(533) “その中で1番すぐれているのは愛です。”

 私たちを行動へと動機付ける主なものに次の3つがあります。①義務感(~しなければならない) ②使命感(~すべきである) ③欲求(~したい!) ではこれらの中で、私たちを「自己最高に生かす」ための動機づけとなるものはどれだと思いますか?  ある人は「そりゃあやっぱり『やりたいことをやる』のが1番だろう!」というかもしれません。また別の方は「やはり意義深いことをするのが1番だから『使命感だ』」とおっしゃるでしょうか?では答えを言いますね。それは、「①②③すべてが揃ったことをするのが『自己最高の人生を生きる秘訣』なのだ」ということです。  「そんなぁ、『しなければならないこと』と『やりたいこと』が一緒になるわけない!」と思う人もいるでしょう。確かに「さて、そろそろ勉強でもしようかなぁ」と思っていた矢先に、親から「ぐずぐずしてないで、さっさと勉強しなさい!」と言われた途端にやる気をなくす、というようなことがあると思います。それは何故か?それは、私たちの行動がしばしば『その時の気分』に左右されてしまっているからです。  実は、これら「3つの動機付け」を見事に1つにまとめて、私たちの人生を最高に輝かせる要素があるのです。それは『愛』です。『真実の愛』とは、世の中でもてはやされているような、単に「相手を好き!」という『感情』ではありません。神が御子イエス・キリストを通して現されたような「相手をこよなく慈しみ、自分の持てるものすべてを捧げて、何が何でも相手を励まし輝かせようとする、内側から込み上げてくる『優しく、かつ力強い』衝動」です。私たちが日々、この神と心のベルトを掛け合って人々と接する時、その場その場で「どうしても成されるべきこと」が、「自分がしないではいられないこと」となって行くのです。私たちをデザインされ、この世界にあって最高に輝かせようとしておられる神は、私たちがこの事に気付き、「真実の愛によって生かされる者」となることを願っておられるのです。

2023年6月25日 「『永遠のいのち』に生かされる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「『永遠のいのち』に生かされる」    (25/06/2023) [へブル人への手紙 6章9~12節] ◆『永遠のいのち』とは?   ・「神からの報い」は必ずしもこの地上で受け取れるとは限らない。『永遠のいのち』とは、別の言葉で言うなら「神との親密な関係」。この「永遠の関係」に希望と生きがいを置いているなら、失望させられることはない。   ・12節にある「信仰」と「忍耐」とは、ほぼ同義語。『信仰』とは「神に信頼して待つこと」。「神は良い方で最善をなさるのだから、必ず最善の時に1番良い物をくださる」と信じて「最後まで待つ」のが真の信仰。[へブル10:36] ◆「神との『愛の関係』に生きる」とは?   ・「神との愛の関係に生きる」とは、つまり「日々聖霊によって注がれる愛をもって人々に『愛の行為』を示していくこと」。(マタイ25章の「羊飼いが羊とヤギをより分けるたとえ」) 使徒ヨハネは、こう記している。[Ⅰヨハネ4:12]   ・恋愛中は『最高の喜び』を与えることができるのも『最大の痛み』を与えることができるのも、その恋愛の相手に他ならない。同様に「神との愛の関係に生きる者」にとって、『最高の喜び』を与えることができるのも『最大の痛み』を与えることができるのも、神ご自身であり、また神に対しては私たちである。ある意味「神の痛みを自分の痛みとして感じることができる」、これが「永遠のいのちに生かされる」ということなのである。 ✰今週のチャレンジ: 「自分を喜ばせること」を求めて生きてはいませんか? ◎更に深い学びのために  ①『信仰』と『忍耐』は、どんな共通点がありますか? 何故私たちは「神様に待たされている」と感じるのでしょう?  ②「神との愛の関係に生きる」とは、日々の生活と照らし合わせると、具体的にどのように生きることですか?  ③「神との愛の関係に生きる者」の特徴として、どんな点が挙げられるでしょう? 考えを分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon    “Live by God’s given ‘Eternal Life’.”    (25/06/2023) [Hebrews 6:9~12] ◆What is “Eternal Life”?   ・We don’t necessarily receive “returns from God” on the earth.  We live in “Eternal Life” Read more…

(532) “怒りを遅くする者には豊かな英知がある。”

 「ならぬ堪忍するが堪忍」と言いますが、単に「我慢する」というのはストレスに感じられるものです。しかし実際に『忍耐』というものはそこまで踏ん張らなければならないものではなく、むしろ「物の見方を変える」ことによって育むことができ、しかもその代償によって得られるものは、想像以上に豊かなものです。  私たちが「我慢を強いられている」と感じる時は、私たちの視野がとても狭く(自己中心的に)なってしまっていることがほとんどです。すなわち「自分の必要」「自分の目標」「自分の予定」「自分の願い」などなど、これらのものが脅かされる時、私たちは「どうして自分ばっかりこんなに我慢しなきゃならないんだ!」と、ある意味『錯覚』してしまうのです。  試しに「他の人の立場に立って物事を見直して」みたらどうでしょう?例えば「豊かな結婚生活」を望んでいるなら、配偶者の目線で物事を見てみるのです。また「良い親になりたい」と思うなら子供たちの立場に立って、ビジネスで成功したいなら顧客の立場で、良い上司になりたいなら部下の立場に自分自身を置いて考えてみるのです。きっと多くの新たな発見があるはずです。  現代のように『インスタント時代』に生きている私たちは、少しでも待たされるとすぐにイライラし始めます。このような状況では、私たちの人生を真に豊かにする『忍耐』は自然発生的には養われません。しかし私たちの神様は「忍耐の神」です。このお方に「忍耐を与えてください!」と祈りつつ、新しい物の見方にチャレンジしてみましょう。きっと新たな人生の醍醐味を体験し始めることができるに違いありません!

2023年6月18日 「神から離れてしまう人とは?」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神から離れてしまう人とは?」    (18/06/2023) [へブル人への手紙 6章4~8節] ◆何が語られているのか?(4~6節)   ・気を付けなければならないのは、以前も学んだように、この手紙は「ユダヤ人クリスチャン」に宛てて書かれているということ。彼らにとって『霊的な堕落』とは、「罪深い生活」ではなく、「救いがキリストにある恵みであることを忘れて、律法主義に戻ってしまう」ということ。これは正に「神の子をもう1度十字架にかける」こと。 ◆自分から出たことではなく… [エペソ2:8-9]   ・私たちにも同様の危険性(自分自身に頼り始めてしまう傾向性)が常に襲いかかってくる。信仰生活の中で私たちが陥りやすいワナは、「神から注がれる祝福が、『自分の側の資質』と関係がある」と、つい考えてしまうこと。   ・いつも言うことだが、「キリスト教」は『宗教』ではなく、『関係』。キリストを通して結ばれた『神との関係』である。私たちが地上で味わうことのできる至高の祝福は『キリストとの一体感』。「神の祝福」だけでなく、『苦難』をもキリストと共有できるという驚くべき特権なのである。   ・悪魔の働きは「試練をもたらすこと」ではなく、むしろ「この世の祝福をもたらすことによって、私たちに『神様無しでもやって行けるかも…』と錯覚させること」である。パウロの警告に耳を傾けながら歩もう![Ⅰコリント10:12] ✰今週のチャレンジ: 神様がいなくても何とかなる日常を生きてはいませんか? ◎更に深い学びのために  ①キリスト者として「堕落してしまう」とは、どういうことでしょう?  ②あなたを『堕落』させるために悪魔がよく用いる作戦に気付いていますか? それはどのようなものですか?  ③「キリストにあって神と共に歩む私たち」にとって、どんなことが『人生の最大の喜び』であるべきですか? Outline of the sermon    “Who drop out of God’s blessings?”    (18/06/2023) [Hebrews 6:4~8] ◆What’s been said here?(Verses 4~6)   ・As we have learned, this letter was primarily written to Jewish Christians.  For them, Read more…

(531) “私が弱い時にこそ、私は強いからです。”

 「キリスト教は『弱者の宗教』」などとよく言われます。(『宗教』と呼ばれることには多少の抵抗がありますが…) ある面この言葉は的を得ているとも言えます。ただそれは「クリスチャンたちは皆何となくメソメソしていて、お互いの傷をなめ合っているようだ」ということではなく、クリスチャンたちは「神は弱い者を顧みられる」ということを信じており、また「己れの弱さを知っているからこそ、神とともに『雄々しく』生きることができる」ということを表しています。  この世界は『弱肉強食』だと言われ、何となく「強くなければ生きて行けない」というような空気があります。しかしよく考えてみれば、人間には多くの『限界』があり、世の中には私たちの知識や能力ではどうしようもないことが山ほどあります。一方聖書の神は『全宇宙の創造者』であり、被造物すべてを治めておられる方なのですから、当然私たちが頼るべきお方です。この神に頼ろうとしないということは、よっぽど物分かりが悪いか、または無鉄砲であるかのどちらかではないでしょうか?  私たちがこの世界で生きるために持つべき態度は、次のようなものであるべきです。「私は弱い者である。だからといって物事を簡単にあきらめたりはしない。どんなことに対しても誠意をもって全力で取り組む。しかし、私の成功を誰よりも願っておられるのは『創造主なる神』である。私の知恵や力の及ばない試練にぶちあたった時、私は喜んでこの神の前にへりくだる。そしてこの方の知恵と力に頼りつつ、困難を克服して、このお方の栄光を讃えて生きよう!」

(530) “主を恐れることは知識の初めである。”

 私はドラマをよく観ます。主に日本のドラマと韓流ドラマですが、大抵主役を脅かす『悪役』が登場します。そして、これもよくあることですが、この『悪役』のボス的存在(ほとんどの場合が「お金や地位目当て」なのですが…)が実に優れた人物で、彼の巧妙な手口や人の操り方などを見ていると、つくづく「あぁ~、これだけの技術や能力を『善』のために用いていたら…」と思わされるのです。  現代は「学歴社会」と呼ばれます。私が学生の頃は高校へ進む割合がようやく90%に達した時代でしたが、今やほとんどの人が大学へまで進学するようになっています。小学校入学から数えて15~16年もの年月を『勉学』に励んでいるわけですが、果たしてそれらの学んだ知識を実生活にどれだけ活かせているのでしょうか?実際、中学校の時に「方程式」なるものを学びますが、日常生活でそれらの知識が必要とされる場面はほとんどありません。  聖書は、「まずこの天と地の創造者である神を知れ!」と私たちに呼びかけます。そしてこのことを知らなければ、他のすべての『知識』は虚しい、というのです。創造者である神を知ってこそ、自分自身がどれほど価値ある存在として生まれて来て、他者から搾取したり、お互いを痛め付けたりするためではなく、愛し合い建て上げ合うために生きていることを知ることができるのです。その上で「他者のために自分ができること」を豊かにし、磨き上げるために「知恵や技術」を身に付けて行こうとするならば、この世界はどんなに美しいものになって行くことでしょうか?

2023年6月4日 「成熟を目指して」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「成熟を目指して」     (04/06/2023) [へブル人への手紙 5章11~6章3節] ◆『乳』と『固い食物』(12~14節)   ・この手紙はユダヤ教からの改宗者に宛てて書かれているので、『霊的な幼子』というのは「聖書や神について  よく知らない人」という意味ではなく、むしろ「『信仰による救い』を十分に把握できず、改宗後も相変わらず『自分自身』に望みを置いてしまっている人」を指している。  ・ここで言う『乳』とは、「旧約聖書の中に証されている『メシヤ(キリスト)』を分かり易く解き明かしてもらうこと」であり、『固い食物』は「私たちを『キリストの花嫁』として整え、永遠の神の都へと招き入れる『御霊による新しい律法』」を指している。これには「キリストへの明け渡し」が必須であり、ユダヤ人にはとてつもないシフトだった。 ◆クリスチャンにとって『成熟』とは何なのか?(6章1節)   ・私たちも「努力して目標を達成する」という価値観が染みついているので、同様の『明け渡し』が必要である。   ・今日は洗礼式があるが、パウロはバプテスマに関してこう書いている。[ローマ6:3-4] キリスト者が『成熟』に向かうとは、「神に従って生きることが最善である」と心から納得し「日々十字架を負ってキリストに従うこと」である。キリストにある『死と復活(ピリピ3:7-11)』を体験し、「神にしかできないビジョン」を受け取って歩んで行こう! ✰今週のチャレンジ: あなたは「キリストにある成熟」を目指していますか? ◎更に深い学びのために  ①あなたは「自分は霊的に幼子だ」と感じますか? それはどうしてだと思いますか?  ②ここで言っている「乳」と「固い食物」とでは、どう違うのでしょう?  ③キリスト者として更に『成熟』へと向かうために、あなたが成すべきことは何だと思いますか? Outline of the sermon     “Let’s go on to Maturity!”    (04/06/2023) [Hebrews 5:11~6:3] ◆“Milk” and “Solid food”.(Verses12~14)   ・We should be aware that this letter was being written for Jew Christians.  Their mind was Read more…