20221030 「真理vsクリスチャンの思い込み―イエスの名によって」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「真理vsクリスチャンの思い込み ー イエスの名によって」 (30/10/2022) ◆「イエスの名によって」 = 「イエスの権威の下で」   ・「イエスの名によって」は、単に祈りの結びの言葉ではない。新約聖書には、イエスの名によって「教える・罪の赦しを受ける・迫害される」また「すべてのことをする」などの表現が出て来る。すなわち「イエスの名」は『祈り』だけでなく、日常生活全般に関わってくる。では「イエスの名によって」とは、どんな意味があるのだろうか?   ・[マタイ28:18] 私たちの生活の中で『イエスの主権』を認める必要のない領域はない。そして「イエスの権威の下で生きる者」だけが、地上で「イエスの名によって」主イエスの権威を行使することができる。 ◆「イエスの名によって」実を結ぶ   ・[ピリピ2:9-11] イエスの名に権威を与えたのは、御父。「イエスの名によって生きる者」は、父なる神に栄光を帰する。「イエスの名によって生きる」とは、「人生のすべての領域に喜んでイエスを迎える」ということ。   ・[ヨハネ15:16] 私たちは『残る実』を結ぶために「選ばれた」。神は私たち1人1人にユニークな『良い(実を結ぶ)計画』を与えておられ、そのために必要なものを「イエスの名によって」与えると約束しておられる。つまりそれらの『良い計画』は、決して私たちが「自分の力だけで」成し遂げることができるようにはされていない。神のみこころは、私たちが自分の人生のフォーカスを「プロジェクト」に置くのではなく、『イエス・キリスト』に向けること。 ✰今日のみことば: コロサイ人への手紙 3章17節 ◎更に深い学びのために  ①「イエスの名によって」を他の言葉で表現するなら、どのような言葉になりますか?  ②「イエスの名によって生きる」とは、具体的にどのような態度で生きることでしょう?  ③私たちはどのようにして「イエスの名によって実を結ぶ人生」を生きることができるでしょう? Outline of the sermon    “Truth vs fixed idea ― Christian likeness”  (30/10/2022) ◆“In Jesus name” = “Under Jesus’s authority”.   ・“In Jesus name” we do not only “prayers” but Read more…

(504) “それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。”

 聖書は『愛する』ということを重んじますが、現代人にとって「愛する」という言葉を聞くと、どうしても「男女間の愛」というものを想起させてしまいますよね?聖書が語る『愛』というものは、むしろ「周囲の人々に対して深い関心を抱く」というようなものです。すなわち「自分のことばかりに終始してしまうのではなく、他の人にとっての『最善』というものにも関心を払え」といった感じでしょうか?聖書には「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」という言葉もあります。神が私たちに『共感』してくださっているように互いに『共感する』ことは、神に造られ愛されている者としてふさわしい歩みなのです。  「周囲の人々に関心を払いながら歩む」という生き方には、次のようなものがあると思います。  ①『話す』よりも『聞く』 ― 誰でも自分の話に耳を傾けてくれる人を求めています。聞いてもらえるだけで「自分は大切にされている」と感じるのです。職業柄いろいろな方をカウンセリングする機会がありますが、半数近くの方は、こちらが親身になって話を聞いてあげるだけで、スッキリした表情で帰って行きます。  ②相手の肯定できる部分を肯定し、励ます ― 日本の教育はどちらかというと「誤りを正す」ということが重んじられるようです。「甘やかすのは良くない」という考えから出ているのかもしれませんが、「ほめる・励ます」ということは「甘やかす」こととは違います。幼い子供がブランコに乗る時に、よく親が後ろから押してあげることがありますよね?ところが子供たちはいつの間にか「自分でブランコを漕ぐこと」を覚えます。人は「誰かからちょっと背中を押してもらうこと」を必要としているのです。  私は毎朝犬の散歩に出かけますが、すれ違う人と微笑みを交わす時、何とも言えないポジティブな気持ちになれます。これが日本に一時帰国した際、東京などの大都市を歩いていると「無表情で自分の前だけを見つめて歩いている群衆」とすれ違い、何とも虚ろな気持ちになります。『微笑み』1つで周囲の人の心を豊かにすることができるのです。お金も時間もかかりません。周囲に対するほんの少しの心遣いです。あなたも試してみませんか?

20221023 「真理vsクリスチャンの思い込み ― クリスチャンらしさ」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ  「真理vsクリスチャンの思い込み ー クリスチャンらしさ」 (23/10/2022) ◆「クリスチャンらしさ」の思い込み   ・「教会へ通っている」「聖書を毎日読んでいる」「品行方正」などは『クリスチャンらしさ』ではない。クリスチャンでなくても立派な人はたくさんいる。このような勘違いは時には害になることがある。[ローマ2:15b]   ・「クリスチャンになると個性を失うのでは?」と考える人もいる。しかし「皆がキリストに似た者と変えられて行く」というのはなにも「皆が同じようになる」という意味ではなく、1人1人が「キリストのからだの器官」として個性的かつキリストにある調和の中で生きるようになること。[ローマ12:4~5] ◆真の「クリスチャンらしさ」とは?   ・『クリスチャン(Christ + ian)』は、「Magician」「Musician」などと同様に、「そのことに従事している」、すなわち「キリストがその人の世界の中心になっている」ということ。もし『クリスチャンらしさ』というものがあるとすれば、それは「教会へ行く」などの行動パターンではなく、むしろ『心の姿勢』。以下の3つくらいのことが考えられる。    ①心と思いとが『キリスト』に向いており、「キリストが自分の人生の王である」と認めている。    ②神が自分のことを、ご自身の栄光のためにスペシャルに造ってくださったことを信じている。    ③神が地上においてご自身のみわざを成就するために、喜んで自分自身を神に差し出す準備がある。 ✰今日のみことば: エペソ人への手紙 2章10節 ◎更に深い学びのために  ①「クリスチャンらしさ」に関してどんな誤解がありますか? あなたはそのような誤解についてどう思いますか?  ②クリスチャンの行動パターンが『マニュアル化』されてしまう可能性について、どう考えますか?  ③真の意味での「クリスチャンらしさ」とは、どのようなものが考えられるか、グループで話し合ってみましょう。 Outline of the sermon    “Truth vs fixed idea ― Christian likeness”  (23/10/2022) ◆Wrong impression about “Christians”.   ・There are all sorts of impressions about “Christians” such as “regular attenders Read more…

(503) “指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。”

 最近ご主人を亡くされたあるご婦人の手記を見つけたので、今日はそれをそのまま引用させていただきます。 「長生きしている者の1つの特権は、これまでに自分が学んだ事を他の人に分かち合うことだと思うので、今ここでそれをさせていただきます。3つのことを書きますが、これらがそれを読む方の人生を少しでもより良きものとする助けとなりますように。  1.『時』というものは大変貴重です。それを無駄にしないように気を付けましょう。夫を天国に見送ってから、私は友人家族のお宅に居候させていただいています。ある晩彼らは口論を始め、しまいにお互いに口を利かなくなってしまいました。ええ、つい口喧嘩してしまうのは分かります。主人と私にも時々ありました。でもその度に「あぁ、こうして誰かと一緒にいられるって、何てかけがえのないことなんだろう」って思わされたものです。だからぜひ、やがてこの世での別れが来る大切な相手と一緒にいられる時間を無駄に過ごさないようにしてください。何をするにも心を通わせ、互いに愛を表現し合いながら行いましょう。どんなに長く一緒に過ごしている相手でも、やがてそれが過ぎ去った時、必ず「もっと一緒にいたかった」と感じるものなのですから。  2.今が思い出作りの時なのです。『良い思い出』をたくさん作りましょう。夫との人生を振り返る時、多くの「忘れ難い思い出」に溢れていることを、神様に心から感謝せずにはいられません。夫が天に召された日、そうとは知らず私は見舞いを終えて自宅に帰る前に、(いつも別れる前にそうしていたように)私は夫にキスをしました。そしてその日の晩に彼は天国へと旅立ったのです。「あの日も忘れずキスして良かった!」と、何度も思い返します。ぜひ『今』を大切にしましょう。あとで「後悔の念」にさいなまれないために。  3.『出来事』が重要なのではなく、それらに「どう反応したか」が大切なのです。誰の人生にも多くの困難や試練が襲って来ます。そしてもしあなたが神に信頼しているなら、あなたは必ずそれらのチャレンジの中に『成長の機会』を見出すことができるでしょう。今私たち夫婦の人生の道のりを振り返ってみると、自分たちが望んでいなかった出来事にも遭遇しなければならなかったことを認めざるを得ません。きっとそれらは誰にとっても避けられないことなのです。だからこそそれらの「困難な出来事や状況」のさなかで、後々振り返った時に「神様はあんなこともこんなことも、私を成長させる機会として用いてくださっていた」と神様に感謝できるような心の態度で1つ1つに対処してみてくださいね。」

(502) “平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。主よ、ただあなただけが、安らかに私を住まわせてくださいます。”

 アナタの1日の平均睡眠時間はどれくらいですか?私たち夫婦は毎晩できるだけ8時間は寝るようにしています。これは20年前に家族で暮らしていた離島での生活でできた習慣で、何しろ電気がありませんでしたから、日が沈むと暗くて自然と眠くなってしまうのです。もっとも朝は早朝からニワトリのけたたましい鳴き声で起こされましたが、ともかく『早寝早起き』のとても健康的な日々でした。その頃にできた生活リズムが今でも保たれています。  思うに日本人は一般的に『睡眠不足気味』ではないでしょうか?「本当はもっとゆっくり寝ていたいのに、その暇がない」という方が多いのでしょうが、時には「8時間も寝ていたら、怠け者だと思われてしまう」という負い目から睡眠時間を削っている方もいらっしゃるかもしれません。  『眠る』という行為は「生産的でない」と思われがちかもしれませんが、それは大きな誤りです。体内における新陳代謝やその他の「体力や健康回復のための営み」は我々が眠っている間に行われるのであって、睡眠を十分に取らないでいると、肉体的にも精神的にも不健康な状態に陥って行くのです。  ある方々は「ゆっくり眠りたいのだけど、様々な心配事が浮かんできて、ぐっすり眠れない」とおっしゃるかもしれません。良い考えがあります。それらの心配事を『全能の神様』にお任せするのです。「どうやったら良いか分からない」という方に、良い方法をお教えします。心配事が思い浮かぶたびに、それを紙に書いてフタ付きの箱に入れるのです。入れ終わったらフタを閉じて、部屋のできるだけ高い棚の上かどこかに置いて、「神様、私の心配事はあなたにお任せしましたから、もう私は心配しません。あとのことはよろしくお願いします!」と言って床に就くのです。きっと効果ありますよ!

2022年10月9日 「人こそ神の手段である」

メッセージを聴く (今回はYouTube画像はありません) 説教あらすじ     「人こそ神の手段である」    (09/10/2022) [マルコ 16:9~20] ◆福音(15~16節)   ・『福音(良い知らせ)』だからこそ、全ての人に知らせるべき。この『福音』は「特定の人たちにだけあてはまる」という性質のものではない!   ・『救い』には、この『福音』に対して「信じる」という「個人の自由意志による応答」が要求される。神は1人1人の人生をあくまで「その人自身の決断」に委ねておられる。「信じる」とは単に「そう思う」というだけではなく、「全面的に心から同意する」ということ。そういう人は、自然な成り行きとして『バプテスマ』へと導かれる。 ◆みことばに伴うしるし(17~20節)   ・これら5つの『しるし』にこだわる必要なない。むしろ注目すべきは[20節]。「主は彼らとともに働く」、また「(しるしをもって)ご自身の『みことば』を確かなものとされる」。これは主イエスのご性質(約束を守る誠実さ)と力を現している。   ・主は「ご自身が主であり、地上において力と権威とを行使される方であること」を、私たちを通して示したいと望んでおられる。また『みことば』は主ご自身の『心』そのものであり、その『主イエスの心』に自分の心を寄り添わせ、その心が地上で表されるために喜んで自分自身をささげる『人』を、神は今日も捜し求めておられる。 ✰今日のみことば: 歴代誌 第2.16章9節 前半 ◎更に深い学びのために  ①[16節]のみことばを深く味わいましょう。私たちの信仰にとって『バプテスマ』はどんな意義があるでしょう?  ②福音宣教における『しるし』の意義は? 今日私たちの周囲であまり『しるし』が見られないのは何故でしょう?  ③神は「どのような人」を求めておられますか? あなたがそのような人になるために足りないものは何ですか? Outline of the sermon    “We are God’s instruments!”  (09/10/2022) [Mark 16:9~20] ◆The Gospel.(Verses 15~16)   ・“Gospel” is “Good News”!  We should make this known to everyone.  No exceptions!   ・“Salvation” Read more…

(501) “人がひとりでいるのは良くない。”

 ある出版社が「幸福感について」の調査をしたところ、面白い結果が得られたそうです。「安定した幸福感を得ている人」の特徴は、お金がたくさんあることでも、肉体的な健康でも、学歴や地位が高いことでもなく、「豊かで深く有意義な人間関係を持っている人」であるということでした。  アルコールや薬物依存からの回復プログラムでは、カウンセラーが指導する部分は全体の10%程度だそうです。残りの90%のプロセスは、グループの中での励まし合いや助け合いによるそうです。彼らはそのグループの中で、互いに『人生』を共有し合っているのです。  蝶は蜂よりもはるかに広い世界を飛び回って蜜を吸います。しかし蜂の方が蝶よりもはるかにたくさんの蜜を集めます。何故でしょう?それは蜂たちは1つの花に長い間とどまって、そこで一緒に「生きるために必要な栄養素」を分かち合っているからです。  私たちは決して『ひとりぼっち』で「自己最高レベル」に到達することはできません。「人は人によって形造られる」からです。私たちと親しい関係にある人たちは、私たちが自分では気付くことのできない『私』を見ることができます。そして真の友ならば私たちが「最高以下」に甘んじている時、更なる成長を目指すよう励ましてくれます。  「ひとりじゃない」というのは、「多くの人の携帯電話番号やラインアドレスを持っている」ということとは異なります。言わば「人生を共有する友を持っている」ということです。それは配偶者かもしれないし、会社の同僚かもしれないし、学校の同級生や幼馴染みかもしれません。また聖書を見ると、『教会』という場所は、まさにそのような関係を築く相手を見つける絶好の場所であるようです。そのような人が1人でもいるなら、あなたは『幸福な人』に違いありません。

2022年10月2日 「天使からのメッセージ」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「天使からのメッセージ」    (02/10/2022) [マルコ 16:1~8] ◆天使との遭遇   ・この場面で、女たちの不可思議な行動が2つある。①イエスの体には埋葬時に既に香油が塗られていたにもかかわらず、埋葬されて3日目に再度香油を塗ろうとしている。②自分たちでは墓の入り口を塞いでいる大きな石を転がせる自信がないのにもかかわらず、無計画に墓に向かって行った。   ・①②どちらも不可解ではあるが、女たちの「もうひと目イエスに会いたい」という強い思い入れを感じさせる。 ◆天使のことば(6~7節)   ・「あの方はよみがえられました」は、原文では『受身形』。だから直訳すれば「あの方はよみがえらされました」。すなわち、正確にはイエスは「自分の力でよみがえった」のではなく、「神の御力によってよみがえらされた」のである[使徒2:24]。神は決してイエスを「見捨てて」はおられなかった!   ・また御使いは「弟子たちとペテロに」と告げている。主は3度もご自身を否んだペテロを憐れんでおられた。   ・主イエスの『十字架』は、私たちがもはや「過ぎ去ったことに捕らわれる必要がないこと」の保証であり、『復活』は、たとえ今どんな試練に直面していようと「その向こうには必ず輝かしい勝利がある!」という確かな希望。 ✰今日のみことば: ピリピ人への手紙 3章12節 ◎更に深い学びのために  ①あなたなら、この女性たちの不可解な行動をどのように理解しますか?  ②イエスが「自分でよみがえられた」のと、「御父によってよみがえらされた」のでは、何がどう違うのでしょう?  ③イエスの『十字架』と『復活』とは、私たちの信仰生活において、それぞれどんな意義がありますか? Outline of the sermon    “Message from an angel.”  (02/10/2022) [Mark 16:1~8] ◆An encounter with an angel.   ・It was dawn and dim at the grave where these woman saw an angel.  What Read more…