2023年12月31日 「教会 ― キリストのからだ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「教会 ― キリストのからだ」    (31/12/2023) ◆もう1つの大切なこと  ・前回「最も大切なこと」として『神との個人的な関係』について話したが、今日はそれと同様に大切なこと(Ⅰコリント12:27)について話す。この聖書箇所には2つの要素が含まれている。   ①私たち(教会)は「キリストのからだ」である。御父は御子イエスが地上におられた時には彼を通してみわざを行われたが、現代は「キリストのからだ」である私たちを通して、そのみわざを継続しておられる。   ②私たち1人1人は「からだの部分」である。私たちは「神のみわざ」を成就するためにお互いを必要としている。[Ⅰコリント12:7] 「個人プレー」ではなく、『神の愛』によって互いを生かし合う「神の国のチームメイト」。 ◆1人1人に与えられた責任(タラントのたとえ)  ・『牧師』に「群れを統括する」という責任があるように、1人1人にも「神から与えられた『御霊の現れ』を互いの益のために用いる責任」がある。(「牧師がかしら」なのではない!)  ・2024年は、各自がまず「熱心に神を求めてみことばを学び」、そして「主イエスが自分と一緒にやりたいと思っている」と感じることに大胆に挑戦していく年としよう!そして1年後には「自分はJCFというキリストのからだの、こういう部分なのだ!」と胸を張って宣言できるようになれたら、何と幸いなことだろう。 ✰今年の年間聖句: [ローマ人への手紙 12章5節] ◎更に深い学びのために  ①何故「教会はキリストのからだである」と言えるのでしょう?  ②私たち1人1人が「キリストのからだの部分である」とは、一体どういう意味でしょうか?  ③「キリストのからだの部分」として自分が機能するために、心掛けるべきことはどんなことですか? Outline of the sermon    “Church ― Body of Christ.”    (31/12/2023) ◆One more important thing.  ・Last week we learned “the most important thing” which is “personal relationship with God”.  Today we are Read more…

(555) “「その名は『インマヌエル』と呼ばれる。それは訳すと、『神が私たちとともにおられる』という意味である。」”

 皆さんはこのクリスマス・シーズンをどのように過ごされていますか?  ニュージーランドで暮らすようになって気が付いた日本との1つの違いは、若い人たちにとって日本では「クリスマスは恋人と一緒に過ごす」というのが定番になっているのに対し、ニュージーランドでは多くの場合「実家に帰って家族と過ごす」というのが常識になっているということです。ちょっと日本のお正月やお盆と似てますよね?  では「我が家はどう過ごしたか」と言いますと、クライストチャーチには日本から短期でやってきている留学生やワーキングホリデーの若者たちがたくさんいるので、それらの知り合いの中で「クリスマスに一緒に過ごす相手がいない」という人たちを招いて『クリスマスBBQ』をしました。幸い晴天に恵まれたので、大変有意義で賑やかな楽しいひと時を過ごしました。  そもそも『クリスマス』は「イエス・キリストの誕生日」、もっと正確に言うならば「神がそのひとり子イエス・キリストを人として地上に遣わされたことを記念する日」です。この出来事は何百年も前から預言されていて、その預言の中でイエス・キリストは『インマヌエル』と呼ばれると書かれています。そしてその名前は、「神が私たちとともにおられる」という意味なのです。  「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、確かに私たちは順境では『神様』のことなどスッカリ忘れて日々を過ごします。しかし苦しみに直面した時、思わず「神様、助けて!」と叫ぶ人が多いのではないでしょうか?もしかすると、この「クリスマス・シーズンのお祭り騒ぎ」のただ中で、孤独感にさいなまれ、また悲惨なクリスマスの思い出に頭を悩ませている方もおられるかもしれません。そんな時、ぜひ思いを馳せていただきたいのです。『真のクリスマス』は、そのような「お祭り騒ぎの中」にあるのではなく、「神様、こんな私と共にいてください。私を支えてください」というような、差し迫った思い出神を求める心とともにあるのだ、ということを。  「クリスマス・スピリット」、それは、「神は私とともにおられることを私たちに知らせるために、ひとり子イエス・キリストを送られた」ということに思いを馳せることなのです。

2023年12月17日 「神との関係はリアクションに現れる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「神との関係はリアクションに現れる」 (17/12/2023) ◆「神との関係」のレベル  ・『神との関係』というものを「知的なレベル」で捉えようとしている人は、「神からの語りかけ・導き」というものを『アタマ』で考えようとする。しかし、「神様の思い」を私たちの小さな頭で推し測りようがないのは明らか。  ・また『神との関係』を「感情的なレベル」でつかもうとする人、すなわち神のみこころや導きを「心の高揚」によって判別しようとする人もいる。この手の人々はよく[ピリピ2:13]のみことばを引用する。しかし「神のみこころ」と「自分のお心」を見分けることは非常に困難。  ・『神との正しい関係』を築くためには、「霊的レベル」におけるアプローチが必須。[ヨハネ4:24,Ⅰコリント6:17] ◆「神との関係」を育む  ・神との「霊的レベルでの交わり」を育むためには2つの主な要素がある。①霊の食物(みことば)と②信仰(自分の欲や好みを神に明け渡す)の2つ。そしてこれらの基盤となるのが「神は良い方である」という確固たる確信。  ・「神と共に歩む」ためには、いつものようにリラックスしつつ「霊的に目を覚まして」いる。1つ1つの出来事に対して知性や感情を超えたレベルで「何だか分からないけど、何か引っかかる」ような思いをキャッチし、思い切ってそれに従ってみる。[Ⅱコリント5:7] 「人と違っていること」を恐れるな。主イエスもそのように歩まれた! ✰今週のチャレンジ: 『霊的センス』を磨こう! ◎更に深い学びのために  ①私たちはどんなことを頼りに「神のみこころ」を判別しがちですか? それらのどこが間違っているのでしょう?  ②「神との正しい関係」を築き、「神と共に歩む」ために、どのようなセンスを磨く必要がありますか?  ③『霊的センス』を磨くために、どんな要素が必要ですか? そのために神はあなたに何を求めているでしょう? Outline of the sermon  “Relationship with God reveals in our reaction.”  (17/12/2023) ◆Your levels of “relationship with God”.  ・Some people try to build “relationship with God” in their “intellectual level”.  They think Read more…

(554) “人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。”

 聖書は『怒り』というものをコントロールするための3つのカギとなる要素を教えているので、ちょっと詳しく見てみましょう。 ①「聞くのに早くする」  ・相手の話の途中でさえぎったり、慌ててリアクションしたり、自分の思いで決めつけてしまわないように気を付けましょう。心を落ち着けて「相手が伝えようとしている『真意』」をしっかりと汲み取ることを心掛けましょう。そして祈り心をもって「神様が自分を通して相手に伝えようとしていることは何か」ということを思い巡らしましょう。 ②「語るのに遅くする」  ・自分の考えに確信が無かったり、相手にどう答えたら良いか分からない時は、素直に相手にそのままを伝えましょう。古い中国のことわざで、「何も言わないで周りから愚かだと思われる方が、間違ったことを言って自分が愚かだということを証明してしまうよりもマシである」というものがあります。その場しのぎのために「私は何でも知ってるよ」という顔をすることは、後に大きな代償を支払わされる結果を生みかねません。 ③「怒るのに遅くする」  ・聖書は「決して怒るな」などとは教えていません。ただ『怒り』というものを「真に怒るべきことのため」に、「ふさわしい方法」で、「正しいタイミング」に表現するように勧めているのです。  自分の『怒り』というものをしっかりとコントロールするためには、自分の心の中にある「傷やわだかまり」というものにしっかりと対処しておかなければなりません。これらのものはしばしば『怒り』をふさわしくない方法で表現させる引き金となります。またある人々は、「『怒り』を表現する」ということそのものを「悪いこと」と決めつけ、「表現できなかった『怒り』」を心の中に溜め込んでしまうことによって、かえって「自分自身」や「人々との豊かな人間関係」を台無しにしてしまうことがあります。  私たちをお造りになり、この地上に生み出してくださった『創造主なる神』は、私たちをこよなく愛し、私たちの『体』だけでなく、私たちの『心』のことを深く気にかけておられます。そして「あなたの『喜怒哀楽』の全てをわたしにぶつけていいんだよ」とおっしゃいます。このお方に全てをぶちまけることによって「スッキリした心」を保ち、平安な心をもって周囲の人々との豊かな関係を築いて行きましょう。

(553) “あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。”

 世の中には「素晴らしいもの」はいくつもありますが、その中でも最たるものがこの『人体の神秘』ではないでしょうか?  スマホに内蔵されたカメラは日々精度を上げていますが、未だに「私たちの肉眼」で捉える映像の比ではありません。それは私たちの網膜が毎秒100億もの識別活動を行っているからです。また私たちの『鼻』は、空気中を漂っている「1ミリグラムの百万分の1」のニンニクの匂いの成分を「1万種の異なった香り成分」の中から嗅ぎ分けることができます。  私たちの体を覆っている『体毛』は「髪の毛1本の1000分の1」の重みさえも感じ取ることができます。そしてまた私たちを形作っている1つ1つの細胞では「毎秒1兆もの化学反応」が起こっているのです!数えきれないほどの数量や確率を描写する時に『天文学的数字』という言葉を用いますが、正にそのような『天文学的な営み』が、毎瞬間私たちのこの肉体において現実的に起こっているのです。一体『人体』とはどれほどに驚異的な存在なのでしょう!  聖書は、この人体は「神の傑作品である」と述べています。私たちは日々「神の驚くほど偉大なみわざ」を身をもって体験しているのです。この『創造主なる神』をほめたたえずにはいられないと思いませんか?

(552) “キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、…人間と同じようになられました。”

 12月になりました。巷では『クリスマス・セール』のシーズンとなり、クリスマスツリー、その他のデコレーションで湧きたっています。そのこと自体はワクワクして良いと思うのですが、いつもこの季節に感じることは、単に「はしゃぐための口実」としてだけでなく、「そもそもクリスマスとは何なのか?」ということにも思いを馳せて欲しいなぁ、ということなのです。  クリスマスを「イエス・キリストの誕生記念日」として知っている人は少なくないと思いますが、これをもっと正確に表現するなら「神のひとり子が、人の姿をして地上に現れた記念日」と言えます。本来「物理的にも時間にも縛られていなかった方」が、我々と同じような『1人の弱い人間(赤ん坊)』となって私たちの間に住まわれた。これはある意味「人類の月面着陸」よりも遥かに偉大で驚くべき出来事です!  キリストは何故このようなことをされたのでしょう?それは「私たち人間の弱さや限界、痛みや苦悩を理解するため」、もっと言うなら、「神は私たちの弱さや苦悩を見て見ぬふりをする方ではない。共にそれらを味わってくださり、またそこから救い出してくださる方である」ということを私たちが信じることができるようになるためではないでしょうか?  私たちは、順境の時には神のことを忘れ、逆境の時には「神は私のことを見捨てた」と文句を言う、そんな自分勝手な存在です。しかしこのクリスマス・シーズン、私たちの心に近づくために「神としてのあり方を捨てて人となられたイエス・キリスト」のことを思い起こして欲しいのです。