2024年4月28日 「『キリストにある者』の到達点」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『キリストにある者』の到達点」   (28/04/2024) [へブル人への手紙 12章18~24節] ◆過ぎ去った契約(18~21節)  ・この箇所は、出エジプトの民が「シナイ山のふもと」で神との契約を結んだ時の様子。旧約の時代、イスラエルの民の間では「神に近づくことは命の危険が伴う」という意識があるほど、「神と相まみえること」が恐れられていた。 ◆私たちが近づいているもの(22~24節)  ①『シオンの山』: 「古い契約が交わされた『シナイ山』」と対比されており、『新しい契約』ということの強調。  ②『天上のエルサレム』: やがて私たちが神と共に永遠に暮らす『霊的故郷』。今既にその住人であると言える。  ③『御使いたちの集い』: 私たちはやがて「数え切れないほどの天使たちによる礼拝」に加えられる。  ④『長子たちの教会』: 神は「イスラエルの長子は皆わたしのもの」とおっしゃった。それ故『長子』とは「神のものとされた民」を意味する。私たちは皆「キリストの血によって贖われた『長子』」であり、『1つの教会』である。  ⑤『さばき主である神』: この『さばき』を免れ「新しい契約」にあずかることができるのは「キリストにある者」のみ!  ⑥『義人たちの霊』: 「既に天に召されたキリスト者たち」というより、「旧約時代に信仰によって歩んだ人々」。  ⑦『注ぎかけられたイエスの血』: これこそ「律法による古い契約」とは全く別の『新しい契約』。アベルは「信仰によって」カインよりも「優れたささげ物」をささげたが、御子イエスの血は何にも優り私たちを聖める。[へブル9:14] ・この「キリストによる新しい契約」の故に、私たちは今『新しく造られた者』として生かされている![Ⅱコリント5:17] ◎更に深い学びのために  ①旧約聖書の時代、イスラエルの民はどうしてそんなにも「神と相まみえること」を恐れていたのだと思いますか?  ②「イエス・キリストの血による『新しい契約』」は、私たちにどんな新しい特権をもたらしたのかを確認しましょう?  ③パウロはキリスト者たちに対し、どのような意味で「あなたがたは『新しく造られた者』」と書いたと思いますか? Outline of the sermon   “We are ‘new creation’ in Christ.”   (28/04/2024) [Hebrews 12:18~24] ◆“The old covenant” has passed away.(Verses18~21)  ・In Old Testament days, Israelites Read more…

(569) “主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。”

 現代ほど様々な情報が溢れている時代はかつて無かったことでしょう。インターネットの発達により、文字通り私たちは『情報の洪水』の中に生きています。目から入って来る様々な魅力的な画像は、私たちに「不必要な」刺激を与え、「もっと欲しい!もっとこうでなければ!」といった『欲望』や『焦り』を駆り立てます。  私は「情報そのもの」を否定しているわけではありません。ただ、「多くの人々はそれらの情報を正しく取捨選択するためのものさしを持っていない」という危険性を強く指摘したいのです。恐らく大半の情報は「自分に注目を集めたがっている人」、もしくは「何らかの利益をあげたい人や団体」によって発信されています。そしてそれらの情報に刺激されて一喜一憂している私たちはいわば「踊らされている」のです。『いいねボタン』を押してもらえるかどうかを気にしている人たちも同様です。  私たちは一体どこで「正しいものさし」を手に入れることができるのでしょう?聖書は、それは「神を恐れることにある」と教えています。この全宇宙を創造された『唯一の絶対者である神』を知り、自分自身が「その偉大な神のご計画によって生み出された存在」であると自覚する時、私たちの心は平安のうちに定まり、もはや「自分が何を持っているかいないか」「他の人が自分のことをどう思っているか」などということは、大した問題ではなくなってくるのです。  神を『恐れる』とは、「神という存在を怖がること」ではなく、『神』というお方を、聖書が言っている通りの「愛と力に満ち、聖さと慈しみとをもって、私たち1人1人に関わろうとしておられる方」として信じ、人生のあらゆる局面においてこの方を見上げ、この方に頼り、日々心を込めてこの方を見上げながら生きることです。そうすることで私たちは、『情報の洪水』に踊らされることなく平安のうちに生きることができるのです。

2024年4月21日 「Stay focused」(海くん最終日)

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「Stay focused!」   (21/04/2024) [へブル人への手紙 12章12~17節] ◆レースを完走するために(12~13節)  ・今日の箇所は、12章の最初に学んだ『信仰のレース』と関連している。「踏み外す(13節)」の原語直訳は『脱臼』の意。『脱臼』を避けるために「安楽な道を進め」ということではなく、「無意味な寄り道や危険や近道を避けろ」ということ。しっかりと『霊的筋肉』をつけて、定められたコースを一心に走って『完走する』ことが目標。  ・ラインを真直ぐ引くためには、足元を見るのでなく、遠くにある不動の目標物を見ながら引く。同じように人生を正しく歩むためには「不動で確かな目標物」である『イエス・キリスト』をしっかりと見つめ続ける必要がある。 ◆「キリストにある約束」から目を離すな!(14~15節)  ・「聖さを追い求める(14節)」は、「完全な品性を身に付ける」ということではない。この『聖い』は「混じり気がない」の意味。この世における「自分の利益」を後回しにして、神に思いを集中させる者は「神を見る」[マタイ5:8]。  ・ここでのエサウの例は、彼の「不品行」というよりも、「霊的な事柄に対する無関心さ」を指摘している。すなわち彼の誤りは「神の約束を相続する」ということを軽視して、『食物(肉の満足を追求すること)』を優先させたこと。私たちも「神がキリストにあって私たちに与えておられる『永遠の富』」を決して軽んじてはならない!  ・『霊的筋肉』をしっかり付けておくと、ちょっと道から外れてしまった時に元に戻ることがずっと簡単。今から「日々のデボーション」、また「家庭礼拝」などの習慣をつけ、皆でこの『信仰のレース』をぜひとも完走しよう! ◎更に深い学びのために  ①「キリストにある『信仰のレース』」を真直ぐに進んで行くための秘訣には、どんなものがあるでしょう?  ②私たちを「進むべき道」から踏み外させようとするものには、どんなものがありますか?  ③あなたはどこに「人生のゴール」を設定していますか? そこに到達するために何に気を付けていますか? Outline of the sermon   “Stay focused!”   (21/04/2024) [Hebrews 12:12~17] ◆To finish your race well.(Verses12~13)  ・Up to this verse we learned that God trains us to finish our “race of faith” well.  We need Read more…

(568) “あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。そしてそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。”

 「子供は親の言うことはやらないけど、やることはマネする」とよく言われますよね?親たちにとっては、ある意味「恐ろしい」事実です。では、どのようにして子供たちを『正しい生き方』に導いてあげることができるのでしょうか?  日本人にとって「英語を学ぶこと」は大きな難関の1つです。英語が好きだったり得意だったりする人々でも、1つの大きなハードルは『正しい発音』です。この点で我が家の子供たちはいつも「日本からの他の留学生たち」から羨ましがられていました。ウチの子たちは幼い時から国外で暮らしていたので、何の苦労もなく「ナチュラルな英語の発音」が身に付いていたのです。一方我々親たちは30歳を過ぎてから日本を出発したので、海外生活が20年以上になった今でも「日本語的な英語の発音」から脱することができません(涙)。  『正しい生き方』にも、同じことが言えます。この『発音』に匹敵するのは「家庭の中に満ちている『雰囲気』」です。子供たちは胎児の時から外界の音(声)を聞いており、母親の心の動きをも無意識のうちに察しています。生まれてからベビーベッドに寝かされている時も、ハイハイしている時も、まだひと言もことばを発しないうちから『周囲の雰囲気』を敏感に感じ取っています。「自分は愛されているか」「両親は愛し合い、いたわり合っているか」「家族の間には喜びや優しさが溢れているか」などなど、これらの『雰囲気』は、子供がやがて自分自身で物事を考え決断していく時のための大きな栄養となって行くのです。  結論を言ってしまえば、子供たちを『正しい生き方』に導いてあげるための最善策は、私たち自身が「正しい道」を喜びをもって生き生きと生きることです。そしてそれは私たちが「個人的に『創造主なる神』との生き生きとした関係を保って生きているかどうか」にかかっているのです。

2024年4月14日 「神の子としての訓練」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神の子としての訓練」    (14/04/2024) [へブル人への手紙 12章4~11節] ◆『関係』と『訓練』  ・人生が『選択』の連続であるように、私たちの信仰生活にも多くの『選択』がある。イエス・キリストを救い主として受け入れた後、「キリストを『主』として従って行くこと」もできるし、「神と全く無関係に生きること」もできる。  ・私たちが『神との関係』に生きようとするなら、その後の人生に必ず「信仰による選択」が余儀なくされる。そしてこの世における『信仰の選択』には少なからずリスクが伴う。幸い私たちはあからさまな『迫害』に直面することはあまりないが、それでも日々御父のみこころを求め、分かったことに忠実に歩もうとするなら、大小様々な『訓練(試練)』に遭遇する。では、父なる神はどうして私たちがそのような試練に会わないようにしてくださらないのか? ◆『訓練』が生み出すもの(10~11節)  ・神が私たちの人生に望んでおられるのは「安楽な生活」ではなく、1人1人のために「ご自身のご計画が成就すること」である。そのために御父は何度でも私たちを練り直し、精錬しようとなさる。  ・また、私たちの神は「関係を求める神」でもある。御父は私たちに敢えて試練を与え、私たちが日々ご自身に寄り添って生きるようにされ、またちょうど良いタイミングで「脱出の道」をも用意される。  ・スポーツジムでトレーニングすることによって『筋肉』が付いて行くように、「信仰による試練」も私たちの『霊的な筋肉』を養う。こうして私たちは「主にある兄弟姉妹たち」を助けることができるように成長して行くのである。 ◎更に深い学びのために  ①「神との関係」と「信仰による試練」とは、どのような関連性があると言えますか?  ②神は何故敢えて私たちが『訓練(試練)』に遭遇することを許されるのでしょう?  ③これまでの信仰の歩みの中で、「試練を通して学んだレッスン」のようなものがあれば、分かち合いましょう。 Outline of the sermon   “Disciplines for God’s children.”   (14/04/2024) [Hebrews 12:4~11] ◆“Relationship” and “Discipline”.  ・Just as we make many “choices” in life, we also make “choices” by faith.  After we chose to accept Jesus   Read more…

(567) “これらの人たちはみな、…地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。”

 神様を信じて生きるようになると、様々な点でものの見方が変わります。その1つの例が「大胆になる」というものです。私たちはイエス・キリストに対する信仰の故に救われて、この地上での生涯の後に『天の御国』にて永遠を過ごすようになると聖書は教えています。ということは、言わば地上では『旅人』なわけです。日本語に「旅先の恥はかき捨て」という言葉がありますが、たとえこの地上でちょっとした失敗をして恥をかいても、『永遠の生涯』という視点で見るなら、それは大したことではありません。なので、大胆に思い切ったチャレンジをすることができるわけです。  ただ、その一方で「地上の人生だって百年近くあるのだから、そんな挑戦ばかりしてはいられない」という気持ちもあるかもしれません。その通りだと思います。だからこそ、「普段の心掛け(体質づくり)」が重要です。  私がずっと若い頃(20代?)好んでいろいろな人に尋ねていた質問がありました。それは次のようなものでした。「もしあなたの人生があと1年で終わってしまうとしたら、あなたはどうしますか?」 ほぼ全員が何らかの違った生き方をすると答えてくれました。「世界旅行をする」「家族ともっと時間を過ごす」「バンジージャンプに挑戦する」などなど。そんな中、ある方の回答が私の心に強い印象を与えました。それは、「私は常日頃『後悔しない生き方』を心掛けているので、特に変化はありません」というものでした。  私たちは地上では旅人であり、地上での時間は限られています。だからこそ、常日頃から「たとえ明日いのちが尽きたとしても後悔しない、日々完全燃焼する人生」、そんな生き方を1日1日重ねて行けたら、どんなに幸いでしょうか?

(566) “神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。”

 『ソロモン王の秘宝』なるものを取り扱った映画は聞いたことがありますが、『ソロモン王の知恵』を題材にした映画などはあまり聞いたことがありません。実際のところ聖書を見る限りでは、確かにソロモンは多くの財産を所有していたようですが、何よりも彼について話題にされているのは、その「驚くべき知恵と知識」です。彼は実に宇宙の天体から地上の動植物に関する知識だけでなく、詩歌などの芸術センス、そして日々の生活の知恵や国を治める政治的手腕などにおいても長けていました。聖書の『箴言』という「知恵の書」のほとんども、ソロモン王によって書き残されたものです。  神はどうしてこれほどに豊かな知恵と知識をソロモンに与えたのでしょうか?もちろん、ご自身の民である『イスラエル』を正しく治めて欲しかったためでもあるでしょうが、何よりもこれらの知恵を「ご自身を更に深く知るため」に使って欲しかったに違いありません。私たちは「この世でうまく立ち回るための知恵」は求めますが、「神を愛し、神の栄光をこの世で表現するため」に、どれほど『知恵』を求めているでしょうか?天地万物を造られた『創造主なる神』は、すべてに優って偉大です。このお方を知ることを求めること、それ以上に価値あることはありません。ソロモン王自身も次のように述べています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と。