのです。そして、この『愛すること』の素晴らしい点は、キリストの戒めに従って誰かを「愛そう」としていると、いつの間にか自分の内側に相手に対する好意も湧いて来るのを感じることができ、更に素晴らしいことは「神が自分と共に相手に働きかけようとしている」というような不思議な感覚を経験できることです。  『愛すること』、それは確かに「神が人間だけに与えた、『人として生きる上での大きな特権』」ということができるのではないでしょうか?