(551) “あなたがたは神に愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身に付けなさい。”

 あなたには「苦手なタイプの人」「いつも自分に意地悪をしてくる人」「『あの人さえいなければ私の人生ハッピーなのに…』と思えるような人」など、いわゆる『敵』とも呼べる存在の人がいるでしょうか?きっと誰にでも1人や2人はいるのではないかと思います。そういう人をこの世から抹殺するわけにはいきませんが、解決の方法はあります。それは「その人のことをよぉく知ること」です。  ちょっと想像してみてください。仮に私たちが、自分の『敵』の「これまでの隠された人生の足跡」を観ることができたら、その相手に対する印象がずい分変わると思いませんか?自分で好んで意地悪になったり、わざわざ人に嫌われるような生き方をする人はいません。それらの背後には必ず「人には言えない(または自分でも忘れてしまっている)幼児体験や心の傷」があるはずです。その人の意地悪は、その「心のうめき」が形になって外に現れてしまっているのです。もしそのような『心の痛み』の原因を探り当てることができ、その痛みに優しく寄り添ってあげられたとしたら、私たちの周囲から『敵』は徐々に減っていくのではないでしょうか。  「神様は、どうして善人も悪人も同じように愛せるのか?」と思っている方もいるかもしれません。恐らくその理由は、神様はすべての人の1日1日を見守っておられ、その生い立ちをも知っておられるからに違いありません。神様こそ、私たち1人1人を『良い作品』として形造り、この地上に送り出してくださった方なのです。その『神の作品』を歪めてしまうのはいつでも「この世の人間」、つまり私たちなのです。神様は私たちが、ご自身の作品を「損なう存在」ではなく「修復する存在」となることを望んでおられます。そのために神様は私たちの心の痛みをも汲み取ってくださり、時にあなたが他の人に「心無い言葉」を吐いてしまう時も、あなたの心に寄り添ってくださるのです。

2023年11月19日 「忍耐の源」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ      「忍耐の源」      (19/11/2023) [へブル人への手紙 10章32~39節] ◆私たちの戦い(32~35節)  ・この時代、ユダヤ人クリスチャンたちは多くの迫害を経験していた。それらはローマ帝国からの圧力だけでなく、同胞のユダヤ人からのものもあったが、かえってそれらの困難は『神の家族』の間での絆を強くしていたと言うこともできる。  ・私たちはこのNZや日本にあってはこのような「肉体的な試練」に直面することはあまりないが、霊的には「神か らしか受けることのできない祝福」というものを受け取り損ねているかもしれない。私たちが「神のわざを待ち切れ ないで、つい人間的な解決の方法に甘んじてしまう」のは、大きな『霊的損失』と言える。 <イェジュの証し> ◆なくてはならないもの(36~39節)  ・私たちの真の必要は「物や出来事(神のわざ)」ではなく、「神が顧みてくださっている」という内面的な確信。「試練そのもの」ではなく、その中で私たちをご自身の勝利に招き入れてくださる主イエスにしっかり結ばれいるべきである。[ヨハネ16:33b] 神が、時には私たちの祈りに応えて物質的な祝福を与え、時には祈りの答えを遅らせて私たちに試練を通らせるのは、どちらも私たちをご自分のみそばへと引き寄せるためなのである。[へブル12:7-8] ✰今週のチャレンジ: あなたの真の希望はどこにありますか? ◎更に深い学びのために  ①「肉体的な迫害」のない時代・場所で暮らしている私たちにとっての『試練』とは、どのようなものですか?  ②イェジュさんの証しを振り返ってみましょう。彼女の経験した「試練」また「勝利」とはどのようなものでしたか?  ③私たちの地上での「信仰の歩み」に切実に必要とされているものは、一体何でしょうか? Outline of the sermon      “Source of endurance.”      (19/11/2023) [Hebrews 10:32~39] ◆Our struggle.(Verses 32~35)  ・In those days Jewish Christians were facing persecutions from Jews as well as Roman Empires.  There were   lots of struggles, but Read more…

(550) “わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。”

 「聖書の中で最も大切な教えは何ですか?」と訊かれたら、恐らく多くの方々(私自身も含めて)は上記の1節を挙げるでしょう。イエス・キリストは地上での歩みの中で『神の愛』を具体的に表現され、そして私たちに「自分が愛されたように、人々に『愛』というものを表現するように」とおっしゃったのです。  私たちは「緊張感やプレッシャー」の中では、なかなか本来の実力を発揮できないものです。今までに一体何人のオリンピック選手が「国民の代表」というプレッシャーに押しつぶされて、本番の大舞台で本来の力を発揮できずに涙をのんだことでしょう。そして同様のことは、そのような大舞台だけではなく、日常生活の中、しかも私たちの身近で起こっているのです。  ほとんどの親たちは、自分の子供たちに成功を収めて欲しいと思っていることでしょう。ですから悪気はないのですが、知らず知らずのうちに「もっと頑張りなさい」とか「あの子に負けちゃダメよ」とか「どうしてこの前教えた通りにできないの!」などの声をかけ、子供たちに「負い切れないプレッシャー」を負わせてしまっています。しかし子供たちの力を伸ばし、「ここぞ!」という時に本来の実力を発揮させるには、そのようにプレッシャーを与えるのではなく、むしろ「失敗しても大丈夫。何かが出来ても出来なくても、あなたのことを大好きよ。」と安心させ、リラックスさせることが大切です。  子供についついそのようなプレッシャーを与えてしまうのは、恐らくその親自身がそのようなプレッシャーの中で育って来たからなのかもしれません。誰でも「自分が受けたもの」しか、他の人に与えることができません。「ありのままを受け入れてもらう経験」がなければ、自分の子供でさえも「ありのまま受け入れること」は出来ないのです。では、どうすれば良いのでしょう?私たちは誰のところに行けば、このようなプレッシャーから解放されることができるのでしょうか?  イエス・キリストはおっしゃいました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と。イエス・キリストは今日もあなたを招いておられます。彼はあなたがこの地で「本来の実力を存分に発揮して生きるため」に、不必要なプレッシャーを取り除いてくださいます。そしてまた、これが「誰かを愛する」ということの1つの具体的な表し方なのです。

2023年11月12日 「真理であるキリストに立つ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「真理であるキリストにとどまる」    (12/11/2023) [へブル人への手紙 10章26~31節] ◆誰のことを言っているのか?(26,29節)  ・『真理』とは、『イエス・キリスト』である。すなわち「真理の知識を受けた」とは、「キリストによる『新しい契約』に招き入れられた人」を指す。それなのにその「契約の血を汚れたものと見なす」とは、もはや主イエスが「完全ないけにえとしての傷のない子羊である」ということを否定した態度を表している。 ◆どうしてそうなるのか?(31節)  ・この手紙の宛て先がユダヤ人であることを考慮すると、彼らが折角の救いをないがしろにする理由は、①律法  主義に逆戻り ②キリストに対する不信 などが考えられる。  ・日本人にもありがちだが、「『信じるだけで救われる』なんて話がうますぎる。万が一三途の川の渡し場で『どうしてちゃんと修行や善行を積まなかったんだ!』と言われたら、もう手遅れだ。やはりキリストに信頼するのは止めて他の宗教で徳を積むことにしよう」という態度。これらの人は、①神のさばきを侮っている ②キリストのみわざを過小評価している すなわち、「最後の審判の時に、キリストの弁護なしに有罪判決を免れる」と本気で思っている。改めて「キリストに対する信仰に固く立っているかどうか」自分自身を『吟味』しよう![Ⅰコリント11:28] ✰今週のチャレンジ: 今日も「真理であるキリスト」に立っていますか? ◎更に深い学びのために  ①この箇所で筆者は、どのような考えを持っている人たちについて論じているのだと思いますか?  ②彼らの誤りはなんでしょう? また、どうしてそのように誤った考えに陥ってしまうのだと思いますか?  ③「真理に立つ」とは、どういうことでしょう? また、「真理に立ち続ける」ために大切なのは、どんなことですか? Outline of the sermon    “Stand on the truth of Christ.”    (12/11/2023) [Hebrews 10:26~31] ◆Who is it talking about?(Verses 26,29)  ・“Jesus” is “the truth”, so “receiving the knowledge of the truth” means “accepting Read more…

(549) “わたしたちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

 英語で『Pay back』と言えば「仕返しをする」という意味ですが、では『Pay forward』という物語をご存知でしょうか?これは実話に基づく物語で、言葉の意味合いとすれば「誰かから親切にされたことを、その相手ではなく、他の誰かにしてあげる」といったところでしょうか?  実はこのアイディアは、アメリカのある小学校の社会の授業で先生が「世界中の人たちが幸せになれるようにするために、あなたに何ができると思いますか?」という質問をしたことから始まったのです。1人の男子生徒がこの質問を宿題として家に持ち帰り、真剣に考え抜いた末に、翌日の授業でこの『Pay forward』のアイディアを発表したのです。そしてこの『Pay forward』は、後にアメリカで一大ブームを巻き起こします。(残念ながらしばらくした後に下火になってしまったようですが…)  この『Pay forward』は非常に素晴らしいアイディアなのですが、1つの難点があります。それは、人間は基本的に『自己中心的』なので、なかなか「自分から始めよう!」という力が湧いてこない、ということです。「他の誰かのために何かしてあげたい」という力は、まず「自分がそのようにされた」という経験から発生してくるものなのです。  実は、クリスチャンたちの日々の歩みはここから出ています。私たちをこよなく愛してくださっている『唯一真の神』が、その深い愛の故に、私たちとご自身の和解の使者としての御子イエス・キリストを『人』としてこの世に遣わされ、私たちの罪の身代わりに十字架の上で死なれたことによって、その愛を明らかにされた。クリスチャンたちは皆、この「現された神の愛」を受け取って、それを『Pay forward』しようとしているのです。  誰でも、「愛するために、まず愛されること」が必要です。そして聖書は私たちに「神がまず私たちを愛してくださっている」ということを知らせてくれているのです。

2023115 「『謙遜』を身に付ける」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『謙遜』を身に付ける」  (05/11/2023) [へブル人への手紙 10章19~25節] ◆キリストが示された『謙遜』(19~20節)  ・『垂れ幕』をくぐるためには身を低くする。イエスが「肉体を取られた」のも『謙遜さ』を示している。[ピリピ2:3-8] 私たちは『謙遜』にならなければ、この「キリスト・イエスにある救い」を受け取ることはできない。[エペソ2:8-9] ◆真の『謙遜』に裏打ちされた関係作り  ①「神との関係」において(21~23節)   ・「生まれつきの良心」の陰には「罪責感」がある。これは「血の注ぎ」によって、「神の前に聖められた者」としての『良心』に造りかえられる必要がある。これを受け取る者は「水のバプテスマ」(Ⅰペテロ3:21)を受けて洗われる。   ・「全き信仰をもって神に真心から近づく」とは、「砕かれた心・神に明け渡した心」をもって神の御前に出ることを表す。「自分の悟り」ではなく、「神のことばに対する徹底的な同意・服従」こそが、真の『謙遜』。(イザヤ57:15)  ②「人々(神の家族)との関係」において(24~25節)   ・「注意を払う」の直訳の意味は、「強く刺激し合う」。これは「一緒に集まること」無しには起こらない。「人との関係」は煩わしさもあるが、神様はそれらを通して私たちを成長させてくれる。積極的に集まろう! ✰今週のチャレンジ: どんな時に『謙遜』にさせられますか? ◎更に深い学びのために  ①主イエスは、どのような「謙遜の模範」を示されましたか? そこから考えさせられることを分かち合いましょう。  ②私たちの「生まれつきの良心」の問題は何ですか? 大胆に神に近づくために、何が必要なのでしょう?  ③私たちが「共に集まること」の大切さ、また、そのために『謙遜』がどれほど重要かについて考えてみましょう。 Outline of the sermon     “Clothe yourself with humility.”     (05/11/2023) [Hebrews 10:19~25] ◆Christ demonstrated true “humility”.(Verses19~20)  ・Jesus came with “flesh”(Philippians 2:3-8) and he became “a curtain” to make us “humble”.  We Read more…