(371) “苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。”

 最近あるクリスチャン評論家の方が書いた本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。「豊かな国に住むクリスチャンたちは、苦難に直面すると『神様、この苦難を私から取り除けてください』と祈るが、貧しい国や迫害の中にあるクリスチャンたちは、苦難に直面したとき『神様、この苦難を乗り越える力をお与えください』と祈る傾向があるようだ」と。   私たちは人生で辛い目に遭うと、「聖書には『神は愛である』と書いてあるのに、どうして神は私がこんなに辛い目に遭うことを許されるのだろう?」と、神の愛を疑ったり、神を信じない理由にしたりします。しかし考えてみると、多くの試練を乗り越えてきた家族やグループが更に強く深い絆で結ばれて行くように、数々の苦難を(神に拠り頼みつつ)乗り越えて行けば行くほど、『神との絆』も強く太くなっていくのではないでしょうか?   私は現在56歳です。クリスチャンになったのは20歳の時ですから、36年経ちました。そして振り返ってみると、若い頃に比べて今はずい分「忍耐深くなったなぁ」と感じます。面白いと思いませんか?年を取ってくるということは「老い先短くなる」ということで、事を急ぎたくなってもおかしくないはずなのに、通常はだんだんと忍耐強く(気が長く?)なっていくようです。その理由は恐らく、不測の事態に出会った時に「ああ、こういう出来事は以前にもあった。神様は必ず何とかしてくださる。心配しなくても大丈夫だ」と思えるようになってきているということなのでしょう。実際、慌ててジタバタしたところで事態が好転するわけではありません。むしろそういう時はノンビリ構えて力を蓄え、本当に何とかしなければならない時のために備えておけば良いのです。   2019年も終わりに近づきました。振り返ると、きっと「あの時は大変だった」と思い返すことがいくつかあることでしょう。その時の経験を糧とし、来たる2020年は、不測の事態に直面した時に慌てることなく、「大丈夫。あの危機を乗り越えさせてくださった神様は、きっとこのピンチも乗り越えさせてくださる」と信じて、『忍耐』を働かせていきましょう。   それでは、良いお年をお迎えください。 

2019年12月29日 「神が求めておられるもの」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ     「神が求めておられるもの」   (29/12/2019) ◆『祈り』について *以前学んだ「祈りの3段階」。 ― ①「神に」求める  ②「神を」求める  ③「神と」求める  1 「『神に』求めたいこと」はたくさんあるが、キリスト者として成長するにつれ『求める』内容が変わってくる。    ・「見えるもの」⇒「見えないもの」  ・「自分のため」⇒「親しい人たちのため」⇒「不特定多数のため」⇒「敵のため」  2 「祈りの答え」よりも、『神ご自身』を求めるようになる。[詩63:1] ― 「神との関係」に渇く。    ・もっと神を知り、神と共に時間を過ごすことを求め、「神が望んでいる自分になりたい」と願うようになる。 ◆神が求めておられるもの  3 「神と」共に求める ― 「神が求めておられるもの」を探り、それを『同じ心』で求める。    ・では、「神が求めておられるもの」とは? 世界平和? → 『人』。あなた自身。[Ⅱ歴代誌16:9,ミカ6:8]    ・イエスは御父と「心を1つにして」地上を歩まれた。それ故御父はいつでもご自身の願いをイエスを通して成し     遂げることができた。そのイエスは、私たちが「1つとなるように」と祈られた。また使徒パウロは私たち(教会)     が「キリストのからだ」であると言った。今日父なる神は「キリストのからだである教会(共同体としての私たち)」     を通してみわざをなさる。そのためにご自身の霊によって私たちの思いが「1つとなるように」と導かれる。 ✰今日の大切なひと言: 神は『私の心』を求めておられる。 ◎学びを深めるための質問  ①「祈りの3段階」のそれぞれの違いを説明してみてください。あなたが最も多く祈るのはどれですか?  ②あなたは『神』をどれくらい「知って」いますか?改めて『神』のことを自分のことばで表現してみてください。  ③あなたは「聖霊によって神の心を知らされたこと」がありますか?もしなければ、ぜひ今日から求めてください! Outline of the sermon       “What is God longing for?”     (29/12/2019) ◆Three Levels of “Prayer”. ― ①“Asking” God.  ②“Seeking” God.  Read more…

(370) “どんなものも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。”

 せっかくのクリスマスシーズンですから、今日はクリスマスにちなんだ話をしましょう。  お正月に日本の多くの家庭で『門松』が飾られるように、世界中の多くの国々ではクリスマスシーズンには『クリスマスリース』が飾られます。ではこの「クリスマスリース」には、一体どんな意味があるのでしょう?  クリスマスリースは通常「常緑植物の葉」で形作られた円形の飾りです。『常緑植物』や『円形』は「永遠、終わりがない」などの意味合いがあり、しばしばすぐれた人物の栄光をたたえるために用いられました。古代ギリシャにおける勇者たちは「栄冠」としてよくオリーブの葉で作られた冠を与えられていたようです。オリンピックの聖火ランナーなどがかぶっているのは、この名残りであると思われます。  これが後にローマ帝国時代になってからは、『冬至』(北半球において昼の時間が最も短くなるこの日は「太陽が生まれ変わる日」とされていた)の祭りで、人々が『長寿祈願』のために同様の冠を作ってかぶっていたようです。そしてこの習慣を当時の迫害下のクリスチャンたちが取り入れて「唯一永遠に存在しておられる、すべての創造者である神の御子が地上にお生まれになったこと」を記念することにしたのです。彼らは冬至の日が来るたびに、常緑植物の葉を円形に編んでよく見えるところに飾り、その青々とした円が象徴する『永遠性』を「キリストを通して私たちに与えられた『終わりの無い神との永遠のつながり』のシンボル」として受け止め、このリースを見るたびに「唯一まことの神が自分を、永遠に変わらない愛をもって愛してくださっていること」を思い起こしつつ、迫害を耐え忍んだのす。  神はこの同じ愛で、今日もあなたを愛しておられます。このクリスマスシーズン、単に「プレゼントとケーキ」で終わらせないで、冬の寒さの中でも青々と茂っている木々を見ながら「永遠に変わることのない神の愛」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

2019年12月22日 「キリストにあるアイデンティティ」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ  「キリストにあるアイデンティティ」  (22/12/2019) ◆『世』から取り出された [ヨハネ15:18~19]   ・イエスは私たちをご自身の『友』として世から選び出された。私たちは「世から離れよう(無理に違った生き方をし     よう)」とするのではなく、「キリストに近づこう」とすれば良い。そうすれば結果として『世』からズレて行く。   ◎ここでの「イエスの祈り」[ヨハネ17:14~19]の要点は、次の3つ。    ①私たちはキリストを信じ受け入れた時点で、既に「この世のものではない」。[14,16節]    ②神のみことば(真理)が私たちを『聖別』する。[17,19節]    ③これらのことは、キリスト自らが御父に祈ってくださったことなので、必ず成就する。   *注意事項 ・みことばは、「私たちの努力目標」ではなく、「どれだけこの世の垢が落ち、キリストの香りが身に             付いてきたか」を測るバロメーター。「自分の現状とのギャップをさばく材料」として用いるな! ◆「1つとなるため」に選び出された [ヨハネ17:23]   ・「1つとされる」とは、「皆が同じようになる」ということではなく、私たち1人1人が「キリストが地上を歩まれた時と    『同じ心・同じ意識』をもって生きるようになる」ということ。私たちはそれぞれ「違った才能・興味・感性」を与えら    れている。それらを「キリストにある調和」の中でフルに用いて『神のわざ』を表現して行こう! ✰今日の大切なひと言: 『世』から取り出され、『世』に遣わされている。 ◎学びを深めるための質問  ①「この世のものではない」と言われて、どんな気がしますか? それを自覚させられるのは、どんな時ですか?  ②あなたは今まで聖書をどんな意識で読んでいましたか? その意識をどこか改善すべき点はありますか?  ③違った個性を持つ者同士が『調和』を保って生きていくために必要なことは、どんなことだと思いますか? Outline of the sermon        “‘Who we are’ in Christ.”      (22/12/2019) ◆Chosen from “the world”. [John15:18~19]   ・Jesus has chosen us from the world Read more…

(369) “神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。”

 書店に行って、最近流行りの『自己啓発に関する本』の書棚へ行くと、「あなたは『なりたいアナタ』になれる!」といったタイトルの本を良く見かけます。確かに「なりたい自分になれる」という言葉には真実も含まれてはいますが、「全てが真実」というわけでもありません。例えば1匹の犬が「飛べるようになりたい」と願ったところで飛べるわけではないし、魚が「1度でいいから吠えてみたい」と頑張ったからといって吠えるようになるわけでもありません。つまり肝心なのは「神がどのように造ってくださったのか」ということです。神はすべての被造物にそれぞれの特徴を添えてお造りになり、その持ち味を存分に発揮して活動するように導かれます。同様に神は私たち人間1人1人にユニークな才能や感受性をお与えになり、それらを最高に活かして生きるように導かれるのです。  上記の聖書のことばの中の「良い行い」という語の意味は、単に『善行』ということではなく、周囲の人々や社会のために役に立つ、「神がその人を地上で最も活躍させたい分野で実を結んで生きる人生」のことです。ワシが風に乗って大空を悠々と飛び回り、チーターが風を切りながら颯爽と走り回るように、神は「あなただからこそ活躍できる分野」を思い描きながら、その役割に最適な存在としてあなたをこの世に生み出されました。だからこそ、全ての人間は「神と出会い、その愛と知恵とを伝授されながら」生きるようになることが重要なのです。  自己啓発本で学ぶことも悪いことではありませんが、それ以上に『聖書』を通してあなたの創造者である神と出会い、この方から、人生で最高・最善のコーチングを受けながら「自己最高の人生」へと向かって行きませんか?

2019年12月15日 「キリストにあって共に生きる」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ   「キリストにあって共に生きる」   (15/12/2019) ◆キリストとの喜びの共有 [ヨハネ15:9~11]   ・ここでイエスが言っておられるのは「戒めに従うことが愛にとどまる条件」ということではなく、「真の愛の関係で   結ばれているのでなければ、決して戒めを守ることはできない」ということ。イエスご自身もその深い愛の関係の   故、御父のみこころを行うことが何よりの喜びだった。イエスの願いは、同じ喜びを私たちと『共有する』こと。 ◆キリストとの友情の共有 [ヨハネ15:12~17]   ・主イエスは私たちを『友』と呼び、「生涯共にいる」と約束された。私たちは「十字架の上で『死なれた方』への恩   返しのための熱意で生きる者」ではなく、「自分と生涯一緒にいるためによみがえられ、今日も自分の内に『生き   ておられる方』と共に生きる者」である。イエスは私たち1人1人を、ご自身と「喜びも悲しみも共有して生きる   『友』」として特別にお選びになった。私たちはこのことを誇りとして生きていくことができる。   ・そしてまた、イエスは「私たちお互い」を『キリストとの友情を共有して生きる仲間』として、計画を持って集めら   れた。私たちは皆、イエスから「究極の友情表現[Ⅰヨハネ3:16]」を教えられた者。この「イエスによって選ばれた   者同士」でしか味わうことのできない『友としての愛情』を共有しながら生きて行こう! ✰今日の大切なひと言: キリストを『共有』して、一緒に生きる。 ◎学びを深めるための質問  ①「愛にとどまるために戒めを守ること」と「愛の関係の故に戒めを守ること」とはどんな風に違うでしょう?  ②あなたは、どんな関係にある『友』のためにならば「いのちを捨てる」ことができると思いますか?  ③同じ教会に集う『神の家族』として、あなたは兄弟姉妹たちにどのように「友としての愛情」を示したいですか? Outline of the sermon        “Live together in Christ.”      (15/12/2019) ◆Sharing “Joy” of Christ. [John15:9~11]   ・Jesus knew how joyful to obey someone (Father) who is in true Read more…

(368) “あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。”

 人生には「やることはこんなにあるのに、十分な時間が無い!」と感じさせられることが、確かにありますよね?でももしあなたが絶えずそのようなプレッシャーの中に生きているとしたら、それはやがてあなたの「仕事」や「人間関係(家族関係)」、更には『日々の生活』や『人格』にまで深刻なダメージを与えるようになります。気を付けてください!  もし皆さんの中で、「それはまさに自分のことだ!」と思い当たる方がいるなら、ぜひ下記の2つのことを心掛けましょう。 1.祈りの中で、神に「自分が負うべきではないのに負ってしまっている重荷が何なのか」を尋ね、示していただく。  ・神は私たち人間を「活動し続けるように」は、お造りになりませんでした。かえって「週6日だけは働き、1日は十分に休息し、また神を礼拝するために集まるように」とお命じになりました。もしそれ以上の時間を費やしてもやり切れないほどのタスクがあるとしたら、それはアナタが負うべきではない余計なことまで抱えてしまっているのです。「本当に自分が請け負うべきものはどれなのか?」を見分ける知恵を、神に求めましょう。 2.他の人に任せる。  ・聖書に登場する中でも最も偉大なリーダーの1人であった『モーセ』という人物でさえ、忙しさの故にバーンアウトしそうになったことがありました。しかしその時彼は神から知恵を与えられ、側近の者たちの何人かに自分の仕事を分配したのです。すると自分の負担が軽くなったばかりか、今まで自分が気が付かなかった「他の人たちの中にあるポテンシャル」を見い出すことができたのです。自分で全てを請け負ってしまうことは、自分を潰してしまうばかりでなく、他の人々の成長の芽を摘み取ってしまうことにもなるのです。

(367) “私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。”

 ある人がとても広い農場を持っていました。彼の家族はそれを先祖代々受け継いできたのですが、彼の死後とうとうその農場は他の人に買い取られました。ある日その農場の新しい持ち主が、新しく手に入れた自分の農場をのんびりと散策していると、1本の細長い石の塊が地面から突き出ているのを見つけました。興味深く思った彼は、それを引き抜いて家に持ち帰り、良く洗ってから試しに宝石店に持って行って調べてもらいました。すると何とその石の塊は何億円もの価値を持つ『エメラルドの原石』であることが分かったのです!この原石は恐らく何百年、いや何千年も前からその場所にあり、何百人もの人々が何百回もその側を通ったはずですが、誰もそんなに価値があるものがそこに眠っているとは気付かずに「ただのありふれた石」と思って見過ごしていたのでした。  私たちが何かを『発見』する時、実はその「何か」はずっと以前からそこにあったものなのです。私たちは「自分の人生にもっとエキサイティングなことはないのか?」「自分は何のために生まれて来たのか?」「もっと自分の個性を活かした生き方はないのだろうか?」と、いろいろな本を読んだり、セミナーに参加してみたりしますが、実はそれらの『宝』を見い出すカギは、初めから「自分自身の中」にあるのです。  私たちがこの『自分の内にある宝物』を見つける1つのヒントとなるのは「その特徴を知っておく」ということです。この農場の新しい持ち主がこのエメラルドの原石の側を単に歩き去らなかったのは、この原石を見かけた時に「これは普通の石と違うんじゃないかな?」と感じたからです。同様に私たちが「人生の教本」である『聖書』に日々親しみ、私たちの「人生の完全な模範」であるイエス・キリストとの関係の中に生きる時、神があなたを母親の胎内で形造った時からあなたの中に組み込んでおられた『人生の宝』を見つける感覚を磨くことができるのです。