(544) “正しい人は7度倒れてもまた起き上がる。”

 「決して失敗しない人」など、この世には1人もいません。人生で成功を収めた人たちは皆、「失敗から学んだ人たち」です。残念ながら実に多くの人々は『自分の失敗』を素直に認めようとせず、他の人にその責任やしりぬぐいをなすりつけようとします。しかし、このような態度でいると「失敗から学ぶこと」ができません。  統計によると、『自分の失敗』を素直に認めるのが早ければ早いほど、その失敗から大切なレッスンを学べる確率が高いそうです。ですから『自分の失敗』に気付いた時に自問すべき質問は、「ここから何が学べるだろう?」「同じ失敗を繰り返さないためにどうしたら良いだろう?」「この失敗とは別に、何かうまく運んでいる点はないだろうか?」などです。  神は私たちを「他の人と比べて優れた人物となるため」に造られたわけではありません。神は私たち1人1人を「自己最高の人生を歩むため」に造られたのです。そしてその目標に至るために大切なことは、「日々成長すること」です。自分の失敗の責任を他の人に押し付けている間は、決して成長することはできません。  有名な自動車会社『フォード・モーター』の創設者でありクリスチャンでもある『ヘンリー・フォード』は、失敗から学び続けて成功を収めた教訓から次のような言葉を遺しています。「『失敗』とは、単に『もう1度挑戦する』ための機会にすぎない。但し『前回より少しだけ賢く挑戦する』ための。」 『失敗』を恥とすることなく、「成長の機会」として積極的に学んで行きましょう!

2023年9月24日 「キリストの現れ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「キリストの現れ」   (24/09/2023) [へブル人への手紙 9章23~28節] ◆人として現れたキリスト(26節後半)  ・『新しい契約』の担い手として自分自身をささげるため、神の御子が『人』となって地上に現れた。「その時に自分もいたかった」と思うかもしれないが、あなたがその場に居合わせたとしたら、信じただろうか?[ヨハネ1:11] ◆キリストの3種類の現れ  ・キリストは2000年前に「肉体をもって」現れただけでなく、私たち1人1人の人生にも現れてくださった。[24節] この「神の御前に現れてくださる」という表現は興味深い。私たちそれぞれがキリストを「個人的な救い主」として受け入れる時、私たちの『Representative』として神の前に現れてくださるのであろうか?  ・今日特に注目したいのは[27~28節]!すべての人間には「1度死ぬことと死後にさばきに会うこと」が定まっている。イエスも私たちと同様に1度『死』を味わわれた。しかし『死』は「罪を知らない方」をとどめておくことはできず、イエスは3日目によみがえられ、今日も生きておられる。  ・そしてもう1つ、私たちには更に待ち遠しい『キリストの現れ』がある。それはいつの日かご自分を待ち望む者たちのために、キリストが栄光に満ちた姿で現れてくださること。私たちは「この希望」の故に救われているのである! ✰今週のチャレンジ: あなたの『希望』は、どこにありますか? ◎更に深い学びのために  ①キリストの「3種類の現れ方」とは何ですか? あなたにとって最も印象深い『現れ』は、どれですか?  ②キリストは「神の子」でありながら、何故『死』を味わわれたのでしょう? その『死』は何をもたらしましたか?  ③私たちがまだ体験していない「キリストの現れ」とは何ですか? それはいつ・どのように起こりますか? Outline of the sermon    “Appearances of Christ.”    (24/09/2023) [Hebrews 9:23~28] ◆Christ once appeared as “a human”.(Verse 26b)  ・Someone would say, “I wish if I was there when Christ lived as Read more…

(543) “妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。…夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。”

 意外に感じられるかもしれませんが、聖書には「夫婦に関する教え」がかなり多くあります。その中でも有名なものの1つが上記の「夫は妻を愛せ。妻は夫に従え。」というものです。しかもその「愛し、従う」という夫婦の関係が「キリストと教会(人々)の関係」にたとえられているのです。面白いですよね?  聖書で教えられている『愛』というものは、いわゆる男女関係における『恋愛』とは異なり、無条件で一方的に注がれるものです。地上でこの『愛』に近いものは「親が子供のために注ぐ愛」ではないでしょうか?この『愛』は相手が自分に対して期待通りに応えてくれるかどうかに関わらず注がれるもの、まさに「キリストの愛」とはそういった性質のものです。  ところが『従う』ということに関してはどうでしょう?誰かに従うためには、相手に対する『信頼』が必要です。相手を心から信頼していなければ、本当の意味で「従う」ことはできません。それでは私たちはどのようにして「キリストを信頼する」ことができるのでしょう?  『信頼』というものは自然発生的に生まれるものではなく、しばしば相手から「勝ち取る」ものです。そしてキリストは「十字架上における身代わりの死」というものによって私たちにご自身の「命がけの愛」を明らかに示すことによって、私たちからの『信頼』を勝ち取ろうとされました。それでも「信頼し従うか否か」は私たちの選択です。私たちがこの「キリストの命がけの愛」に応えて「キリストに信頼し従うか否か」は、私たちの今日の選択によるのです。

(542) “明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。”

 便利な世界になりましたよね。私が生まれた昭和中期に比べると、もうほとんど「ドラえもんの時代」に生きているような感じです。ただ皮肉なことは、便利になればなるほど、本来は「時間に余裕ができる」はずなのに、逆に「ドンドン忙しくなっている」ということです。  面白いことに、どんなに文明が発達しても、相変わらず人間には『1秒先の未来』さえ分かりません。私たちは「明日に備えること」はできても、「明日を生きること」はできないのです。これはあたかも神様からの「『今』を一生懸命に生きなさい」というメッセージであるかのようです。夢のようなことばかりを考えて生きることも、過去の失敗をいつまでもくよくよ思い悩むことも正しいことではありません。神様が私たちに与えておられる『今』を全力で生き、精一杯楽しむべきです。  これは、「面倒くさいことは全て横に置いて、楽しいことだけやりましょう!」ということではありません。「今目の前に与えられていることに全力で取り組みなさい」という意味です。「このテスト期間が終われば楽しい夏休み!」とか、「あと1時間で就業時間が終わるから、友人と楽しく過ごそう!」などなど、「これさえ終われば…」という態度で日々を過ごすのは、ある意味『時間の浪費』です。テストや仕事そのものにさえも全力を尽くす方が、人生はもっと有意義で楽しいものになるはずです。  子供の頃体調を壊して「1日入院」したことがありました。その病室に『本気』というタイトルの標語のようなものが貼ってあり、そこにはこう書かれていました。   「本気でやれば、大抵のことはできる。本気でやれば、何でも面白い。本気でやれば、誰かが助けてくれる。」  何かに熱中して汗をかいている人を見ると、何だか羨ましい気持ちになりませんか?いくら考えてもはっきりとは分からない「先のこと」にばかり頭を悩ませないで、『今』を精一杯生きて行きましょう!

2023年9月10日 「神の『愛』と『義』」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「神の『愛』と『義』」   (10/09/2023) [へブル人への手紙 9章15~22節] ◆神の性質、「愛と義」  ・神は愛に満ち、恵み豊かな方であると同時に、「決して『罪』とは妥協しない、義なる方」。神はその「義なるご性質」の故に、私たちの罪が『死(血を流すこと)』によって贖われることとした。[22節]  ・古い契約においては、1人1人の罪のために祭司が民から預かったいけにえを屠ることによって「罪の赦し(贖い)を宣言した。しかし今やイエス・キリストによって『新しい契約』が有効になった。[15~17節,マタイ26:27-28] ◆現された『神の愛』(ローマ 5:7-8)  ・神は現代の私たちのように「甘い言葉」によっては愛を表現しないが、「言葉以上にはっきりと分かる形」でご自身の愛を示された。[Ⅰヨハネ4:9-10]  ・ある人たちは、「神に愛されていると実感できないから信じられない」と言う。しかし実感するためには、まず「受け入れる」ことが必要。「そういう気分になったら」ではなく、イエス・キリストを通してこれほどまでにはっきりと現  された『神の愛』を、「神様、あなたの愛を受け取ります」と心を開く時、神の愛は主イエスご自身と共に私たちの心に流れ込んでくる。 ✰今週のチャレンジ: 「現された神の愛」を受け取り、味わっていますか? ◎更に深い学びのために  ①神の「2つの主なご性質」とは何ですか? 何故そのように言えるのですか?  ②『新しい契約』を有効とするために、何故イエス・キリストは死ななければならなかったのでしょう?  ③あなたは今日『神の愛』を味わっていますか? 何故それを味わえる人とそうでない人とがいると思いますか? Outline of the sermon    “God’s love and righteousness.”    (10/09/2023) [Hebrews 9:15~22] ◆God is “Love & Righteous”.  ・God is “righteous” as well as full of “grace and love”.  So he can never Read more…

(541) “あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。”

 『不測の事態』を楽しみにしている人などいないと思います。人は誰でも「安全が保障されている状況」で暮らすことを望んでいることでしょう。  英語の表現で「Under control」という言葉があります。「Everything is under control」というと、「全てのことは自分の管理下に置かれていて安全である」というような意味になります。恐らく誰もが自分の人生を「Under control」の状況に置いておきたいと思っているのではないでしょうか?  実はここに、私たちの人生が『ストレス』に支配されるワナが隠されているのです。というのは、「全てを自分の管理下に置く」ということは、言い換えれば『不測の事態』が起こらないように、いつも「自分が神経を研ぎ澄ませていなければならない」ということになるからです。世の中が便利になるとストレスが減るはずなのに、実は「自分で管理する分野」というものが増えて、かえって神経過敏になってしまうのです。私たち家族が過去で最もストレスを感じずに生活していたのは、バヌアツ共和国の「電気も水道もない離れ小島」で暮らしていた時です。その頃毎日の生活で考えていたのは「今日は何を食べようか」ということだけでした。「それは不便だ!」と感じるかもしれませんが、実際人間が暮らすうえで「どうしても必要なもの」なんて本当にわずかなのです。  聖書は「God is in control」、すなわち「全知全能の神が全てを支配しておられる」と教えています。しかもこの方は「そのひとり子をお与えになるほどに私たちを愛してくださっているお方」なのです。このようなお方に「自分の人生の管理」を委ねて日々を生きることの方が、自分自身で全てを管理しようとするよりもずっと平安な生き方なのではないでしょうか?

2023年9月3日 「御霊と真理による礼拝」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「御霊と真理による礼拝」   (03/09/2023) [へブル人への手紙 9章8~14節] ◆「見える世界」と「見えない世界」(申命記29:29)   ・祭司たちが行っていた「目に見える儀式的礼拝」は、神ご自身を満足させるためというよりは、私たち自身のため。しかし御子イエスは「目に見えない『完全な幕屋』」に入られ、真に神を満足させる「永遠の贖い」を成し遂げられた(11~12節)。それゆえ、この方を通して以外には誰も神の前に出ることはできない。[使徒4:12] そしてまた主イエスが神にささげた『献げもの』は、目には見えない「私たちの内側」にさえ働きかける力がある。◆私たちの『内側』に働きかける神(13~14節)  ・従来の形式的礼拝と、『新しい契約』に基づいた「御霊と真理による礼拝」とでは、次の3つの点で根本的に違う。   ①神主導である: 神は「私たちの気が向いた時だけ」ではなく、いつも私たちを「ご自身を礼拝する者」として招かれる。イエスの十字架のみわざは「救いへの道」であると同時に「真の礼拝への招き」。   ②形式ではない: 自分には「ささげられるもの」も「貢献できること」も何もない、という明け渡しの心。[詩篇51:17]   ③ただ「イエスのゆえに」受け入れられる: 御父に対し完全に従順だった御子イエスの血が私たちに注ぎかけら    れているからこそ、私たちは神に受け入れられ、御前に進み出ることができる。[Ⅰコリント1:28-31] ✰今週のチャレンジ: どこまで「目で見る世界」に捕らわれていますか? ◎更に深い学びのために  ①「地上の幕屋」で行われていた礼拝は究極的に「誰のため」ですか? 何故そのように言えるのですか?  ②御父が私たちに求めておられる礼拝(御霊と真理による礼拝)とは、どのような礼拝だと言えるでしょうか?  ③「御父が求めておられる礼拝」と、「御子が私たちの罪のために死なれたこと」は、どう関係があるのでしょう? Outline of the sermon   “Worship in spirit and truth.”   (03/09/2023) [Hebrews 9:8~14] ◆Visible? Or invisible? (Deuteronomy 29:29)   ・“Visible act of worship” by priests didn’t really satisfy God.  Only sacrifice offered Read more…