(408) “富を得ようとして苦労してはならない。”

 現在の日常生活において周りを見回してみると、50年前には想像もできなかった品々が出回っていることに本当に驚かされます。パソコン、携帯電話、無料ビデオ通話、電子レンジ、デジカメ、カップヌードル、ペットボトル、挙げていたらキリがありません。そしてこれらのものは決して「珍しいもの」ではなく、もはや『生活必需品』になってしまっているわけですから、この半世紀ほど社会生活が変わった時代は無かったかもしれません。  家を1歩出るならば、そこは「お金を使う機会」に満ちています。昔は「買い物に行く」時以外は財布を持ち歩かなくて済んだのですが、今では「財布を家に置いてきた」となったら一大事、いやもしかしたら財布がなくてもスマホを使っていくらでも買い物が済んでしまう時代になっています。もはや私たちの人生は「お金を稼いで、それを使うこと」に費やされていると言っても過言ではないかもしれません。『ショッピング』は、様々な生活の営みのうちの1つでしか過ぎなかったのが、今や「生活そのもの化」してきてしまっているのではないでしょうか?そしてそのために「どれくらいお金を稼いでいるか」が自分自身の価値を測るバロメーターにさえなってしまっているかもしれません。  人間は本来、「物を売り買いする」ために生まれてきたのではなく、むしろ「互いに受けたり与えたりする」ために生まれました。よくよく考えてみると、売り買いできるもののうちで「どうしても必要なもの」はそれほど多くはありません。ある意味「あると便利だけど、無くても暮らせるもの」を私たちは欲しがるようになってきています。しかし私たちが生きるために本当に必要なものは、『思いやり』『優しさ』『平安』『誠実さ』『希望』『忍耐』『責任感』『信頼』『健康』『人生の目標』といったような、お金では買えない(「似て非なるもの」は買えるかもしれませんが…)ものであり、これらはすべて「人と人との関係」において育まれ、互いに提供し合うものです。ところがこれらのものを犠牲にしてまで「お金を稼ぐ」ことに時間と力を費やして身も心もボロボロにしてしまうとしたら、それは正しい生き方とは言えませんよね?  聖書が私たちに教える人生は、ずっとシンプルです。それは「神を愛し、人々を愛すること」というひと言にまとめられます。今あなたが時間と労力の大半を費やしているのはこのことに即しているでしょうか?ぜひ1度立ち止まってじっくり考え直してみることを心からお勧めします。

2020年9月27日 「聖書が教える『幸福論』」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「聖書が教える『幸福論』」(27/09/2020) ◆真の『幸福』とは?   ・ほとんどの人は「OOを得られれば幸福になれる」と思っている。しかし実際は、手に入れてしまった途端に物足りなさを感じるもの。『幸福感』は、「真に価値あるものを追求している時」にこそ体験できる。[ピリピ3:12]   ・私たちは1人1人「神の似姿」に造られた。[創世記1:26-27] そして『良いお方』に倣って、それぞれのために用意されたユニークな『良い行い』に歩むように望まれている。[エペソ2:10]   ・神は『アナタ』という人間を通してでしか成し遂げることのできない、ご自身の『良きみわざ』を既に用意しておられる。これを熱心に祈り求め、それを見出すなら、あなたは「神と共に生きる」ということを体験的に知るようになる。逆にそれを追求せずに生きるなら、それはアナタだけでなく、神の国にとっても大きな損失である。 ◆神との共同作業   ・「神が『私』という個人のために用意された『使命』に生きることによって得られる幸福感」、これこそ『天国人』に与えられている素晴らしい「神の国の祝福」の1つ。これはあなたにしかできない『神との共同作業』。   ・神は「どうしてもキミと一緒にやりたい!」というユニークなみわざを用意しておられる。それを求めて生きよう! ✰今日のキーワード: 神との共同作業 ◎学びを深めるための質問  ①あなたにとって『幸福』とは何ですか? また、あなたはどのような時に『幸福感』を感じますか?  ②「神が自分のためにユニークな人生の計画を持っておられる」と信じますか? それを祈り求めていますか?  ③「『自己最高』の人生を歩む」とは、一体どんなことでしょう? それは今の自分の歩みとどう違うと思いますか? Outline of the sermon    “What ‘happiness’ really is.”   (27/09/2020) ◆Seek for real “happiness”.   ・So many think, “If I get this and that, then I will be happy”.  In fact, once we Read more…

(407) “― 主のことば ―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。”

 聖書を学ぶうちに分かってくることは、「人生における『幸福』や『成功』といったことがらは、創造主である神のみこころを知り、それに従って生きるかどうかにかかっている」ということです。聖書の神は、私たち1人1人を造られたお方であり、私たちの長所・短所や適性などをすべてご存じで、また私たちの人生にチャンスを与え、貴重な出会いを与え、ピンチの時に助けを与えてくださる方ですから、このお方を無視して生きるということは、ある意味「幸福な人生を自ら放棄しているようなもの」だと言えるのではないでしょうか?  「人生の成功」には次の3つのことが必要です。 1.神があらかじめ計画していた通りの『アナタ』になること。 2.神があらかじめアナタのために用意しておられた道を歩むこと。 3.神が日々アナタのために備えておられるものを受け取ること。  これら3つ全てのために、聖書のみことばの原則に従うことが必要です。聖書は「神は本来人間をどのような存在としてお造りになったか」、そして「人間はどこからどうやってその道を踏み外してしまったのか」、また「どうすれば、もう1度元通りの道へ戻ることができるのか」を教えており、またその『元通りの道(神と共に歩む道)』を歩み始める時に、「神がどのようにアナタの人生に関わってくださるのか」をも示してくれているのです。そして『真の幸福』とは、「何か良いものを得ること」ではなく(実際、1度得てしまったら、すぐに別のものを欲しくなるものでしょ?)、神が用意してくださっている素晴らしい将来に向かって進んで行く「日々のプロセス」なのです。

2020年9月20日 「『神の怒り』を免れた者」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『神の怒り』を免れた者」  (20/09/2020) ◆不義に対する神の怒り   ・以前に「キリストの十字架は『神の愛の象徴』であるだけでなく、『神の義の象徴』でもある」と学んだ。聖書には随所に「人間の不義に対する神の怒り」が描かれているが、私たちはただイエス・キリストの十字架の故に、この『神の怒り』を免れている。   ・私たちは「一体神はどれほどの忍耐をもって、この怒りを忍んでくださっているのか」を理解しない限り、この地において『神の国の祝福』を伝えて行くことの緊急性が分からない。[ローマ9:21-24] ◆神の怒りを免れた者として ― 次の2つのことが求められている。   ①神に倣い、『怒り』をコントロールする [ヤコブ1:19-20]    ・私たちがこの世において「神の似姿」を証しするのは、『怒り』によってではなく『赦しと忍耐』によってである。善意を踏みにじられたりして悲しみや怒りに覆われそうになった時、「上からの忍耐」を神に求めよう!   ②福音を宣べ伝える [ローマ1:16-18]    ・「『神の怒り』を免れる術」を先に知らされた者として、「いつでも・どこでも・誰にでも」福音を宣べ伝えよう! ✰今日のキーワード: 「神の怒り」の免除 ◎学びを深めるための質問  ①あなたは「私たちの不義に対する『神の怒り』」をどのように理解していますか?皆で分かち合ってみましょう。  ②何故「人の怒りは神の義を実現しない」のでしょう? 「怒りを抑える」良いアイディアを分かち合ってみましょう。  ③「あなたはどうして福音を伝えたいのですか?」と尋ねられたら、何と答えますか? Outline of the sermon    “The objects of God’s mercy.”   (20/09/2020) ◆Wrath of God.   ・There are many places in the Bible where describes “wrath of God”.  They are all terrifying! Read more…

(407) “若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。”

何年か前に社会学者たちがある実験によって大変興味深い発見をしました。当時の常識では、児童公園などの周囲をフェンスで囲ってしまうと子供たちが委縮してしまって伸び伸びと遊べないのではないかと思われていました。そこで思い切って公園を取り囲むフェンスをすべて取り払って、子供たちがどのような反応をするか観察したのです。すると驚いたことに、子供たちは伸び伸びと遊ぶどころかかえって委縮してしまい、公園の中央付近に集まって不安そうな顔で周囲を見回しながら遊び始めたのです。そこで再びフェンスを張り巡らしたところ、子供たちは以前のように公園の端の方にまで走って行って、生き生きとはしゃぎ回り始めたそうです。 私たちは皆、適切な『境界線(ルール)』を必要としています。「これ以上向こう側へ行ってはいけない。このラインを越えてしまったら痛い目を見るよ。」と。 ある教育家たちは「そんなことをしたら、子供たちの創造性を摘み取ってしまう」と言うかもしれません。しかし実際は、明確な境界線が引かれていた方が子供たちの内にある『創意工夫』といった才能が正しく花開くのです。ですから、子育て奮闘中の親御さんたち、子育てのための適切な『ガイドライン』を作り、それをしっかりと子供たちに伝えてください。そして「このガイドラインに従わなかった時にはどんな悲しい結果を生むか」も、ちゃんと警告しておきましょう。このような一貫した教育は、あなたのお子さんたちを「正しい自制心と責任感」を持った優れた大人へと成長させてくれるのです。 こんなユーモラスな話があります。免許取りたての息子に自家用車をプレゼントする時に、父親がカギを渡しながら愛息にこう言ったそうです。「息子よ。実はね、この車には不思議な仕掛けがしてあるんだよ。」 「えっ?一体どんな仕掛けがあるの?」 息子は興味津々といった表情で尋ねました。父親は答えました。「うん、例えば、キミがたった1回でもスピード違反をしてしまったとするだろう?そうするとね、この車はキミの前から消えてしまうんだよ。」 私たちの『天の父なる神様』も同じです。彼は私たちを愛しておられるが故に、私たちに「聖書の教え」というしっかりとしたガイドラインを与えてくださり、私たちがそれに従って歩み、不必要なアクシデントや人間関係のもつれなどに巻き込まれないように守ろうとしてくださっているのです。

2020年9月13日 「思い煩いからの解放」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「思い煩いからの解放」(13/09/2020) ◆思い煩わなくていい![Ⅰペテロ5:7]   ・「全てに優って力があり、恵みと憐れみに満ちた神」が、私たちを深く愛し、最善をなされる。一体何を思い煩うことがあろうか?『思い煩い』の原因は、これらのことに関する無知、または単なる不信仰。[マタイ6:25-32]   ・ある人々は「もっと物がいっぱい貯まったら、思い煩いは減る」と思っているが、それはむしろ逆! ◆神が私たちの味方 [ローマ8:31-32,詩篇118:6-7]   ・まず自分自身が、この「神が私たちを心にかけてくださっている」という驚くべき祝福を満喫する。肩の力を抜いて、主の前にへりくだり、主に委ね、『主の時』を待つ。[Ⅰペテロ5:6-7]   ・そしてこれを自分自身で体験的に学んだなら、今度はそれをまだ知らない(体験していない)人たちに知らせる。これが『天国人』に期待されていること。   ・クリスチャンたちは、心のどこかで「自分たちの携えているメッセージは、周囲の人々に受け入れてもらえないのでは?」と思い込みがち。大切なのは「受け入れてもらえるかどうか」ではなく、「私たちが受けた祝福は、他の人々にとっても大きな価値があるもの」だと気づくこと。全ての人は『心の平安』を求めている! ✰今日のキーワード: 神が私の用心棒 ◎学びを深めるための質問  ①『思い煩い』の源は何だと思いますか? 私たちはどうやってそこから抜け出すことができるでしょうか?  ②世の人々はどのように『思い煩い』から免れようとしていますか?何故その方法ではうまく行かないのでしょう?  ③『思い煩い』を抱えて悩んでいる人々に、あなたは『天国人』として、どのようにアプローチできるでしょう? Outline of the sermon        “Be free from anxiety!”      (13/09/2020) ◆Do not be anxious about anything![ⅠPeter 5:7]   ・Almighty God who is full of “power, love and mercy” is with us and always ready to do Read more…

(406) “たとえ死の陰の谷を歩むとしても…”

 神を信じて生きようとするか否か迷う1つの要因に、「もし神が本当にいるのだとしたら、何故……のようなことが起こるのか?」という問いがあると思います。『God is not dead』という映画でクリスチャンの青年に対し挑戦的な態度で応じる「無神論者」の哲学の教授は、敬虔なクリスチャンの母親に育てられながら、その母親が晩年に病で苦しみながら死んで行った様子を目の当たりにして、「神なんかいるものか!」と結論づけていました。私はキリスト教の牧師ですが、「神が本当に恵み深いお方であるなら、どうしてこのようなことが起こるのか?」と問わずにはいられない時が確かにあります。ある意味現在起こっている、この「コロナウイルスによるパンデミック」もその1つだと言えるでしょう。  ただここで忘れてはならないのは、聖書が私たちに教える『人生観』は、「…だから」の人生観ではなく、「…にもかかわらず」の人生観であるということです。神が私たちを愛されるのは、「私たちが愛らしいから」ではなく、むしろ「私たちには愛しにくい点が数多くあるにもかかわらず」愛されるのです。それは神ご自身のご性質が『愛』だからです。神は私たちが「良い人間」であろうが「悪い人間」であろうが、ひたすら私たちを愛さずにはいられないお方なのです。  聖書は「神は私たち人間を『神のかたち』に造られた」と述べています。私たちは本来、神と思いを共有させながら、神と「心を1つとされて」生きるべき存在なのです。ですから、もし神が「…だから」の神ではなく、「…にもかかわらず」の神であるなら、私たちも「こういうことが起こったから神を信じる」のではなく、「こんな状況であるにも関わらず神を信じる」という姿勢が期待されているはずです。  以前「神様、あなたはご自分のなさっていることが分かっておられるのですか?」というタイトルの本を読んだことがあります。その本の内容は、著者が直面した数々の困難や試練の経験が綴られていましたが、そこからは著者の神に対するあふれんばかりの純粋な信仰が感じ取れました。すなわち「神を信じるか否か」は、人生に起こる様々な出来事によって左右されるのではなく、「自分の心を神に向けようとするか否か」にかかっているのです。

2020年9月6日 「生ける水」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「生ける水」 (06/09/2020) ◆いのちの水 ― この地上で生きるために、私たちにとって『水』は欠かせない。   ・私たちが『天国人』として地上にもたらす「神の国の祝福」の1つは、この『水』。天国にも『水』がある?![黙示21~22章]   ・そして主イエスも、「いのちの水」「生ける水」についてしばしば言及した。[ヨハネ4:7-15]   ・この世が提供するものは、どんなに魅力的だとしても「一時的」。しかし神が御子イエスを通して私たちに与えてくださるものは「永遠に保つもの・あふれるいのち」。それは「神のいのち」である『神の御霊』。 ◆生ける水の川 ― 聖霊。[ヨハネ7:37-39]   ・世が提供するものでは癒すことのできない『渇き』がある。そしてイエスはその『渇き』を癒すために来られた。   ・この「生ける水の川 ― 聖霊」は、私たちがこの世にあって受け、天国に持って行ける唯一のもの。しかし「この世」はこれを理解できない。[ヨハネ14:16-17]   ・神がご自身を遣わされたように、イエスは私たちを遣わされる。[ヨハネ20:21-23] それは私たちを通して「生ける水・聖霊」をあふれ流れさせるため。私たちが伝える福音は、相手の人生の『永遠』に影響をもたらす! 渇く者は、求め、受けなさい![黙示録22:17] ✰今日のキーワード: 生ける水の川 ◎学びを深めるための質問  ①この世が提供するものでは決して満たすことのできない『渇き』にどんなものがあるか、話し合ってみましょう。  ②イエスはどのようにそれらの『渇き』を癒されましたか?またあなたは同様の「渇きの癒し」を体験しましたか?  ③あなたは自分の内にある「生ける水の川」を日々実感していますか?していないとしたら、何が原因でしょう? Outline of the sermon        “Living water.”      (06/09/2020) ◆The water of life. ― “Water” is more than necessary for us to live on the earth.   ・One of “God’s Read more…

(405) “イエスは立ち止まって…”

 イエス・キリストとその一行がある町に向かっている途中、町外れで物乞いをしている盲人がいました。この盲人はイエス・キリストが近くを通って行くのを知ると、人々が止めるのも聞かずに声の限りにイエスを呼び求めました。イエスはこの声に気付いて立ち止まり、「自分の目を見えるようにして欲しい」という彼の訴えを聞き入れ、彼の視力を奇跡的に回復させてくださいました。  私たちには、このキリストのように『奇跡を起こす』ことはできないかもしれませんが、自分を必要としている人のために『立ち止まる』ことはできるのではないでしょうか?  現代は『スピード社会』と言われます。3分でできるカップヌードルや、1分で温められる電子レンジ、物事が分刻みで進んで行く世の中です。そのような社会で暮らしている私たちは、知らず知らずのうちに『待つこと』が苦手になり、いつの間にか歩くのも早足になり、他人に呼び止められても「自分のこと」で頭がいっぱいになっていて「立ち止まる」ことができなくなってしまっています。  ぜひもう1度、日々の自分の活動を振り返ってみましょう。「本当にどうしても今日中にこなさなければならなかったこと」が一体どれほどあったでしょうか?「できるだけたくさんの量をこなすこと」を目標にする代わりに、「できるだけ無駄なことを省いて『時間と心の余裕』を持つこと」を心がけてみてはどうでしょうか?そうすると、イエス・キリストが彼を求めている人々の必要に答えられたように、あなたを求めている人々(家族・友人とか?)の必要に答えることができ、もしかしたら『小さな奇跡』も体験できるかもしれませんよ。