(531) “私が弱い時にこそ、私は強いからです。”

 「キリスト教は『弱者の宗教』」などとよく言われます。(『宗教』と呼ばれることには多少の抵抗がありますが…) ある面この言葉は的を得ているとも言えます。ただそれは「クリスチャンたちは皆何となくメソメソしていて、お互いの傷をなめ合っているようだ」ということではなく、クリスチャンたちは「神は弱い者を顧みられる」ということを信じており、また「己れの弱さを知っているからこそ、神とともに『雄々しく』生きることができる」ということを表しています。  この世界は『弱肉強食』だと言われ、何となく「強くなければ生きて行けない」というような空気があります。しかしよく考えてみれば、人間には多くの『限界』があり、世の中には私たちの知識や能力ではどうしようもないことが山ほどあります。一方聖書の神は『全宇宙の創造者』であり、被造物すべてを治めておられる方なのですから、当然私たちが頼るべきお方です。この神に頼ろうとしないということは、よっぽど物分かりが悪いか、または無鉄砲であるかのどちらかではないでしょうか?  私たちがこの世界で生きるために持つべき態度は、次のようなものであるべきです。「私は弱い者である。だからといって物事を簡単にあきらめたりはしない。どんなことに対しても誠意をもって全力で取り組む。しかし、私の成功を誰よりも願っておられるのは『創造主なる神』である。私の知恵や力の及ばない試練にぶちあたった時、私は喜んでこの神の前にへりくだる。そしてこの方の知恵と力に頼りつつ、困難を克服して、このお方の栄光を讃えて生きよう!」