(563) “上からの知恵は、…平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。”

 柔軟性に富み、臨機応変に人々や状況に対応できる人は幸いです。このような人々は、「物事はこうでなければならない」というような融通の利かない人に比べてずっとストレスが少なくて済みます。何故なら、世界はその人を中心に回っているわけではないので、その人の計画が遂行されるためには、他の人々の協力や助けを必要としているわけですから。そして周囲の人々は皆それぞれ違った性格や価値観を持っているので、結果として「融通の利かない人」は、自分の思い通りに事が運ばないことでいちいちイライラしたり、不満を抱えたりすることになるわけですから。  これは主に家庭生活や職場などでの毎日の生活の中でよく起こります。あなたの食べ物の好き嫌いのために、食卓に上るメニューが偏ってしまったり、不規則な帰宅時間のせいで家族の予定が立たなかったり。または不機嫌な上司のご機嫌を取ることにエネルギーを使い果たしてしまったり、疲れ果てている部下に注意を払わないせいで、要らぬミスをさせてしまったり…。これが「ほんの少し融通を利かせるだけ」で、食卓に笑いが満ち、家族関係が豊かにされ、部下からの信頼を勝ち取り、職場において大いなる成果を上げられる場合があるのです。  誤った「臨機応変な態度」はかえって混乱をきたしますが、適切な『臨機応変さ』は仕事や人間関係において優れた結果を生み出します。神は私たち1人1人に『五感』を与え、察知した状況に臨機応変に対応する能力を与えてくださっています。それらを「宝の持ち腐れ」させることなく、「良いチームワークによって良い実を結ぶため」に上手に用いて行きましょう!

2024年2月25日 「『にもかかわらず』の信仰」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『にもかかわらず』の信仰」  (25/02/2024) [へブル人への手紙 11章29~31節] ◆出エジプトの民の信仰(29~30節)  ・29節と30節に出てくる『人々』とはどちらも「出エジプトの民」だが、別の世代。前者は不信仰の故に荒野で滅び、後者は恵みによって「約束の地」に入った。「荒野で滅んだ民」は、エジプトでも荒野でも数多くの神のみわざを経験したにも関わらず不信仰に陥った。[民数記14:6-11] それは何故か?  ・恐らく彼らは「出来事や現象」だけを見て、「原因である方」をしっかり認識していなかった。真の『信仰』とは、「何かが起こること」を信じるのではなく、「起こる起こらないにかかわらず」、その根源である『神である主』を信じているということ。[ダニエル書3:16-18] ◆遊女ラハブの信仰(31節)  ・一方「遊女ラハブ」は、この時点では神のみわざを実際に『見た』ことはなく、『聞いたことがある』だけだった。[ヨシュア記2:8-11] それにもかかわらず彼女はリスクを冒して偵察隊をかくまった。この「捨て身の信仰」の故に、彼女は想像を超えた報酬を受けることになる。「ヨルダン川が堰き止められる奇跡」「エリコの城壁が崩れ落ちる奇跡」を目撃し、また「イエス・キリストの系図に含まれる」という光栄を受けるのである。  ・私たちもこのラハブ同様「聞いただけで、見ずに信じた者たち」である。私たちも主イエスの十字架の現場にいた訳ではないが、心から信じている。[Ⅰペテロ1:8-9] これが「見ずに信じる者」が受ける『救い』という報酬。 ◎更に深い学びのために  ①「出エジプトの民」はどうして荒野で不信仰に陥ったのでしょう? 彼らと「遊女ラハブ」は、何が違いましたか?  ②「見て信じること」と「見ないで信じること」とでは、それぞれどんな長所・短所があるか、考えてみましょう?  ③「にもかかわらずの信仰」を持って生きるために、私たちはどのような点で成長する必要があるでしょうか? Outline of the sermon    “Say, ‘even if not’ by faith.”    (25/02/2024) [Hebrews 11:29~31] ◆Faith of “Exodus people”.(Verses 29~30)  ・People who crossed the Red Sea perished in the desert for their unbelief. [Numbers14:6-11] Read more…

(562) “あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは1つだけです。”

 90歳以上の方々に行った調査で、「もう1度人生をやり直せるとしたら、自分の人生のどんなことを変えたいですか?」という質問に対し、ほとんどの方々の回答が次の3つのことにまとめられたそうです。  1.家族や友人たちともっとたくさん時間を一緒に過ごす。  2.たとえリスクを冒してでももっとたくさんの事にチャレンジする。  3.自分の死後、後世の人たちの益となるようなもののために時間と労力を使う。  私たちは「目先のこと」、また「その時その時の自分の利益になること」にあまりにも多くの時間を使い過ぎているのかもしれません。言い換えるなら「誤った優先順位」に従って生きている、と言えるのではないでしょうか。天地創造の神は、私たち1人1人を『特別な使命』とともにこの地上に送り出してくださいました。それを捜し、見出し、その一事に全力を尽くすことこそ『生きがい』に通じる道なはずです。  これを読んでくださっている方々のほとんどは、未だ90歳には至っていらっしゃらないと思います。まだまだ遅くはありません。たった1度きりの人生です。上記の3つのことを念頭に置き、「神が自分に与えておられる使命」を模索しながら、ぜひ残りの人生を悔いのないように過ごしていただきたいと思います。

2024年2月18日 「モーセの信仰による選択」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「モーセの信仰による選択」   (18/02/2024) [へブル人への手紙 11章23~28節] ◆『モーセ』という人物  ・『モーセ』は聖書の中でも特別に選ばれた人物。[出エジプト33:11] 彼は神の不思議な御手によって「パロの娘の子」として王宮の中で育てられたが、同胞であるイスラエルの民が迫害されているのを見て耐えられなくなり、王宮を去った。(24~25節)  ・「モーセが王宮に残っていた方が同胞を救うのに有利だったのでは?」とも考えられる。今日は、この「モーセの選択」から、『信仰と選択』というテーマで学んで行こう。 ◆「信仰によって選ぶ」とは?(26~27節)  ・アブラハムが「ひとり子イサク」をささげようとしたことが「主イエスの贖い」を彷彿とさせるように、モーセがイスラエルの民を救うために王宮を去ったことが、主イエスが何不自由ない御国から「人となって地上に来られたこと」を思い起こさせる。これがモーセの『信仰による選択』。  ・モーセは「目に見えない方を見るようにして」同胞たちと苦しみを共にした。肉体的には苦しくても、彼の内側は「全地を祝福するための『神の選びの民』を危機から救い出す」という使命感に燃えていたに違いない。  ・今日の『信仰による選択』というものを踏まえて、以前の『信仰の定義』を次のように言い換えることができる。⇒ 「まだ見ていない『神の約束の成就』を確信して、日々『神の民としての選択』をすること」 ◎更に深い学びのために  ①モーセの人生と、主イエスが「人となって地上に来られたこと」との間には、どんな共通点が見出せますか?  ②26節に書かれている「与えられる報い」とは、どんなものだと思いますか?  ③この地上での歩みにおける『神の民としての選択』には、どのようなものがあると思いますか? Outline of the sermon  “Choosing by faith like Moses.”  (18/02/2024) [Hebrews 11:23~28] ◆Who “Moses” is like?  ・“Moses” is a “special chosen person” in the Bible. [Exodus 33:11]  Though He was raised in the Read more…

(561) “イエスは言われた。「あなたがたの信仰の通りになれ!」”

 「幸福な人」と「そうでない人」とは、どう違うのでしょう?「お金や財産をたくさん所有しているかどうか?」「たくさんのことを知っているかどうか?」「多くの友人や家族に恵まれているかどうか?」もしそうだとしても、『多い』と『少ない』との線引きはどうやってするのでしょうか?『幸福な人』とみなされている人々でも、すべての点で成功し、あらゆる物を豊かに持っており、何でも知っているわけではありませんよね?  『幸福感』というものは、実はその人が「物質的・環境的に恵まれているか否か」とはあまり関係がありません。むしろその人の「人生に対する態度」に大きく関係があるのです。聖書は、「人とは、その人が『自分のことをどういう人間と考えているか』によって形造られるものだ」と教えています。  もちろん「人生に対する正しい態度」を持っていたからといって、全ての事がうまく運ぶわけではありませんが、「悲観的な態度」で取り組んだ場合よりも、間違いなく良い結果を生むでしょう。「幸福感に満ちた人」は、必ずしも『全ての良いもの』を持っているわけではありませんが、少なくとも「全てのものの良い点」を見出すのに秀でているのではないでしょうか?すなわち、他の人には喜べないことを喜ぶことができる術をわきまえているのです。  医者たちに「病気に対する『態度』は、あなたの患者の回復に影響がありますか」と尋ねたら、どんな答えが返って来るでしょう?また教師たちに「勉強に臨む『態度』は、あなたの生徒の成績に影響があるでしょうか?」と尋ねたら、どのような答えが返って来るでしょうか?間違いなく、「とても大きな影響があるに決まってますよ!」と答えるでしょう?  私たちは『神の作品』です。神は私たちを「豊かな人生を生きるように」とお造りになったのです。私たちが「正しい、積極的な態度」で人生に臨むなら、私たちは神の助けを体験できるでしょう。さあ、今日も張り切って前を向いて進みましょう!

2024年2月11日 「信仰によって祝福する」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「信仰によって祝福する」   (11/02/2024) [へブル人への手紙 11章20~22節] ◆信仰は試練によって精錬される  ・アブラハムの子孫たちは、その信仰のゆえに数々の試練に直面した。イサクは父親に殺されかけ、ヤコブは兄に命を狙われ、異国の地に逃げるが、そこでも叔父からひどい扱いを受けた。ヨセフの生涯はまさに「神に忠実に歩むがゆえに受ける苦難」に満ちていた。しかし神は常に彼と共におられ、彼を「来たるべき日」のために練られた。彼は、アブラハムへの預言と約束を固く信じ、自分の遺体の処遇について命じた。[創世記15:13-14]  ・「神を信じていれば、問題のない人生を送れる」などとは、大きな誤解である。神は私たち1人1人の人生にご自身のご計画を持っており、その成就のためにしばしば私たちを「試練によって」整えるのである。 ◆「祝福するため」に召されている  ・アブラハムの子孫たちが行った「1つの信仰の行為」として、ここでは「子供たちを祝福した」ことが述べられている。親たちには「子供たちを祝福する」という大切な使命が与えられている。私たちは、たとえその人生が試練に満ちていたとしても、不平や愚痴をこぼすのではなく、「祝福するため」に召されている。[Ⅰペテロ3:9]  ・「神に選ばれた者」としての私たちの第1の使命は『祝福すること』である。[創世記12:1-3] 神はご自身のご計画を成就するために、イエス・キリストにあって私たちを選び、永遠のいのちの祝福を与え、時には試練によって私たちの信仰を精錬し、私たちを通して『全世界を』ご自分の祝福で満たそうとしておられるのである。 ◎更に深い学びのために  ①アブラハムの子孫たちが経験した試練、また祝福を確認してみましょう。彼らはそれらにどう対応しましたか?  ②神は「信仰によって歩む人々」を、どうして『試練』にあわせるのでしょうか?  ③今までに自分が経験した「試練と祝福」を分かち合いましょう。そこに神様のどのような御手が見出せますか? Outline of the sermon  “Be a blessing by faith”  (11/02/2024) [Hebrews 11:20~22] ◆God tests our faith.  ・God tests our faith to make it pure and stronger.  No exceptions.  Isaac was almost killed by his dad.  Read more…

(560) “選り抜きの黄金よりも、知識を受けよ。”

 人生に対する態度の中でも最も重要なものの1つは、「常に学ぼうとする姿勢」ではないでしょうか?「自分はもう十分知り尽くした。もはや新しく学ぶべきことは1つもない」と言うなら、その人はそれ以上成長する機会を逸しているのです。  ローマ時代の学者であった『マルクス・ポルキウス・カトー』は、80歳になってからギリシャ語を学び始めました。周囲の人々から「何故その年になってギリシャ語を?」と尋ねられると、彼はこう答えたそうです。「だって『今』が残された生涯で1番若い時じゃないか!」  多くの人は『学ぶ』ということを「人生のある期間に限られた1つの行為」と考えているようですが、実は『学ぶこと』というのは「生涯にわたる営み」なのです。ある調査によると、学校を卒業した『大人』のたった3分の1だけが、卒業後に最低1冊の本を読み通すそうです。何故なのでしょう?それは、多くの人が『学習』というのは「学生のためだけの営み」であって、「より良く生きるための道」とは思っていないからです。  「肉体はある年齢を過ぎると徐々に衰えて行くけれど、精神は『生きる態度』に比例して成長し続ける」ということが科学的に証明されているそうです。つまり「精神的に成長し続けるかどうか」は、「私たちが『学ぼう』としているかどうか」にかかっているというわけです。『精神的成長』は、私たち自身の『選択』によるわけです。  私は60歳を過ぎましたが、毎朝毎晩『聖書』をじっくりと読み、黙想します。そして私は自分の『思い』が日々強められていることを実感しています。「神は私を喜んでいらっしゃる。神はこの世界のために、まだ私を必要としていらっしゃる。」 そんな思いが私の心に湧いてきます。私たちはこのように、生きている限り『成長すること』を選び続けることができるのです。

2024年2月4日 「アブラハムが見ていたもの」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「アブラハムが見ていたもの」  (04/02/2024) [へブル人への手紙 11章17~19節] ◆神は約束を守る方  ・アブラハムは「信仰によって」、子孫が増え広がるという神の約束の成就を待ち続け、百歳になった時にようやく「ひとり子イサク」が与えられた。これだけでも驚くべき信仰だが、神は彼を更なる信仰の深みへ招こうと、「次なる試練」を用意しておられた。[創世記22:1-2]  ・思わずも「危機違いでは?」と疑ってしまうような命令。しかしアブラハムはこれに黙々と従った。何故?恐らく彼は「神は真実であり、ご自分の約束を必ず守る方。ご自身に『約束破り』などという汚名を決して着せることはな  い」と信じたに違いない。そして神は見事に、彼のそんな信仰にお答えになった。 ◆「人類の贖いの日」を垣間見たアブラハム  ・アブラハムが味わった「神ご自身の啓示」は、それだけではない![ヨハネ8:56] ここで主イエスは一体アブラハムが何を見たと言っているのだろうか?そのカギはアブラハムとイサクとの会話の中にある。[創世記22:6-8]  ・もちろんここでアブラハムが指しているのは単に「別の全焼のささげ物」ということだろうが、主イエスは、アブラハムは啓示によって「遠い将来に同様にささげられるであろう『永遠のささげ物』をも見ていた」というのである!  ・神は、ご自分に全身全霊をもって信頼する者に、「通常人には知り得ないような奥義」を啓示してくださる。このような『神との親密な関係』を求めて、この新しい年も心を尽くして主を求めて行こう!⇒ 〈Ⅰコリント2:9〉 ◎更に深い学びのために  ①この「アブラハムがひとり子をささげようとした記事」を初めて読んだ時、どう感じましたか?  ②神はアブラハムに、何故このような命令を与えたのだと思いますか?  ③神がこの時のアブラハムに、また今日の私たちに求めておられるものは何でしょう? Outline of the sermon  “What was Abraham seeing?”  (04/02/2024) [Hebrews 11:17~19] ◆God never fails to keep His promise.  ・We are amazed of Abraham’s faith waited for 25 years until he became 100 Read more…