(616) “わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。”

 イエス・キリストはその教えの中でしばしば『愛』について語り、また「神を愛するとは神の命令を守ることである」とおっしゃいました。きっとここである方々は考え込んでしまうのではないでしょうか。「『命令を守る』などという愛の形があるのだろうか?」と。  確かに人間同士の関係において、「どちらかがどちらかの命令を守るのが『愛』だ」などと言ったら、何だか封建的で誤解を招きそうです。しかし、「創造主なる神と私たちの関係」は決して『同等』ではありません。神の方が知恵においても力においても圧倒的に優っています。そのような間柄においての『愛』は、恋人同士のようなロマンティックなものではなく、むしろ「親子関係」のようなものかもしれません。  神は私たちに対して、「憐れみ」「一方的な恵み」「祈りに応える」というような方法でご自身の愛を表現してくださいます。では私たちはこのお方に対してどのように『愛』を表現できるでしょうか?それは『絶対的な信頼』を通してです。幼子が親に言われたことに対して、「ホントかな?」「どうしてなの?」「証明してみせて!」などという疑わしい態度ではなく、「お父さん(お母さん)がそう言ったんだから、間違いない」と従順に従う様子を目にする時、親たちはきっと「この子のためなら、どんなことでもしてあげよう!」と感じることでしょう。  神は良い方であり、私たち1人1人の最善を願い、また施してくださる方です。この方に信頼してその戒めを守り行うことによってこそ、私たちは『神に対する愛』を正しく表現できるのです。

2025年6月29日 「『救い』とは?」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『救い』とは?」  (29/06/2025) [使徒の働き 4章12節](年間聖句) ― では、聖書の言う『救い』とは何なのだろう? ◆今すでに受け取っているもの(Ⅰペテロ1:8-9)  *『救いの要素』には、「この地上にあって既に味わうことのできるもの」と、「天に挙げられた後に味わえるもの」とがある。では、今すでに味わうことのできる(味わっている)ものには、どんなものがあるのか?   ①『神の子』としての特権 [ヨハネ1:12]    ・神との交わり  ・祈りの特権  ・いのちの喜び,平安  ・神の家族との交わり  ・御霊の内住   ②『神の子』としての成長 [Ⅱコリント3:18]    ・聖化  ・『愛』における成長  ・「働き人」としての成長(御霊の賜物)  ・天国の前味 ◆後に受け取るもの(Ⅰコリント13:12)  *『救いの要素』には、やがてこの肉体を脱ぎ捨てて『天の御国』においてのみ味わうことのできる祝福がある。    ・顔と顔とを合わせて主イエスを見る。    ・死も病も苦しみもない世界。(黙示録21:3-4)    ・全ての謎が明かされる。(「なぁるほど、そういうことだったんですね。さすが、神様!」と納得) 今日の要点: 「既にあるもの」を見つけて味わい、「後に来るもの」を見つめて喜ぶ ◎更に深い学びのために  ①『救いの要素』で、あなたが既に味わっているものを分かち合いましょう。  ②まだ味わっていない『救いの要素』で、あなたが強く待ち望んでいるものは、何ですか?  ③この「救い」をぜひ受け取って欲しいと思っている人たちのことを思い浮かべながら祈りましょう! Outline of the sermon    “What is ‘salvation’ really?”    (29/06/2025) [Acts 4:12](JCF Scripture of this year) ― By the way what is “salvation” really mean? Read more…

(615) “罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。”

 上記の聖書のことばの中に2つのキーワードが出てきます。1つめは『報酬』です。これは分かりやすく言えば「当然の報い」。例えば「時給1000円で8時間働けば当然8000円もらえるはず」、これが『報酬』です。  もう1つは『賜物』、別の言葉で言えば「おもいがけないご褒美」。これは「特に受け取るにふさわしい理由がないのにも関わらず、相手のご好意によっていただけるもの」。例えば「時給1000円で8時間しか働いていないのに、気前の良い雇い主が1万円くれた」、これは『賜物』です。  聖書は「私たちはいのちの源である神に対して『罪』がある(的外れな歩みをしている)ので、当然の結果として『死』に至る」と教えています。ところがこの神はその憐れみの故に、「死に値する私たち」の『罪の代価』を、ひとり子イエス・キリストによって支払ってくださった。それ故、「この驚くべき神のみわざを自分のこととして信じる者は、『賜物』として『永遠のいのち』を神から受け取ることができる」と教えています。これがいわゆる、キリスト教の言う『福音(良き知らせ)』です。  私は大学生時代、20歳の時に初めてこの『福音』を聞き、そしてその場で信じました。それから40年以上経ちましたが、神が与えて下さったこの「永遠のいのち」は、今日も私の中に息づいて、この『福音』を他の人々にも伝えずにはいられない気持ちにさせてくれているのです!

(614) “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、1人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”

 聖書は2000ページ以上もある分厚い書物(新約聖書だけなら500ページくらいですが…)なので、なかなか「読んでみよう!」と思い切れない、また仮に読み始めたとしても完読できない書物ではないでしょうか?そこで今日は『聖書のエッセンス』とも言えるお話をしたいと思います。  多くのクリスチャンたちが「この聖書箇所は、聖書の全体像をうまく言い当てている」と同意する1つのことば、それが冒頭に掲げた[ヨハネの福音書3章16節]という箇所です。「神は『世(人々)』を愛しておられる。その愛の故に『ひとり子(イエス・キリスト)』をこの世に送り、その『不信仰(神に対する不従順)』の故に「死とさばき」に定められた私たちの身代わりとされ、代わりに私たちが『永遠のいのち(神との関係の中で豊かに生きるいのち)』を持つことができるようにされた。」 これが聖書の中心メッセージです。  世界の中心(主人公)は『自分』でも『人間』でもありません。世界の中心は、それを形造られた『創造主なる神』です。そしてその『神』は私たち人間を「特別な存在(神との関係の中に生きるもの)」として造られ、こよなく愛し、心にかけてくださっているのです。ところが私たち人間はそんな『神』の存在を見失い、自分勝手に、いかにも「自分こそ世界の中心」であるかのように歩み始めました。この「神に背を向けて生きること」を聖書は『罪』と呼んでいます。そして「いのちの源である神」に背を向けて生きる道は、そのまま『永遠の死』へと向かうのです。  そんな私たちの「不信仰な歩み」を、もう1度修正する機会を与えるために、『神の子イエス・キリスト』はこの世に来られ、私たちの「罪の報い」を十字架上で身代わりに背負い、信じる者に『永遠のいのち(神との関係の回復)」を与えて下さるのです。

2025年6月15日 「神との関係に生きる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「神との関係に生きる」  (15/06/2025) ◆神を知り、応答する  ・「キリスト者として生きる」ために最も欠かせない『神との個人的な関係』という概念を改めて確認しておこう!  ・「神との関係の中に生きる」ためにまず必要なことは、「神を正しく知る」ということ。神を正しく知ることさえできれば、私たちはその神に対して『応答』せずにはいられないはず。この「神を知り、応答する」というサイクルが、  いわば「神との関係の中に生きる」ということである。 ◆神をどう知るのか?  ・「神を正しく知ること」はこの世の知恵や知識によるのではなく、神からの『啓示』(神のイニシアティブ)による。  ・神はそのひとり子『イエス・キリスト』によって、世にご自身を証しされた。[コロサイ2:9] 私たちはこのキリストを通して「正しく神を知る」のである。具体的には、①人として地上を歩まれたキリストの生き様を通して ②『生ける神のことば』としてのキリストを通して ③信じる者の内に住まわれる『キリストの御霊』による啓示によって。  ・私たちは、神から与えられた『自由意志』を用いて「神に対する信頼」を表明する。つまり、神から与えられている『時間』というものを、「神との交わり」のために敢えて使うのである。初めは慣れないかもしれないが、ひとたび「神の素晴らしさに魅了され、それに応答して生きる」ということの醍醐味を味わったら、それは病みつきになる。 今日の要点: 神を正しく知り、応答する ◎更に深い学びのために  ①「神との関係の中に生きる」とは、実際的にどんな生き方でしょうか? 自分の言葉で言い表してみましょう。  ②私たちはどのようにして「神を正しく知る」のでしょう? どうして、その方法が正しいと言えますか?  ③「神との関係の中に生きる」ために、あなたがしていること、また今日から始められることは、何ですか? Outline of the sermon   “Personal relationship with God.”   (15/06/2025) ◆Knowing God and respond to Him.  ・To build “personal relationship” with God, it is inevitable “to know God” properly.  Once we know God, Read more…

(613) “主を恐れることは知識の初め。”

 私の住むクライストチャーチは、現在「建築ブーム」です。我が家から歩いて10分の範囲で少なくとも5件以上の家(というか集合住宅)が建築中です。恐らくこの数年間で数千世帯分の建物が建てられたのではないかと思われます。  私は毎朝犬の散歩をするので、これらの「建築現場」を毎日目撃します。そして1つ分かったことは、大工さんたちは『土台』を据えるのに大変長い期間と労力を費やすということです。この時期は現場の前を通ってもちっとも変化がなく、「本当に工事が進んでるのかな?」と疑いを持ちそうになってしまいます。  ところがこの『土台』が完成すると、建築作業は目に見えてはかどって行き、みるみるうちに立派な建物が出来上がって行くのです。この時期は現場の前を通るのが楽しみになります。日々工事が進んでいるのを確認できるからです。しかしこの「目に見えた作業の進展」は、その前の「土台を据える」という時間のかかる地道な作業があったからこそ実現するわけです。  現代に生きる私たちは、「見える形で物事がドンドン進んで行くこと」を強く求めるがあまり、「土台を据える作業」をおろそかにしてしまう傾向があるのではないでしょうか?『インスタント』という言葉は50年前には知られていなかったと思いますが、今では至る所で使われています。「より早く、より効率的に、より便利に」が求められている中で、「じっくりと時間をかけて頑丈な土台を据える」という行程はモタモタしているようで人気がありません。しかし「より丈夫で長持ちするもの」を生み出すには、時間や手間ひまがかかるものなのです。  この全世界・全宇宙を創造され、その創造物の中の「最高傑作である私たち人間」を深く愛し慈しんでおられる『神』を正しく知り、恐れること、これは正に私たちの『人生の土台』と言えるのではないでしょうか?「神様なんて目に見えないし、よく分からないから必要ない。もっと分かりやすくて手っ取り早いものが欲しい!」と、目先の便利品やSNSなどで得た情報で日々の生活をとりあえず凌いでいくこともできるでしょう。でもそんな風にして建て上げた人生は決して長続きせず、困難に遭遇した時に簡単に崩されてしまいます。そうではなく、創造主なる神を知り、このお方との関係の中で生き始める時、私たちは変わることのない平安や希望そして強い確信をもって、堅固な土台の上に人生を建て上げて行くことができるようになるのです。

2025年6月8日 「クリスチャンTシャツ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「クリスチャンTシャツ」 (08/06/2025) ◆「クリスチャンTシャツ」とは?  ・「クリスチャンTシャツを着て生きる」とは、目に見える振る舞いにおいて「クリスチャンっぽく」生きようとすること。「クリスチャンとは、こうあるべきだ」という自分の信念に基づいているわけだが、私たちは弱い存在なので、いつか必ず行き詰まり、疲れてくる。  ・パウロは「イエス・キリストを着なさい(ローマ13:14)」と言った。分かるような、分からないような言葉である。「自分の力ではなく、キリストの霊によって」というような意味だろうが、実際的にどうしたら良いのかはっきりしない。 ◆お揃いTシャツ  ・ある時妻が「お揃いのTシャツを買おう」と言った。もちろん大賛成だったが、彼女の選んだTシャツは全く私の  好みに反していた。しかし私はその提案に同意し、着ることにした。何故なら、自分の大好きな相手が「一緒に着  よう」と言ったからだ。正直言ってあまり似合わないかもしれないし、周囲は笑ったり冷やかしたりするかもしれな  い。しかしそんなことはあまり大したことではないのだ。  ・『クリスチャン』としての私たちの歩み(「イエス・キリストを着る」ということ)も、これと似ているのではないだろうか? キリストに従って生きることは、初めのうちは自分の価値観とピッタリ合わなくて、違和感を感じるかもしれない。しかし大好きなイエス様が「一緒にこの人生を歩もう!」と招いてくださっているだけで十分意味があるのだ! 今日の要点: 主イエスとお揃いのTシャツ ◎更に深い学びのために  ①「『クリスチャンTシャツ』を着て生きる」とは、どんな生き方ですか? あなたはそんな経験がありますか?  ②「イエス・キリストを着る」という言葉を、あなたはどのような意味に理解していますか?  ③「イエス様とお揃いのTシャツを着て歩くこと」をイメージしてみてください。正直なところ、どんな気分ですか? Outline of the sermon   “Christian tee shirt.”   (08/06/2025) ◆What is “Christian tee shirt”?  ・Wearing “Christian tee shirt” means “covering up what’s inside of us” and behave like who you think “Christian” is.   Read more…

(612) “私たちは、この宝を土の器の中に入れています。”

 『過労死』なる言葉が使われて久しいですね。どうしてこのような悲劇が起こってしまうのでしょうか?恐らく1つの原因は「『しなければならない』と思っていることのために、自分自身を酷使しすぎてしまう」ということなのでしょう。本当に「しなければならない」のは、『自分自身をもっと大切にすること』なのに…  私たちはしばしば『自分の身体』というものを過信しすぎたり、軽んじてしまったりしているのではないでしょうか?「自分のものを自分の好きに使って何が悪い!」というのが、これらの人々の言い分なのかもしれません。では『妊婦さん』はどうでしょうか?妊婦さんたちが自分の身体を酷使しそうな様子を見て、周囲の人が「自分の1人の身体じゃないんだから…」といたわりの言葉をかけることがあります。そう、彼らは「生まれ来るかけがえのない命」をその身に宿しているのです。  実は聖書は私たちも「かけがえのないものを宿している」と言います。それは「神が私たち1人1人に与えた『神のかたち』」です。私たちの肉体自体は「地のちりから造られ、地のちりに返る存在である」と述べられていますが、そんな「土の器」の中に『かけがえのない宝』を宿している。だからこそ、私たちはこの身体をいたわるべきなのです。  聖書の別の箇所には、「私たちの体は『神の霊』を宿した『神の神殿』である」とも書いてあります。神こそが、私たち1人1人の『真価』を知っておられます。そして私たちは「妊婦さんたち」のように、「この身体は自分だけのものではない!」という自覚をもって、決して自分の身体を粗末に扱うことなく、神の前にも人々の前にも恥じることのない人生を歩むことが求められているのです。