(300) “隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものである。”

私たちは『自分の理解を超えた辛い出来事』に出会うと、思わずも「神様どうして?」と叫ばずにはいられないものです。また『どうしても今すぐにかなえて欲しい願い』を祈り求めても答えられない時、私たちは「神は本当に私の祈りに耳を傾けて下さっているのだろうか?」と不安になります。このような時、一体何が起こっているのでしょう? まず『祈り』に関して言うならば、神はある時は私たちの祈りに対して「私たちの願った通りのもの」を与えてくださいます。しかし別の時には神は『祈りの答えそのもの』の代わりに、言いようのない『平安』を与えてくださいます。神は「私たち以上に私たちの本当の必要を理解しておられる方」なので、その時その時の最善をもって私たちの祈りに応えてくださる方なのです。 では『私たちの理解を超えた出来事』に関してはどうなのでしょう?まず私たちが知っておくべき大切なことは「私たちの知っていることは、神様がなさっておられることの『ほんの一部』にすぎない」ということです。私たちは神様が支配しておられる膨大な数々のみわざを到底知り尽くすことはできません。私たちができることは、ただ「私の神は『良いお方』であって、すべてのことは最終的に必ず『神の大いなる愛と偉大さ』とを示す結果に至るのだ」と信じることなのです。 私たち夫婦の子供たちは皆すでに成人していますが、彼らがまだ幼かった頃、私たちはすべてのことを詳細に説明したりはしませんでした。ただその時その時、1人1人の成長度合いと能力や適性に応じて、知らせるべきことは知らせ、「説明しても分かってもらえそうにないこと」に関しては特に説明しませんでした。それは『意地悪だったから』ではなく、子供たち1人1人に対する『愛と理解』の故です。同じように、もちろん時には神様は、その深い愛の故に、私たちに『事の詳細』を明らかにされることがあるかもしれません。しかし多くの場合神様は、これまたご自身の深い愛の故に「そのことはいずれ明らかにされるから、あなたはただ私に信頼していれば良い」とおっしゃるのです。

(299) “神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。”

あの偉大な作曲家バッハは256もの声楽曲を作曲し、それらの多くは300年以上経った今も名曲として歌い継がれています。しかし一体彼の作品は何故これほどまでに人々の心を震わせるのでしょうか? バッハの書いた譜面の1番初めにはいつも『JJ』という文字が刻まれています。これは「Jesu Juya」の略で「主イエスよ、助けてください」という意味です。そして1番最後には必ず『SDG』と書かれています。これは「Soli Deo Gloria」の略で、意味は「すべては神の栄光のために」。すなわち、彼が曲を作る時はいつでも「神が与えてくださる力を最大限に用いて、心から神の栄光を讃えたい」という願いが込められていたのです。 私たちの人生も同じです。私たちは1人残らず「世界の歴史始まって以来の存在」です。ですから神は私たち1人1人がそれぞれのユニークな方法で「神の栄光を讃えるように」と望んでいます。私たち1人1人の存在、そして日々の生き様が、そのまま「神の素晴らしさを表現する」ようなものとされたなら、何と幸いなことでしょう! しかしそのためには、イエス・キリストを通して『神との関係』の中に生かされ、神があなたに与えておられる「あなたにしかできない方法」を見出し、またそれを開発していく必要があるのです。そのために神は今日もイエス・キリストを通して、あなたをご自身の御許に招いておられるのです。そこに辿り着くまでは、私たちは大変な『宝の持ち腐れ』を冒してしまっているのです。

2018年4月18日 「イエスは賛美を受けるべきお方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「イエスは賛美を受けるべきお方」   (15/04/2018) ◎今日のトピックは「イエス・キリストは賛美を受けるにふさわしい方である」ということ。[黙示録5:12] ◆賛美する理由 *賛美は「気分の良い時」だけではない。「主イエスの変わらないご性質」が賛美するにふさわしいから。 ①その偉大さのゆえ ・万物の創造主・支配者 [コロサイ1:16] であり、勝利者 [ヨハネ16:33] であり、やがて来られる王の王。 ②その慕わしさのゆえ ・心優しく [マタイ11:29]、さばくことがなく [ヨハネ12:47]、弱さや痛みを知っておられる方。[ヘブル4:15] ◎「私たちの主」イエスは… 神でありながら人となり、すべてを持っていたのに貧しくなり、聖い方なのに罪人の 友となり、強い方なのに弱さを知り、陽気な方なのに痛む者のために泣き… 言い尽くすことはできない! だからこそ、私たちはこの方に賛美をささげずにはいられない! ◆今週の『暗唱聖句』: [ヘブル人への手紙 13章15節]   Outline of the sermon      “Jesus is worthy to be praised.”     (15/04/2018) ◎The topic today is “Jesus Christ is worthy for all of our praises”. [Revelation 5:12] Read more…

(299) “事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。”

上記にご紹介した聖書のことばは、実は私がクリスチャンになった後「受け入れるのに最も苦労した」ものの1つでした。何故なら私は幼い頃から『努力』というものの強い信奉者で、中学・高校と『卒業時の色紙』に必ず「努力は必ず報われる」と書き続けていたからです。 ところが、聖書に関してより精通していくに従って、この「努力によるのではなく…」という表現は『努力』というものを否定しているのではなく「自分の考え方に固執してしまって、神から注がれる新しいアイディアを受け取ろうとしない頑なな姿勢」を戒めているのだと分かってきました。確かに「人生に対して真剣に取り組んでいる人」ほど『強い信念』というものを持っているものだと思います。ところがその『強い信念』というものがしばしば私たちに『柔軟さ』を失わせ、周囲からの優れた助言に対して聞く耳を持たせなくさせてしまうことがあるのです。 私たちを形造り、この世に生み出してくださった『創造主なる神』からの助言ほど、私たちの人生に有益なアドバイスはありません。その『あわれんでくださる神』の慈愛に満ちたアドバイスに対して「私は私のやり方でやりますから、どうぞお構いなく!」とはねつけるのは、愚か者のすることです。私たち1人1人のために神が備えてくださっている『フルサイズの人生』を歩むためには、「私の持っているアイディアよりも、あなたが私のために用意してくださっている道の方がはるかに優っています。どうぞそれを教えてください。」という謙遜さが求められているのです。

2018年4月8日 「イエスは共におられる神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「イエスは共におられる神」    (08/04/2018) ◎今日のトピックは「イエス・キリストはいつも私たちと共におられる神である」ということ。[マタイ28:20b] ◆共におられる神 (神は世の初めからいつもご自分の民と共におられた) *アサ王へのことば [Ⅱ歴代誌15:2] ・私たちが「共におられる神」を認識できないのは、私たちの側にある問題(罪)のゆえ。[イザヤ59:1-2] ◆『インマヌエル』の約束 [マタイ1:23] ・イエスは「私たちと神との仕切りを壊すため」 また、「神と共に歩む人生の模範を示すため」 に来られた。 ◎[マタイ28:18-20] = これは「クリスチャンにとっての聖書メッセージの要約」とも言えることば。 ・イエスは「すべての権威」を持っており、ご自身の『真実さ』の故に、永遠の契約をもって私たちと共におられる。 ◆今週の『暗唱聖句』: [マタイの福音書 28章20節後半]   Outline of the sermon      “Jesus is ‘God with us’.”     (08/04/2018) ◎The topic today is “Jesus Christ is God who is always with us forever”. [Matthew 28:20b] ◆God Read more…

(298) “あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。”

「ボクたちには世界を変えることはできない」という映画をご存知でしょうか?大学生がカンボジアの貧しい子どもたちのために募金活動をして学校を建てる、という実話を基にした映画です。もちろん事は簡単には運ばないわけですが、「普通の大学生」のグループのひたむきさに心を打たれます。一見の価値がありますよ。 私たちはしばしば、わずかな善意を持っていながら、現実の問題の大きさに圧倒されて、いとも簡単に目標をあきらめてしまうことがあります。それはとっても残念なことだと思いませんか? 嵐の後にある男性が海辺を散歩していると、海岸には何千何万という『ヒトデ』が打ち上げられていました。「このまま放っておくと、すべて干上がってしまうだろうな」と思いつつふと見ると、1人の少年がその1つ1つを拾い上げては海に向かって投げ戻してやっていました。男性は思わず「お~い、そんなことをしても無駄だよ。見てごらん、焼け石に水さ。」と声をかけました。すると少年はまた1つヒトデを拾い上げて海に向かって放り投げてから、ニッコリと微笑んで言いました。「でも、これで今の1匹は助かるよ?」 世界では何億という人々が飢えており、何百万もの人々がマラリヤや脱水症状で死に瀕しています。当然1人の人がどんなに努力しても、それらすべてを救うことはできません。しかし、たった1本の注射によって救うことのできるいのちがあります。コーヒー1杯のお金で100人の子供たちに食べさせてあげられることができるのです。これらの現実を「見てみぬふり」をすることもできますが、何か小さなことでも今日から始められる事がたくさんあるのではないでしょうか?ここに1つのウェブサイトリンクを紹介します。『日本国際飢餓対策機構』(http://www.jifh.org/)という団体です。様々な募金やボランティア活動を行っています。 神様は私たちに『善意』『あわれみ』などの心を与えてくださいました。それらの心から湧き上がってくる思いを封じ込め続けてしまうとしたら、やがて神の前に立つ時に、私たちはどう申し開きをすれば良いのでしょう?