(474) “人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。”

 英語のことわざに、「Flying off the handle」というものがあります。これはハンマーなどのつなぎ目が緩んでいたために、釘を打ち付けようと振りかざした時に、ハンマーの先っぽが柄から抜けて吹っ飛んでしまうさまを表しており、「簡単に癇癪を起こす人への警告」のために用いられます。なかなか面白い表現ですよね?あなたの『ハンマー』は大丈夫ですか?  ハンマーの先っぽが吹っ飛んでしまうと、続いて起こりうるいくつかの災難が思い浮かびます。  ①そのハンマーそのものが使い物にならなくなる。すなわち、癇癪を起こした人の言葉や態度は、それ自体がいくら説得力があり、理にかなっていたとしても、もはや誰も聞く耳を持ってくれず、効果がなくなるということです。本当に相手に分かって欲しいなら、落ち着いた態度や口調で話しましょう。  ②飛んで行った「ハンマーの先っぽ」は、ダメージを与える。怒りに任せて発した言葉や態度は、相手の心を傷付け、時にはその傷が一生残ってしまう場合もあります。あなたは一生誰かからの恨みを背負って生きたいですか?  ③「先っぽをなくしたハンマー」と「与えたダメージ」のどちらも、元に戻すのは大変な作業である。実際、多くの場合は「取り返しのつかないこと」になる場合が多いでしょう。「あの時の『カッとなる気持ち』を、そのまま相手にぶつけたりしなければ…」という後悔を背負って生きている人は、少なくないのかもしれません。  「そんなこと言ったって、人生にはむしゃくしゃすることが多すぎる!」 そうおっしゃるかもしれません。面白いことに聖書には次のようにも書いてあります。「復讐は神に任せなさい」と。聖書の神は『公平』なお方であり、カッとなることもありません。しかも私たちの心を読み取られる方でもあります。本当に不条理なことには、神があなたに代わって公平にさばいてくださいます。このお方にお委ねして、私たちは大きな心で人と接するように心がけましょう。

2022年1月23日 「神への信仰」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「神への信仰」    (23/01/2022) [マルコ 11:20~25] ◆「いちじくの木に起こったこと」の意味 [20~22節]   ①「いちじくの木」は、しばしばイスラエルの民を象徴するのに用いられた。従ってここでは「メシヤ到来に気付かなかった民」、そして「やがて来るその滅亡の予告」を象徴している、と捉える。   ②(これ以降の文脈から)神が全て(被造物や季節・法則など)の創造主なのだから、神ご自身はその『法則』に従う必要はない。すなわち「神はご自分の望むことをされる」ということ。 ◆正しい祈り [22~25節]   ・「神を信じなさい」は、「神は何でもお願いを叶えてくれると信じなさい」の意味ではない!むしろ、「正しく神を信じるなら、正しい祈りができ、その祈りは必ず答えられる」という意味。では、どのように「正しく祈る」のか?    ①神に関する『正しい知識』(神の主権・力・最善など)に基づいて祈る。    ②神との『正しい関係』に基づいて祈る。― 神は「個人的な関係」の故に、祈りにお応えになる。   ・これらに基づいて祈る時、「私が知っているこのお方は、必ずこの祈りを聞いてくださる!」という強い確信が生まれる。このような信仰によって大胆に御前に出るご自身の子供たちを、神は決して拒むことはない。 ✰今日のみことば: マルコの福音書 14章36節 ◎更に深い学びのために  ①「いちじくの木が枯れた出来事」から、主イエスが私たちに知らせたいのは、どんなことだと思いますか?  ②今日の箇所から、主イエスが「信仰について」私たちに知らせたいのは、どんなことだと思いますか?  ③今日の箇所から、主イエスが「祈りについて」私たちに知らせたいのは、どんなことだと思いますか? Outline of the sermon         “Have faith in God.”         (23/01/2022) [Mark 11:20~25] ◆Why did Jesus curse the fig tree? [Verses 20~22]   ・It shows us that our God Read more…

(473) “柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。”

 「柔和な性格」と聞くと、どちらかというと弱々しいイメージがありますが、聖書に出て来る『柔和』という語を原文のギリシャ語で見てみると「制御された力強さ」という意味だと分かります。この『柔和』という描写は、聖書の登場人物の中では「イエス・キリスト」や「モーセ」などに用いられています。両者とも様々な困難に直面する中で、決して心折れることなく、多くの民を神への信仰と従順へと導き励ましました。  「すべての人を喜ばせること」は、誰にもできません。真剣に人生を歩めば歩むほど、必ずいちゃもんを付ける人や妨害しようとする人が現れます。ある意味、私たちの人格的な成熟度は、このような人たちにどのように対処するかに現わされると言っても良いでしょう。このような場面で、次の3つくらいの態度が考えられます。  ①おじけづく: 真の『柔和さ』を十分に身に着けていないと、このワナに陥る傾向があります。相手に気に入ってもらおうとするがあまり、不必要な代価を払ってしまうのです。そのため「本当に大切な人間関係」を傷付けてしまう可能性があります。  ②反抗する: このような態度は「自信の現れ」ではなく、むしろ「自信の無さの現れ」です。つまり『心の不安』の故にむきになって自己主張しようとするわけです。このような態度はかえって敵を増やし、自分自身を窮地に陥れます。  ③柔和な態度で冷静に対応する: これができるのは、自分自身の言動に強い確信を持ちつつも、相手の言動を正しく尊重することができるからです。「真に柔和な人」は、落ち着いて相手の話を聞き、正しく「良いものと悪いもの」を見分けることができるのです。  『柔和さ』とは、次のように自問自答できることだと言えるでしょう。「ここで自分自身を押し通すことと、この人との関係を保つこととは、どちらがより価値あることだろうか?」

2022年1月16日 「『目的』と『手段』」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「『目的』と『手段』」    (16/01/2022) [マルコ 11:12~19] ◆宮きよめ   ・この時の『宮』は、1週間後に迫った「過越の祭り」のためにごった返しており、地方から出てきた巡礼者たちを相手に商売が行われていた。しかし「過越の祭り」は、これから十字架にかかろうとしているイエスの「贖いのみわざ」を象徴しているできごと。それを「利得の手段」としているご自分の民に、イエスはどのような感情を抱いたことであろう。 ◆祈りの家 [17節]   ・『神殿(神の宮)』の本来の目的は「神との出会い」。「神を知り、神を礼拝し、神との関係を育むため」に神殿は建てられた。最初の神殿を建てたソロモン王は、多くのリストを挙げ「これらの事が起こった時に、もしあなたの民がへりくだって御前に祈るなら、あなたが親しく天から聞いて、その祈りに答えてください!」と神に嘆願し、神はその祈りに対し「わたしの目と心はいつもそこにある」と約束してくださった。   ・私たちはこの『祈りの家』である「神の宮」を、自分勝手な都合のために利用しようとすることなく、「神である主を礼拝し、祈り、この方を更に深く知るため」に、心を躍らせながら、日ごと、週ごとに『主の宮』へ行こう! ✰今日のみことば: 詩篇100篇 ◎更に深い学びのために  ①イエスが『宮きよめ』をなさったのは、どんな理由からだと思いますか?  ②『宮(神殿)』は、本来どのようなことのために用いられるべきでしょう?  ③『神の宮』に対する意識として、私たちが陥ってしまいがちな誤りには、どんなものがあるでしょう? Outline of the sermon      “What is ‘the temple’ really for?”      (16/01/2022) [Mark 11:12~19] ◆Inside “the Temple”.   ・There were lots of trade business happening in the temple as “Passover” was coming up.  This “Passover” is Read more…

(472) “神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められる。”

 神の存在を信じようとしない人たちを『無神論者』と言います。彼らは「神の存在を信じるなんて、実に『非科学的』である」と主張しますが、これは大きな誤りです。何故なら、何かに関して「それは決して存在しない」と断言することこそ『非科学的』だからです。無神論者は、神の存在を「信じようとしないこと」はできますが、「神の存在自体を否定すること」は科学的に不可能です。そしてもちろん、「神の存在を信じようとしない人がいるから」といって、神が存在しなくなるわけではありません。  『神』すなわち『創造主』を信じないということは、よくよく考えるなら実に無謀なことです。『創造主』の存在を否定してしまうなら、一体どのようにして様々な『被造物』の存在理由を説明できるのでしょう?日々私たちの目を楽しませてくれる美しい花々は一体どこから出てきたのでしょう?これらの花々からミツバチたちが蜜を集め、私たちに美味しい蜂蜜を提供してくれるなんて、誰が考えたのでしょう?私たちが毎日必要な酸素を、緑の木々が提供してくれるように、一体誰がアレンジしてくれたのでしょう?『無神論者』とはすなわち、これら全ての出来事は「偶然の産物」ということで片づけてしまう人たちなのです。  あなたももしかしたら今までは「神を信じるなんて愚か者のすること」と思いかけていたかもしれませんね。でも実際のところ「神の存在を信じないことほど無知で愚かなことはない」というのが、はるかに妥当な考え方なのです。

2022年1月9日 「イエスを『王』とする」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「イエスを『王』として生きる」    (09/01/2022) [マルコ 11:1~11] ◆遣わされた2人の弟子 [1~3節]   ・この2人の弟子と同じように、私たち1人1人も主イエスによって「遣わされて」いる。『遣わされた者』にとっての最優先事項は「自分の解釈や印象」ではなく、「遣わした方」の指令をよく理解し、それを忠実に遂行すること。それには『信頼』が要求される。この新しい年も日々の交わりを通して主イエスのことをより深く知り、彼に対する信頼を深めて、任せられた役割を忠実に行っていこう。 ◆王なるイエス [7~10節]   ・この「エルサレム入城」は、イエスが『王』であることをいくつかの点で描写している。    ①「預言の成就」。[ゼカリヤ書9:9]  ②「上着や葉の付いた枝を道に敷く」のは、『王』を迎える時の態度。    ③イエスご自身も『まことの王』としての自覚を持っておられた。[ヨハネ18:33, 36~38] ここでいう『真理』とは、「天に唯一まことの神がおられ、人はこの方の権威の下で歩む時にのみ、真の自由をもって『自己最高に』生きることができる」 ということ。   ・この2022年、イエスこそ『真の王』と仰ぎ、彼の『真理のみことば』に根差し、揺るぎない人生を歩もう! ✰今日のみことば: マタイ25章40節 ◎更に深い学びのために  ①「主イエスに遣わされている者」という意識を持つことは、あなたの日々の歩みにどんな違いをもたらしますか?  ②人々は、エルサレムに入城してくるイエスを、どのような思いをもって迎えたと思いますか?  ③イエスはあなたの人生の『王』ですか? あなたはそのことをどのようにして判別できるでしょう? Outline of the sermon      “Enthrone Jesus in life.”      (09/01/2022) [Mark 11:1~11] ◆Jesus sent two disciples. [Verses 1~3]   ・When we are sent by someone, we concentrate on Read more…

(471) “神は我らの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。”

 2022年、明けましておめでとうございます。今年こそ『コロナ禍』が過ぎ去って、もう少し自由に行き来し、友人たちと対面でじっくりと語り合えるようになると良いですよね。  さて、「ピンチの時こそ、その人の真価が現れる」と言われますが、その『真価』というのは、しばしばその人が「何に根差して生きているか」によって大きく左右されます。もし私たちが単に「自分の知識や経験」にのみ頼っているのなら、不測の事態に直面した時には容易に浮き足立ってしまうことになります。しかしそんな時、この天地を創造し支配なさっておられる全能なる神に頼ることを知っているなら、揺るがされることはありません。それはあたかも地中深く根を張っている樫の木の大木のようなものです。これらの大木は何百キロもの範囲に渡って根を張っており、山火事やどんな干ばつに遭っても枯れることはありません。  人生には、山火事のような「周囲からの脅しやプレッシャー」、また干ばつのような「思いもよらぬ不幸や危機」に直面することがあります。そのような時に、単に『自分の力や能力』ではなく、あなたを愛し守り支えてくださる『全能の神』に信頼を置いていることは、まさにこの樫の大木のような根をもっていることに他なりません。 この新しい年、一体どんなことが起こるのか想像もつきませんが、日々この創造主なる神に信頼を置き、たとえどんなに思いがけない局面に立たされることになっても「揺るがされることのない」歩みをしたいものですね。

202212 「私のための神のみこころ?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「わたしのための神のみこころ?」    (02/01/2022) ◆「個人のための神の計画」はあるのか?   ・パウロは、「私たちが『良い行い』に歩むようにと、神はキリスト・イエスにあって『良い行い』を備えてくださっている」と言っている。[エペソ2:10] しかし神を知れば知るほど、神は私たちの『行い』以上に『心(内なる思い)』に関心があることが分かってくる。では果たして神は私たち1人1人に「特別な計画」をお持ちなのだろうか?   ・神は私たちに「何かをすること」ではなく、「何かになること」すなわち「キリストのようになる(『真の神の子』として歩む)こと」を願い、聖霊の働きによってそれを実現しようとしておられる。[ローマ8:28~29] 聖霊は「特定の行いへと導く」というよりは、みことばや状況を用いてまず「私たちの内側を練る」。[Ⅱテモテ3:16~17,へブル12:7] ◆唯一最大の戒め [ヨハネ13:34]   ・『愛する』とは、「相手の最善のために、最大限の犠牲を払うこと」。そして私たち1人1人にとっての『最善』とはそれぞれの人生に『神の計画』が実現されることである。キリストはまさにそのためにご自身をささげられた。ということは「キリストが愛されたように互いに愛し合う」とは、互いの人生に『神のご計画』が成し遂げられるために、心を込めて祈り合い、惜しまず与え合い支え合うこと。この2022年、そのような心構えで進んで行こう! ✰今日のみことば: ガラテヤ6章2節 ◎更に深い学びのために  ①神は「あなたのための特別な計画」を持っていると思いますか? どうすればそれを知ることができるでしょう?  ②私たちはどのようにして「キリストのごとく変えられて行く」のでしょう? それを妨げるのはどんなことですか?  ③「イエスが愛されたように互いに愛し合う」ために、あなたはどんなことを心がけてこの1年を歩みたいですか? Outline of the sermon         “God’s will for Me?”         (02/01/2022) ◆Does God really have “a special plan for each one of us”?   ・In [Ephesians 2:10] Paul says that God has prepared “good works” Read more…