(272) “あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。”

ある男性が、経験不足のため「広告代理店」を首になってしまいました。しかし彼はどうしてもこの分野でもっと熟達したかったので、特別な許可を得て、給料なしでそれまで携わっていた仕事を継続させてもらうことになり、それまで以上に熱心にミーティングに参加したり、同僚の話を聞いたり、商談に同席し続けました。 彼の上司は、初めのうちはそんな彼のふるまいを無視し続けていましたが、やがて彼にこう言いました。「給料をもらうことよりも、仕事そのものを目当てに働いてくれる人物に出会うのは、キミが初めてだよ。」 やがてこの男性は「コマーシャル業界」において革命的な発展を遂げさせる様々なアイディアを生み出す人物となったのでした。 「偉大なことを成し遂げること」を夢見る人は大勢いることでしょう。しかし実際にそのための第1歩を踏み出す人は、驚くほど少ないのです。「今にお前たちをアッと言わせてやる」と言う人のほとんどは、昨日も同じ事を言っていたのです。「神がデザインしたようなアナタになるため」には、まず「神がアナタのために用意してくださった道」を歩き始めなければならないのです。当たり前のことですが、スタートしない限り、決してゴールインすることはできません。そしてスタートしたからには「自分の道が明らかに間違っている」と気付かされるまでは、脇目をふらず進み続けるべきです。 たとえ人々があなたを「あきらめた」としても、神様は決してあなたを「あきらめません」。ですから、神が備えておられる『偉業』に向かって、あきらめることなく今日も進んで行きましょう!

2017年8月27日 「信仰のレースを走り切る」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「信仰のレースを走り切る」      (27/08/2017) ◆[ヘブル12:1-2]  *『競走』とは、日々の「信仰の歩み」のこと。順位ではなく『完走』が目標。 ・『罪』 ― 方向をズラして目標を見失わせる。日々の「悔い改め」と「軌道修正」が必要。 ・『重荷』 ― 進みを鈍らせ、疲れさせる。人によって違うので、それぞれでしっかりと見極め、払い落とす。 ・『信仰』には「犠牲」が伴う。それは人間の『努力』によるものではなく、『真の信仰』から生まれてくるもの。 ◆イエスから目を離さない ― イエスが走り切ったように走る。 ・イエスは「自分の前に置かれた喜び」から目を離さなかった。その『喜び』とは?    ①御父と共有する喜び ・天地創造以来、御父が進めて来た計画の完成。 = この地を「罪によるサタンの支配」から取り戻すこと。    ②同じレースを走る人々と共有する喜び ・自分が完成しようとしている『信仰の道』を通って、やがて人々が「罪の赦し」と「サタンによる束縛からの 解放」を受け、大胆に神に近づくことが出来るようになること。   Outline of the sermon        “Run well your race of faith.”      (27/08/2017) ◆[Hebrews12:1~2]  *This “Race” is not to compete but “to finish well together”. ・“The sin” ― Something to shift our focus.  We have Read more…

(271) “私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。”

今回の聖書のことばは、キリストの使徒であるパウロが残したことばです。彼は文字通り「命懸け」で国々を巡回し、イエス・キリストにある救いを宣べ伝えた人物で、新約聖書の半分近くを書いた人でもあります。このように断言できる『人生の目標』を持って生きることができたら素晴らしいとは思いませんか?実際パウロはその生涯が終わりに近づいた時、次のような言葉も遺しています。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」 アメリカの有名なキリスト教の牧師の著作で、3200万部も売れた『人生の5つの目的』という本があります。その中で著者のリック・ウォレン牧師は「すべての人間は次の5つの目的のために神によって造られた」と書いています。その5つとは… ①「神の喜びのため」に造られた ・この世は私たちを、私たちの持っているもの(能力・財産など)によって評価します。しかしそれらはすべて私たちが生まれた後で「与えられたもの」にすぎません。神は私たちがまだ何も持っていなかった「生まれる前」から、私たちの両親同様に、私たちの誕生を待ち焦がれていたのです。 ②「神の家族となるため」に造られた ・聖書の神は「関係を好まれる神」です。聖書は「神はイエス・キリストを通してご自身に近づく者を『神の子ども』とされる」と書いてあります。また聖書の中で最も大切な戒めは「私たちが神を愛し、また互いに愛し合うこと」です。私たちは『神の家族』として互いに深く愛し愛されるために生まれてきたのです。 ③「キリストのようになるため」に造られた ・私たちは皆成長します。肉体的にだけでなく、心もです。では、どこに向かって成長するのでしょう?それは『キリストの似姿』です。キリストのように強く、キリストのように優しく、キリストのように気高く、キリストのように清く生きる者とされるために、私たちは生まれ、神と共に生き、そして成長するのです。 ④「神に仕えるため」に造られた ・これは何も「奴隷や使用人のように」という意味ではありません。聖書には「神によって造られた民に対してしたことは、神に対してしたのである」と書いてあります。人間は決して1人で生きるように造られてはいません。誰もが他の人々の助けを必要としています。神は私たちを「1人で何かを成し遂げるように」ではなく、「互いに助け合って神のみこころを成し遂げるように」と造られたのです。 ⑤「特別な使命のため」に造られた ・私たちは1人1人違います。神がそうデザインなさったのです。それは皆が他の人と同じように生きるためではなく、それぞれがユニークな使命を担うためです。神はあなたにも『特別な使命』を用意されています。人生とは、その使命を見出し、その使命のために整えられ、そしてそれを成し遂げるために1人1人に与えられているのです。あなたの人生を浪費しないためにも、まず「神を知ること」から始めてください。 「人生の5つの目的」について、より詳しく知りたい方は、実際にこの本を読むことをお勧めします。

2017年8月20日 「信仰の一致」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「信仰の一致」         (20/08/2017) ◆[ヘブル11:6] *『信仰』なしに「神と喜びを共有すること」はできない。 ・神とは? ― 創造主である唯一の神。全知全能。愛と聖さに満ちた良い父。すべての源。 [ローマ11:36] ・しかし、単に「私は神の存在を信じます」だけでは、『信仰の一致』は保てない![ヤコブ2:19] ・信仰とは、『方向性』。 ⇒ 神は不動のお方。この方に照準をピタリと合わせて生きる。 ◆信仰と行い [Ⅰペテロ2:19-21] ・『信仰』とは、「この世における報い(ご利益)を求めて神に近づくこと」ではない!むしろ報いの有無に拘らず 「この方が自分の神であることを喜び・誇りとして」日々を生きること。[ヘブル11:13] ・「信仰には行いが伴うべき」と言われるが、『行い』にこだわりすぎる必要はない。『真の信仰(神の主権に照準を 合わせて生きること)』を固く保っていれば、その信仰は必然的に外に現れ出る。 ・信仰は「世の力(影響力)に勝利する。[Ⅰヨハネ5:4] ✰互いに励まし合い、天地を造られた全知全能の良い父に真っ直ぐ向いて、最後まで「信仰の歩み」を全うしよう!   Outline of the sermon         “Unity in the Faith.”       (20/08/2017) ◆[Hebrews11:6] *We can never “share heavenly joy with God” without “Faith”. ・Who is God like? ― The only Creator.  Good Father with full of Read more…

(270) “草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。”

1445年にグーテンベルクによって「活版印刷術」が発明されて以来、『聖書』は今に至るまで毎年世界のベストセラーです。一体『聖書』の何がそうさせるのでしょうか?ある匿名の著者が残した次のような文章があります。 「聖書には『神の心・人間の性質・救いへの道・罪人の宿命・信じる者への祝福』が書かれている。聖書はあなたを導く光であり、あなたを育む食物であり、あなたの心を元気づける。聖書は人生の旅路のためのロードマップであり、人生航路の羅針盤であり、人生上の戦いのための武器であり、人生の舞台を最高に演じるための脚本である。聖書は驚くべき富を得させる鉱脈であり、ごまかしのない喜びの源である。その教えは聖く、その訓戒は不動であり、その履歴には誤りがなく、その宣告は不変である。その至高の主人公はキリストであり、その内容は私たち1人1人のためにデザインされており、それらの最終目標は神の栄光である。これを読むことによって知恵を与えられ、信じることによって安息を与えられ、実践することによって全人格的に健康になる。この聖書をゆっくりと、ひんぱんに、祈りを込めて読みなさい。そのことばをあなたの思いに書き付け、心を治めさせ、それに導かれて歩みなさい。これはあなたの生涯の中に与えられており、やがてその生涯の終わりのさばきの時に神の前で開かれ、そして死の向こう側の永遠の世界においても認められる。そこには人類にとっての最大の使命が述べられており、人生における私たちのすべての労苦に対する大いなる報いが約束されており、またそれらの神聖な内容を『取るに足らぬもの』とみなす者たちへの確かなさばきが宣告されている。」 聖書は単に「重視されるべきもの」ではなく、日々の生活の中で「読まれ」「実行に移され」て行くべきものなのです。だてに600年も「世界のベストセラー」を記録しているわけではありません。さあ、あなたも今日からこの『聖書』を読み、行動に移し始めてみてください!

2017年8月13日 「神との『喜び』の共有」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神との『喜び』の共有」       (13/08/2017) ◆神との『喜び』の共有 ・この世における最良の体験 = 神と喜びを共有すること [マタイ25:21] ・神が与える『喜び』は、必ずしも「何かを成し遂げること」によって得られるわけではない。[ルカ10:20-21] イエスはこの『聖霊による喜び』をもって人生を生きられた。それは私たちも共有できる![ヨハネ15:11] ◆御霊の一致 ・神が『教会(キリストのからだ)』を通して私たちを導き、ご自身の栄光を現されるのは、私たちが「神の御霊に よって1つとされていく」中で起こって行く。[エペソ4:1-4] ・またパウロは同じエペソ4章の後半で、「御霊の一致によってキリストのからだとされて行くこと」を別のことばに 言い換えている。[エペソ4:13]  ―  ①「信仰の一致」  ②「神の御子に関する知識の一致」 ✰「信仰の一致」と「神の御子に関する知識の一致」を求め、「神との喜びの共有」を更に体験して行こう!   Outline of the sermon         “Sharing joy with God.”       (13/08/2017) ◆Sharing joy with God. ・One of the best experience in this world.  =  Sharing joy with God. [Matthew 25:21] ・This joy does Read more…

(269) “初めに、神が天と地を創造した。”

どういった理由かは分かりませんが、「聖書は非科学的な書物である」と思い込んでいる人がいるようです。聖書を専門的に学んでいる者として、そのように言う人は「聖書のことをよく知らないで言っている」と判断せざるを得ません。事実、科学的な発見が進むにつれて「何千年も前から聖書に書かれていた記述は事実であった」ということが次々と証明されているのです。 大昔には、地球は巨大な動物または巨人に担がれていると信じられていました。自分たちの住む地上が空中にプカプカ浮かんでいるなどとは誰も信じられなかったのです。しかし聖書の中でも最も古く、BC1500年頃に書かれた『ヨブ記』という書物の中には「神はこの地を何もない上に掛けられた」と書かれています。この事実が科学的に発見されたのは実にそれから3000年以上も経ったAD1650年のことです。天地を造られた神は、当然の事ながら誰よりも先にそのことを知っていたのです。 また新約聖書の「ヘブル人への手紙」には、「神は目に見えないものを用いて、目に見えるこの世界を造られた」と述べられています。この世界の目にみえるすべてのものが、目に見えない微粒子である『原子』というものによって構成されていることが科学的に知られるようになったのはつい最近のことです。 そして「地球は平面ではなく球体である」ということを自らの大航海によって証明した、皆さんもよくご存知の『コロンブス』は敬虔なクリスチャンで、彼は旧約聖書のイザヤ書にある「神はこの丸い地上の遥か上空に住まわれる」という記述からヒントを得ました。この聖書の記述はBC700年頃に書かれたもので、歴史上始めて「地球は球体かもしれない」と提唱したアリストテレスよりも300年以上前のものです。コロンブスはその航海日誌の中で次のように書いています。「この思いを私の心に抱かせたのは、他ならぬ『天地の造り主である神』である。確かに彼の御手が私の上にあるのを感じる。神は聖霊によってご自身の聖なるみことばを通し、私にこの確信を与えてくださったのだから。」 もし今度どこかで「聖書は非科学的だ」などと言う人に出くわしたなら、ぜひ優しく教えてください。「でもね、多くの偉大な科学的発見は、実は聖書をヒントにして見い出されたらしいよ」と。

2017年8月6日 「教会(キリストのからだ)」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「教会(キリストのからだ)」       (06/08/2017) *神は「聖書」「祈り」「身の回りの出来事」そして「教会」を通して導く。今日は「そもそも『教会』とは何か」。 ◆教会は「キリストのからだ」 ・教会 = 人(私たち)  ・教会は「キリストのからだ」 ⇒ 私たちは「キリストのからだ」 [Ⅰコリント12:27] ・キリストは、ご自身のからだである『教会(私たち)』をこの上なく愛しておられる。(夫婦関係のモデルになるほど) ・私たち1人1人は、キリストにとっての「最大の関心事」! ◆神の家族 [マタイ25:31-40] ・「わたしの兄弟たち」(40節)とは、信仰者たちのこと。私たちはキリストによって『神の家族』に招き入れられた。 ということは、「最も小さい者にしたのは、わたしにしたのです」とは、何も慈善団体に寄付したり、ボランティア 活動に精を出さなくても、今ここに一緒に座っているお互いに対して仕えることが「主イエスにすること」。 ◆まず「関心を持つ」ことから ・『愛』の反対語は「憎しみ」ではなく『無関心』。 ・総会の時に配布した「祈りのカレンダー」の中には、あなたにとって「知らない名前」もあったことだろう。まず 「知ろうとする」「関心を持つ」ことから始めよう。そして、彼らのために祈るために、もっと知ろうとしよう! ・すべての人は『助け』を「求めること」と「与えること」の両方ができる。(JCFウェブサイト『助け合い告知板』参照) ・神はイエスの名によって、教会にご自身の聖霊を注がれた。それは決して「個人の益のため」ではなく、 「みな(教会)の益のため」と聖書に書いてある。[Ⅰコリント12:7] ✰キリストがあなたに関心を払っておられるように、あなたもまず「関心を持つ」ことから始めよう!   Outline of the sermon     “The church (the body of Christ).”   (06/08/2017) *God guides us through “Bible”, “Prayer”, “Circumstance” and “Church”.  But what is “Church” Read more…

(268) “あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。”

「神を信じたら、人生は問題がなくなる」と期待して、信仰の道に入る人がいます。しかし実際には問題はなくなりません。むしろ信仰の故に試練が増すかもしれません。それでは『神を信じること』を通して何が変わるのでしょうか?それは、私たちの視点が「私たちの周囲の状況を変えてくださる神」から「周囲の状況を通して私たち自身を造り変えてくださる神」へと移行させられるのです。 もちろん神様は私たちを愛しておられるので、しばしば私たちを不必要な危険から守ってくださいます。しかし神様が求めておられるのは、私たちが単に「安全で苦労のない人生を歩むこと」ではなく、「日々神に信頼し、そのみこころを求め、神から与えられている潜在能力を最大限に生かして生きるようになること」なのです。そのために神は、敢えて私たちが人生の試練に遭遇することを良しとされ、時間をかけてじっくりと私たちをご自身の『最高傑作』へと造り上げていかれるのです。 錬金術師は、鉱石が純金となるためにどれだけの時間火の中に置かれていなければならないかを知っていますし、陶器師も土の塊がどれだけ窯の中にいなければ美しい作品へと仕上がらないかを知っています。もし「熱くて可愛そうだ!」と言って中途半端なタイミングで取り出してしまったら、すべてが台無しになってしまいます。 神様はどんな錬金術師や陶器師よりも優れた知恵と深い愛をもって私たちを「ご自身の最高傑作」へと今日も造り変えてくださっています。神様が与えておられる『試練の火の温度』や『取り出すタイミング』は絶妙で完璧です。ですからぜひ、試練の中にあって「早く過ぎ去ること」ばかりを考えないで、「このことを通して神様が私に与えてくださっているレッスンは何だろう?」と思いを馳せてみると良いと思います。