(185) “キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。”

イエス・キリストは、十字架にかかる前の晩のいわゆる『最後の晩餐』の席で、目前に迫っている恐ろしい出来事に備えさせるためか、12弟子たちに次のようにおっしゃいました。「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 誰もが『変わることのない平安』を求めています。何故でしょう?それはこの世界があまりにも「変わりやすく」「移ろいやすい」からに違いありません。昨日まで新しいと思っていたことが、今日はもう古いと言われてしまう。昨日までは味方だと思っていた人が、手のひらを返したように敵に回ってしまう。そのような世界に生きている私たちは『変わることのない本物』を欲しているのでしょう。 多くの人々は「お金」「地位」「安定した生活」などに『平安』を見出そうとします。「これさえ手に入れれば、きっと幸せになれる。安心できる。」と思うわけです。しかしひとたびそれらのものを手に入れると、やがて襲ってくるのは『物足りなさ(「もっと欲しい」と思う気持)』でしかありません。私たちの外側にあるものは、決して私たちに恒久的な平安をもたらしません。 ある時『平安』というテーマの絵画展が開かれ、その中の1つの作品に注目が集まりました。その作品には画面いっぱいに荒れ狂う嵐の光景が描かれていました。しかしよぉく見ると、その中央付近に描かれている一本の木の枝に鳥の巣があって、その巣の中で一匹の親鳥が大きな翼を拡げてひな鳥たちを囲んで嵐から守っているのです。ひな鳥たちは外の嵐がうそのように安心しきって憩っています。 『真の平安』とはそのようなものです。たとえ周囲の状況がどうであれ、「わたしは大きくて力強い守りの中にいる」と確信して日々を生きることができるということ。これがイエス・キリストが言われた「この世が与えるのとは違う、わたしの平安」というものなのです。

2015年10月25日 「信仰の3段階」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「信仰の3段階」       (25/10/2015) [ヨハネ8:30~32] ― この箇所から『信仰』には3段階あることが分かる  ①イエスが「神の子・救い主」であると信じる[30節] ・これは『ゴール』ではなくて『スタート』。キリスト者としての「信仰生活の醍醐味」もここから始まる。  ②イエスのことばにとどまる[31節] ― 弟子の歩み ・「自分の経験やこの世の常識」と「神のことば」とがくい違った時に、前者に対して『No』と言い、後者に対して 『Yes』と言って従う。 ◆『真理』に根ざした歩み = 『アーメン』な歩み → [34節] ・何故イエスはここで『罪』を持ち出したのか? ・『罪』とは何も「邪悪なこと」に限らず、「的を外れていること」。すなわち『神の真理(価値基準)』からズレている。 たとえ社会の常識に沿っていても、「神の国の価値基準」から外れていたら、それは『罪』。[ヨハネ17:15-17] ◆ローマ総督ピラトの決断 [ヨハネ18:37-38] ・ピラトは「真理であるキリスト」を目の前にしていたにも関らず、それをつかみそこねて「この世の流れ」に押し流 され、自分の身に滅びを招いた。 私たちは『真理』に対する態度をはっきりさせなければならない!  ③「真理に歩む習慣」から来る『真の解放』を味わう [32節] ・「やみが光に打ち勝てない」のと同じように、「この世の常識は、決して『神の国の真理』に打ち勝てない」。   ✰「天国に行く信仰」にとどまらず、『神の国の基準』に従って生きることによって、 周囲に影響を与えていく信仰者となりましょう!     Outline of the sermon           “3 Steps of Faith.”      (25/10/2015) [John 8:30~32] ― This verses show that Read more…

(184) “風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。”

冒頭の聖書のことばは、何も『農民の心得』について語っているわけではなく、平たく言えば「理想的な状況が整うのを待っていたら、いつまで経っても仕事は進まない」というわけです。神を信じる者の歩みも同じことが言えます。 最近ある牧師が面白いことを言っていました。「『信仰』の反対語は、『不信仰』ではなく、『恐れ』である」と。すなわち、「心から神に信頼しているなら、逆境においても恐れず大胆に進んでいける」というのです。なるほどな、と思いました。『大胆であること』と『浅はかであること』が似てて非なるものであると同様に、『忍耐強いこと』と『臆病であること』も一見見分けるのが難しいですが、根は全然違います。真の『信仰』は、待つことが難しい時にも忍耐を可能にし、また前進が難しい時でも大胆な1歩を踏み出させてくれます。 三重苦を克服した人物として有名な『ヘレン・ケラー』はこんな言葉を遺しています。「どれほど万全を尽くしたところで『完全な環境』などというものはあり得ない。もしあなたが人生を『素敵な大冒険』として味わっていないとしたら、あなたは真の意味で『人生』を味わっていないのである。」 私たちの人生に『試練』や『挫折』が存在するのは、神が私たちを打ちのめそうとしておられるのではなく、かえって私たちが神ご自身を更に深く求め、その信仰を成長させるようにしておられるのです。恐れに対して『No』と言い、神の招きに対して『Yes』と答えながら、この『素敵な大冒険』進んでいきましょう。

2015年10月18日 「ペテロの信仰」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「ペテロの信仰」       (18/10/2015) ◆今回の一時帰国中のハイライト ◎関東・関西地区での「クライストチャーチ帰国組同窓会」  ◎グローバル・リターニーズ・カンファランス  ①大阪(チャペルこひつじ)での同窓会 ・同窓会は少人数(12人)だったが、親密な交わりが与えられ、互いの必要のために祈ることができた。 ・よしこちゃんが「帰国者クリスチャンとしての葛藤」を具体的に分かち合ってくれた。 (同窓会の後、京都にあるよしこちゃんの出席教会にて「海外邦人宣教」について話すことができた。)  ②宇都宮(坂本ひかる宅)での同窓会 ・2泊3日のじっくりとした交わり。初対面同士もたくさん。部分参加を含めて30人近くが集まった。 ・JCFで歌われている賛美、みことばの学び、グループでの分かち合いと祈り。 ・峰町キリスト教会の礼拝に出席。礼拝後、一緒に餃子を食べに行った。グループの継続した交わりを期待。  ③グローバル・リターニーズ・カンファランス(GRC) ・3年に1度行われている、世界各地で主イエスと出会い日本に帰ってきた『帰国者クリスチャン』の集い。 ・富士の裾野での3泊4日のカンファランスに、400人以上が集まった。みちえさんもビックリ。 ・例年より多かった『オセアニア・グループ』。何人かは「スモール・グループ・リーダー」として奉仕。 ◎『帰国者クリスチャン』に対する大きな期待 ― ①多くの若者たち  ②教団・教派を超えている ◆One Step Further.(2つの体験がきっかけ) *ペテロの信仰 [ルカ5:1-6,マタイ14:24-29] ・自分の常識とは違っても「信仰によって」行動を起こす。(Listen and obey.)   Outline of the sermon           “Peter’s faith.”      (18/10/2015) ◆Highlight of our trip to Japan. ◎“Reunion meeting” in Kanto & Kansai area.  ◎Attending “Global Returnees Read more…