(219) “アリは力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。”

『絵に書いた餅』ということわざがあります。「たとえその計画がどんなに素晴らしくても、実現しなければ何の役にも立たない」というような意味です。良い仕事を成し遂げる人たちには、1つの共通点があります。それは「他の人たちがやりたがらないことでも積極的に取り組む姿勢」です。お金が欲しい人たちはたくさんいますが、重労働は好みません。皆健康なからだを求めていますが、規則的な食事や運動をしようとはしません。優れた人生を歩むために必要なのは「立派な計画」ではなく、それを「実行に移す行動力」と「最後までやりぬく忍耐力」です。 良い習慣を身に付けるために「新しく何かを始める」のは簡単なことではありません。私たちはせっかく優れたスタートを切っても、ついなんだかんだと理由をつけてあきらめてしまいがちです。それでは「優れた習慣を身に付けるため」にはどうしたら良いのでしょうか? ①『小さいことから始める』 「優れた習慣」に向かうために大切なのは、進む『速さ』ではなく『方向』です。たとえ時間がかかっても、まっすぐに目標に向かってさえいれば、やがて必ず到達します。慌てず、急がず、着実に前に進んで行きましょう。 ②『自分から始める』 周りの状況が整うのを待っていたら、いつまで経っても始まれないかもしれません。他の人々も「誰かが始める」のを待っているものです。それが真に「優れた習慣」ならば、あなたが始めることによって必ず『何か』が起こり始め、その『何か』が周りを動かし始めるのです。 ③『とにかく始める』 新しい習慣を始めない理由はいくらでも見つけられます。「取りあえず学校を卒業してから」「結婚してから」「仕事が忙しくなくなったら」「退職してから」「死んでから???」 一見大変そうなチャレンジでも、実際に始めてみると思ったよりも楽だったり楽しかったりするものです。後回しにし続けた後に残るものは「あ~あ、あの時に始めておけば良かった…」という後悔の念だけです。 神様があなたに与えてくださった「たった1度きりの人生」を『絵に描いた餅』にしないために、今日「優れた1歩」を踏み出しましょう!

2016年6月26日 「御霊に導かれて生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「御霊に導かれて生きる」     (26/06/2016) ◆聖霊は具体的に導く ・ピリポの場合。[使徒8:29]   ・ペテロの場合。[使徒10:19-20]   ・パウロの場合。[使徒19:21] ・「神の子ども」の特徴。[ローマ8:14] 御霊に導かれた歩み = イエス・キリストの歩まれた歩み その最大の特徴は、「力あるわざ」でもなく、「人々に対する愛」でもない。『御父に対する愛と従順』。 ◆『御霊の導き』の性質 ①この世の知恵や経験からは推し測れない。[Ⅰコリント2:11] ②「神のことば」と矛盾しない。[ヨハネ3:34] ③特有の「内側からこみ上げる思い」を起こさせる。[ピリピ2:13] *これらの①~③のような導きに、どう応答していくのか? ①に対して ― ・1日を「自分の都合や計画による予定」でいっぱいにするのをやめる。 ・物事に関して、無理に知的に納得しようとしない。 ②に対して ― ・みことばを蓄え、それを思い巡らす。 ③に対して ― ・「心に浮かんだ思い」を吟味する。 そこには「御父への愛」があるか?  「誰かをさばく思い」はないか? ◎失敗してもいいから、幼子のように素直で大胆に応答しよう!   Outline of the sermon       “What is ‘Spirit-led life’ like.”      (26/06/2016) ◆The Holy Spirit definitely guides us. ・He guided Philip. [Acts 8:29]   ・He Read more…

(218) “悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。”

ある会社員が毎朝駅の売店で新聞を購入していました。売店の販売員はいつもこの会社員に礼儀正しく丁寧に応対するのですが、この会社員はいつもイライラしていて、お金を払うと新聞を奪い取るようにして急ぎ足に去って行くのです。それにも関わらずこの店員は去り行く男の背後から、毎回明るく弾んだ声で「いつもありがとうございます!」と声をかけるのでした。ある朝売店で一緒に働いていた同僚がその様子を見ていて「あのお客はいつもあんな風に無愛想なの?」と尋ねました。「ええ、そうなのよ。」同僚は更に尋ねました。「それなのにあなたはどうしていつもああやって明るく丁寧に応対できるの?」店員は答えました。「だって、私がお客さんにどんな風に応対するかを、お客さんの私に対する態度で左右されたくないもの。」 『移る病気』は「インフルエンザ」とか「エイズ」ばかりではありません。「不機嫌」「怒りっぽさ」「陰口」など、人の気分や悪習慣も大変伝染しやすいものです。ですから「どんなタイプの人といつも一緒にいるか」は選んだ方がいいですね。けれど「1日のうちにどのような人と出会うか」を選ぶことはできません。ですから私たちは朝ごとに自分の心にこう言い聞かせる必要があります。「私の気分は、他人や周囲の状況(お天気?)が決めるのではなく、私自身が決めるのだ!」 神はそのひとり子イエス・キリストをお与えになるほどに、私たち1人1人を愛してくださいました。そしてその同じ愛が今日も私たち1人1人に注がれています。私たちが周りではなく、上を見上げて、今日も変わらない愛を注いでくださっている神と心を通わせて生きる時、あなたから発信される『愛のウイルス』が周りを変えて行くかもしれません。

2016年6月19日 「『御霊に導かれた歩み』とは?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『御霊に導かれた歩み』とは?」    (19/06/2016) ◆「文字(律法)による束縛」ではなく、「御霊による自由」 ・「文字は殺し、御霊は生かす」[Ⅱコリント3:6] ― 律法学者たちは、文字に縛られてしまった。 ・目的地を目指すのに、「正確な地図に頼る」ことと、「道を熟知している案内人に頼る」ことの違いに似ている。 地図を見ながら歩くのは、結局自分の能力に頼るので、不安と緊張感がある。案内人に信頼して歩けば、 リラックスできるし、目的達成のみならず、歩く道のりを楽しむこともできる。 ◆「御霊に導かれた歩み」を妨げるもの[ローマ8:1-6] ・それは、『肉』(生まれながらの自分の傾向性)。しかしこの「肉の性質」に対して信仰によって『No』と言いつつ、 御霊に従って生きるなら、律法の要求は成就されていく。 ◆律法の集約[マタイ22:35-40] ― 「神」を愛し、「人々」を愛すること ・使徒たちによる言い換え [Ⅱコリント5:15,Ⅰヨハネ3:16] ・イエスによる描写 [マタイ25:31-40] ・私たちがもし『肉』にではなく『御霊』に従って生きていくなら、このような歩みが実現する。これは実は主イエス が初めから人々に示されていたもの。[ルカ9:23-24] ◆何故そんな生き方ができるのか? ①人にはできないことが、神にはできるから。[マタイ19:25-26] ・キリストの栄光が輝き出るのを体験するためには、私たちにできそうなことだけをしていたのではダメ。 ②聖霊との交わりの中で生きることに、それだけの魅力があるから。 ③「最高のゴールに到達する」という確信と希望があるから。   Outline of the sermon       “Living by the Spirit.”      (19/06/2016) ◆“Walk by the law” vs “Walk by the Spirit”. ・“The letter kills Read more…

(217) “主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。”

野生の鹿やシマウマなどの群れは、ライオンや虎などの野獣に襲われた時、生まれたばかりの赤ん坊をその場に置き去りにして逃げるそうです。これは彼らが自分の子供を大切にしないからではなく、次の2つの理由からです。第1に、赤ん坊は足手まといになるので、赤ん坊を連れて逃げると、自分自身も赤ん坊のいのちも危険にさらされるからです。そしてもう1つの理由は、赤ん坊はまだそれらの野獣を恐れることを知らないので、置き去りにしても野獣に見つかる可能性が低いからです。何故なら、野獣は獲物たちの『恐れの波長』を嗅ぎ取って追ってくるからです。 私たち人間の世界も同じです。私たちの人生を脅かす災いは、しばしば私たちの『恐れの波長』に引き寄せられて忍び寄ってきます。「もしかしたら悪い病気にかかっているのではないか?」「事故に遭ってしまうのではないか?」「これだけの貯金では足りないのではないか?」「いつか恋人に裏切られてしまうのではないか?」などなど。これらの恐れは私たちの人生に対する態度を消極的にし、お酒やドラッグへと走らせ、少しずつ私たちの人生を蝕んでいき、やがて破滅へと至らせるのです。 これらの恐れは一体どこからやってくるのでしょう?それは「私たちのいのちの根源である『神』から離れてしまっていること」から来ているのです。ある人々は「自分の人生は自分で切り拓く。『神』なんか要らない!」と言い、また別の人々は「神様は真面目で勤勉な人たちにはご利益をくださるが、自分のように弱く失敗ばかりしている者は見捨てられてしまうに違いない」という『誤った神観』を持っています。 聖書では、しばしば私たち人間と神との関係を「羊と羊飼い」にたとえています。羊は動物の中でも最も弱く依存的であり、羊飼いの優しく力強いケアなしには生きられない存在です。そして神は私たちにも、「自分の弱さや限界を素直に認め、神に信頼して生きるように」と願っておられるのです。生きていく上で試練や挫折が起こるのは、それらの経験を通して私たちが「私たちの人生の羊飼いである神」と出会うことができるためなのです。

2016年6月12日 「血による新しい契約」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「血による新しい契約」      (12/06/2016) ◆「旧[約]聖書」と「新[約]聖書」 ・翻訳の『訳』ではなく、契約の『約』 ― 「古い契約」と「新しい契約」。 ・「古い契約」とは? = 十戒や割礼などに代表される様々な律法。 血の注ぎかけによって『契約』として有効になった。[出エジプト24:3-8] ◆新しい契約 ・あきらめない神。[エレミヤ31:31-34] いつ成就した? → イエス・キリストを通して[ルカ22:15, 19-20](最後の晩餐・聖餐式) ・古い契約(律法)は、人間が連れてきた動物の血の注ぎかけによって有効にされたが、新しい契約は、父なる 神によって遣わされた「傷のない子羊キリストの血」によって有効とされた。[ヘブル9:11-12, 15] ◆「過越の祭り」の起源[出エジプト12:21-24]  イエスの十字架はこの時期に起こった!(非常に象徴的) ①かもいと門柱に塗られた血 ― 十字架を想起させる。 ②血は外側に塗られた(家の中からは見えない) ― 私たちが理解するためではなく、神に見せるため。 ③神の定めた方法に従った者なら、誰でも救われた。 ◆心に記された律法 [再び、エレミヤ31:33] ・『文字』ではなく、『御霊』。[Ⅱコリント3:6] 書かれたルールではなく、「人格を持つ聖霊」に導かれて生きる。   Outline of the sermon      “The new covenant in the blood.”     (12/06/2016) ◆ Old ‘Testament’ & Read more…

(216) “だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。”

幼い子供がお友だちに囲まれて誕生日を祝ってもらっている状況を思い浮かべてみてください(自分がお祝いしてもらった時の思い出でもいいですよ)。きっとその子どもはその日、何だか「物語の主人公になったような気分」を味わっているに違いありません。大人になるにしたがってそのような機会は減っていくかもしれませんが、何歳になっても「自分は価値のある存在である」という気分を味わいたいという欲求は変わらないはずです。 前述の聖書のことばの「養い育てる」という語の原文は「建て上げる,敬う,祝う,宝物のように扱う」というような意味を持っています。このように扱われて悪い気分になる人はいないのではないでしょうか? 私たちは皆上記のように扱ってもらうことを望みますが、と同時に親しい間柄において(夫婦や親子、親しい友人など)互いを「養い育てる」ことができたとしたら、どんなに人生が豊かになって行くことでしょう。誕生日や試験にパスした時などに「おめでとう」のひと言をかけてあげるのはもちろんのこと、ささいなことに関しても「あなたの存在を感謝してるよ」「あなたは私にとってかけがえのない存在だよ」と照れることなく伝えてあげられたら、相手はきっと心強く感じるに違いありません。 また私たちがそのような心遣いを必要としているのは、何も『お祝い事』の時だけではありません。何かに失敗したり、新たなチャレンジに尻込みしたりしているときに、影のようにそっと側にいてあげることは、どんな言葉にもまさって相手の心を力づけることでしょう。 神様は「自分を愛するごとくに、あなたの隣人を愛せよ」とおっしゃいました。神様にとっては、私たち1人1人がかけがえのない存在です。その私たちがそのように互いを喜び合い、祝福し合い、支え合う時に、天では大きな喜びが湧き起こるのです。

2016年6月5日 「救いの2段階」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「救いの2段階」       (05/06/2016) ◆2つの『救い』 [Ⅰペテロ1:8-9,2:1-2] ・『救い』には、2段階ある。 ― 言わば、神の子供としての「資格」と「実質」。 ・「罪の赦し」「永遠のいのち」「聖霊」などはすべて、イエスを救い主と信じた時点で与えられる。しかし神が与え る『救いの真価』は、私たちが「キリストの似姿(真の人間)へと完成される」こと。[ピリピ1:6] ・どちらの救いもただ「恵みと信仰」による。[エペソ2:8] すなわち「神のあわれみによる招き」に「愛と信頼」をもって応答することによって。 決して自力のガンバリで成し遂げるのではない。[ガラテヤ3:3] ◆「信仰生活」と「結婚生活」 類似点 ・結婚した時点で、紛れもない『夫婦』。しかし未熟なために同じ失敗を繰り返す。日々の小さな「愛と信頼」によ って「成熟した関係」へと成長する。途中であきらめたくなる誘惑に勝利する必要がある。 決定的な相違 ・神は初めから『完全な愛』で私たちを愛しておられる。また神は決して私たちをあきらめはしない。 ◆カギは『聖霊』 ・イエスを救い主として受け入れた時点で、聖霊は私たちの内に来られる。 [Ⅰコリント3:16] また聖霊は日々 『救いの完成』に向けて私たちを造り変えようとする。[Ⅱコリント3:18] ・しかし聖霊はイエス様と同様、私たちの「自由意志」を尊重する。私たちが聖霊に対して無関心な態度を取り続 けるなら、結婚生活と同様、関係はドンドン冷えていく。[Ⅰテサロニケ5:19,エペソ4:30] ✰特に初めの1年間、「御霊の声を聞き分け、愛をもって応答すること」を心がけよう!   Outline of the sermon       “2 levels of salvation.”      (05/06/2016) ◆Are there two “salvations”? [ⅠPeter1:8-9,2:1-2] ・There are two “levels” of salvation. ― In other Read more…