2020年8月30日 「神に受け入れられた者として」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神に受け入れられた者として」(30/08/2020) ◆神との平和 ― 天国人である私たちには、『義なる神』との平和が与えられている![ローマ5:1]   ・私たちは完全に「神の愛の対象」。私たちの罪に対する神の怒りは全て「十字架のキリスト」にぶつけられた。― キリストの十字架は、「神の愛の象徴」であると同時に、「神の義の象徴」でもある。   ・私たちが神に完全に受け入れられているのは「私たちが良い子だから」ではなく、キリストを信じたことによって「キリストの内にいる」から。キリストは今日も聖徒たちのためにとりなしてくださっている。[ローマ8:34, 38-39] ◆神の国の祝福を地にもたらす ― 「互いに受け入れる」ということを通して。[ローマ15:7]   ・世には様々なタイプの人がいる。それは教会の中でも同様。私たちは「自分と違うタイプの人」をさばいたり見下したりしてしまいがちだが、天国人はそのような人々をも受け入れることができるようになる。それは「努力して自分の度量を広げることによって」ではなく、「自分がキリストの故にどれほどに神に受け入れられ、愛されているのかを十分に体験することによって」。[ローマ14:1-3]   ・このような「互いに受け入れ合う」というキリストの愛の性質がJCFの中で実現され、JCFが『神の国の祝福』で満たされて行くなら、それは必ずJCFの外へも自然に流れ出て行くようになる。 ✰今日のキーワード: カッコつけなくていい ◎学びを深めるための質問  ①『キリストの十字架』が単に「神の愛の象徴」ではなく「神の義の象徴」でもあるということを再度確認しましょう。  ②「神との平和」はどうやって与えられましたか? あなたはそれを日々どれほどに実感し、感謝しているでしょう?  ③「違ったタイプの人」を受け入れる根拠は何ですか? あなたはそれをどうやって実践していこうと思いますか? Outline of the sermon      “As God accepted us.”    (30/08/2020) ◆Peace with God. ― We have “Peace with God of righteousness” in Christ![Romans 5:1]   ・God is no longer angry at Read more…

(404) “主が良くしてくださったことを何1つ忘れるな。”

 「私たち人間に対する『神のみこころ』って何だろう?」と考えたことはあるでしょうか?私はクリスチャンになりたての20代の頃、よくこのことを考えていました。そして『神のみこころ』とは、「どんな職業に就くべきか?誰と結婚するべきか?」などの『特別な決断』に関わることだと思っていました。しかし聖書を読んでいくうちに分かってきたことは、はっきりとした『神のみこころ』のうちの1つは「神に感謝すること」だということです。  子供が誰かからプレゼントをもらった時などに、そこに居合わせた親がその子に「ホラ、こういう時は何て言うんだっけ?」などと『お礼』を言うことを強制する場面を見たことはないでしょうか?どこの親も自分の子供に『感謝の心』を忘れない人間に育ってもらいたいと思っているようです。私たちの『天の父』も同様に、私たちが「感謝する人」になることを望んでいます。神様は決して私たちから遠く離れたところにおられる方ではありません。神はいつも私たちのすぐ側におられて、私たちの人生をご自身の良きもので満たしてくださっています。毎日太陽を昇らせ、酸素を与え、美しい自然で取り囲み、食物を与え、新しい出会いやきっかけを与え、1日の終わりに眠りを備えてくださいます。1人1人の日常に起こる細かいことを描写していたら、とてもこの紙面では書き切れません。  聖書は「すべてのことに感謝しなさい。それが神があなたに望んでおられることです。」と勧めています。私たちが『当たり前のこと』と言って見過ごしてしまっている物事の中に、実は「神のみわざ」が満ちているのです。「神様なんて存在しない!」と思っているアナタ、ぜひ今日1日よぉく目を開いて「感謝できること」を探してみてください。もしかしたら、いないと思っていた神様を見出すきっかけに遭遇するかもしれませんよ?

2020年8月23日 「天国人が目指すもの」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「天国人が目指すもの」    (23/08/2020) ◆天国人の役割 ― 「天の御国」と「この世」とをつなぐ『架け橋』として生きる。  *『架け橋』の2面性 ⇒ ①神の国の祝福をこの世にもたらす ②この世において神がたたえられるようにする。   ・『神の国の祝福』とは? = 永続的なもの。(神との生きた関係,状況に左右されない喜び・平安など) これらのものをこの世にもたらすために不可欠な資質。= 「この世のもの」に執着しない。[Ⅰヨハネ2:15-17] ◆天国人の存在意義 [マタイ5:13-16]   ・『塩』は「味付け」や「防腐剤」のために有用だが、どちらの場合も「よく混ざらなければ」ならないし、また「その異質さを保たなければ」ならない。― 「純粋による埋没」。   ・私たちが『天国人』であることの証は、「自分はクリスチャンだ」と宣言することによって表現されるのではなく、「世にありながら、世とは異質である(聖い)こと」によってこそ現される。   ・「人々が私たちの良い行いを見て、天の父をあがめる」ようになるのは、その『良い行い』の動機が『天の父』に向けられたものだから。そのためには「人との関係」以上に「神との関係」がより親密である必要がある。 ◎注目されるべき存在は、アナタではなく、天の父なのです! ✰今日のキーワード: 「異質さを保つ」 ◎学びを深めるための質問  ①私たちが地上で『天国人』として生きる時に、「この世」と「天の御国」それぞれにどのような益をもたらしますか?  ②あなたにとって「地の塩として生きる」ということは、具体的にどのように生きることだと理解していますか?  ③どうすれば「私たちの良い行い」を通して、『私たち』ではなく『天の父』があがめられるようになるのでしょう? Outline of the sermon      “What are we aiming for?”    (23/08/2020) ◆Role of “citizens of heaven”. ― To intermediate between “kingdom of heaven” and “this world”.  *2 Read more…

(403) “自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。”

 20世紀初頭に大変活躍した「マリアン・アンダーソン」というアメリカ人女性歌手がいました。彼女は世界中を股にかけて活躍し、ルーズヴェルト大統領の時代にホワイトハウスに招かれて歌ったり、イギリスのエリザベス女王の前で歌ったりもしました。そんな彼女が、ある時の記者会見で「あなたの歌手人生の中で、もっとも光栄に感じた瞬間をお聞かせください」と問われ、記者たちが固唾をのんでコメントを待っていると、彼女は顔を輝かせながらこう答えたそうです。「歌手として最も光栄に感じた瞬間、ええ、それは今でもはっきりと覚えています。それは私がオーディションに合格して、歌手としてスタートできると分かった時に、自宅まで走って行って、『お母さん、もう明日から他の人たちの洗濯物をしなくてもいいのよ!』と伝えた時です。」  私たち人間は皆、基本的に『自己中心的』です。まず自分自身の状況が整ってから、ようやく他の人の事を考え始めるものです。しかし実際は「他の人のために役立っている」と感じられる時の方が、自分の事ばかり考えている時よりもずっと喜びと充実感を得られるのです。そして「生まれながらの性質」を改めるためには、それなりの『訓練』が必要です。元来の臆病な性質を変えたければ、訓練によって勇敢さを身に付けなければなりません。生まれつき否定的に物を考えてしまう人は、肯定的な考え方ができるよう意識の変革が必要です。同様に「自己中心」な私たちは、他の人の事を思いやることを意識的に学ばなければ、いつまでたっても自己中心なままになってしまいます。  キリストは「神のご性質」を持った存在であったにもかかわらず、人の姿になって現れ、それだけではなく、私たちの間で『仕える者』のように振舞われました。それは本来私たちも「他の人の最善のために仕えること」を喜びとするように造られていることを思い起こさせるためだったのです。神が私たちに『自己最高の人生』を送ることができるように助けることを喜びとされているように、私たちも「他の人が必要としている助けを与えること」を通して、より大きな喜びや満足を経験することができるのです。  ぜひ今日から「自己中心な自分」を「他の人の必要に仕える存在」へと変える訓練を、イエス・キリストと共に始めてみませんか?

(402) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

 あなたは自分のことが好きですか?私は十代の頃、自分のことがあまり好きではありませんでした。特にこれといった確固たる理由があったわけではないのですが、割と周囲に流されるタイプだったし、周りの意に添うように自分自身の本音を隠してしまう傾向があったからかもしれません。本当はもっと「自分の気持ちに正直に」生きたいと思っていたのだけれど、それで他の人に受け入れてもらえなかったらどうしよう…、という不安があったのだと思います。  20歳の時に、クリスチャンの友人を通して「イエス・キリスト」という方を自分自身の救い主として受け入れ、私もクリスチャンとして歩み始めました。そうしたら、いつの間にか自分の事を大好きになっていました。もちろんこれを『神様のみわざ』というひと言で片づけてしまうこともできるのですが、当時の自分を振り返って思い出してみると、その具体的な要因としていくつかの「内面的な変化」に思い当たります。 ①自分自身を『神の作品としての存在』と自覚するようになった。このことは私に「自分は自分らしく生きることに価値がある」ということを確信させました。そして本当に方の力が抜けました。無理に「誰かと同じように」ふるまう必要がないということは(特に日本人にとって?)大きな解放を与えてくれます。 ②絶対者による無条件の愛を受け取った。これは「もはや誰のご機嫌を取る必要もない」ということを意味していました。たとえ世界中の人々が自分のことを嫌いになったとしても(まあ、そうならないことを願いますが…)、最も偉大な方は私を決して嫌いにならないし、見捨てたりもしない。この安心感(心の平安)は何にも代えることができません。まあその数年後に素晴らしい妻と結婚し、目に見える形で『自分だけを専門に愛してくれる存在』が与えられたことも大きな助けになっていると思いますが。 そして③内なる聖霊の働きによる変化。イエス・キリストを救い主として受け入れた瞬間から、『聖霊なる神』が私の心の中に宿ってくださっています。彼は私も気付かないような形で日々私を造り変えてくださっています。そのために上記のような変化は、イエス・キリストを信じてから30年以上経った今振り返って、ようやく自覚されるようになりました。  神様は私たち1人1人が『ご自分の作品』として喜んで生き生きと日々を生きて欲しいと願っておられます。そのために私たちが「自分を大好き!」と言えるように造り変えようとしておられるのです。

2020年8月9日 「戦いの中にいる天国人」

礼拝全体をYouTubeで観る 説教あらすじ 「戦いの中にいる天国人」   (09/08/2020) ◆この世は戦場 ― 私たちは『天国人』として生きる時、この世にあって多くの戦いを経験する。  *なぜ? ⇒ この世の支配者は悪魔であり、世の力を用いて人々を惑わし、神から遠ざけようとしているから。   ・キリストを受け入れるまでは、完全に世に属しているので、ある意味『戦い』はない。神は消極的にアプローチ。    キリストを受け入れた後は、神は「ご自分のみそば」に置こうとする。しかし世も自分の方を向かせようとする。 ⇒ ここで『戦い』が起こる!(いわば「天と地の引っ張り合い」)[Ⅱテモテ3:12] ◆神の訓練 ― 神は「愛する子どもたち」をこの世の汚れから聖めようとする。[へブル12:4-11]   ・神がキリスト者に望むのは「親密な交わり」。時には力ずくで私たちを罪や悪習慣から引き離そうとする。それは「罰」を与えているのではなく、『愛による訓練(しつけ)』。(羊を背負っている羊飼いの絵)    *二者択一(私たちには「選択の自由」が与えられている)      ①しんどい道を避けて、いい加減な信仰生活を送り、神との親しさを体験することなく、かろうじて天国へ。      ②キリストへの愛の故に世に戦いを挑み、神の訓練を通して『親密な交わり』の内に義の実を結ぶ人生。   ・実際、試練が少ないのは、迷うことなく初めから「キリストひと筋」に生き通すこと。[へブル12:2, マタイ5:10-12] ◎キリストと共に、「天における大いなる報い」を見つめて、生きて行こう! ✰今日のキーワード: 「義の訓練」 ◎学びを深めるための質問  ①キリストに従おうとするがゆえに体験した『戦い』の経験があれば、分かち合いましょう。  ②「痛い目」にあったことで、神との関係がより『親密』にされた経験があれば、分かち合ってみましょう。  ③日々の生活の中で「神に委ねきれてない部分」はありますか? その主な原因は何か探ってみましょう? Outline of the sermon        “We are in the battle.”      (09/08/2020) ◆This world is our battle field. ― There are battles Read more…

(401) “知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。”

 『神』と呼ばれる存在は、大きく分けて2種類あります。①「人間[が]造った神」。②「人間[を]造った神」。この2つです。ちょっと想像してみてください。ある優れた彫刻家がその卓越した腕前で立派な姿をした偶像を彫り上げ、その前にひれ伏して、「私の神よ、どうぞ私をお助け下さい」と祈る姿を。どう考えても、この『造られた存在』が、『造ってくれた方』を救うことができるとは思えませんよね?しかし実際ある人々はこれと同様なことを行っています。聖書はこれらの行為を『偶像崇拝』と呼んで堅く禁じています。それは、「この天地を創造し、私たち人間[をも]創造された、唯一まことの神」を冒涜する行為だからです。『私たち[を]造られたお方』、この方こそ『まことの神』として敬われるべき唯一の存在です。  スヌーピーの漫画のストーリーで、こんなのがあります。ある日チャーリーブラウン少年が弓矢の練習をしていました。彼は弓と矢の他に『マジックペン』を持ち歩き、弓を射るたびにその落ちたところへ駆けて行って、落ちた矢を中心にしてマジックで的を書くのです。そして胸を張って言います。「どんなもんだい!ボクはいつだって的の真ん中に当てられるんだぜ。」  ある人の人生はまさにこのようです。自分の人生の成り行きに合わせて都合の良い『神』を造り出し、「私の神様、どうぞ私が決めた決断を祝福してください。そうすれば、私はあなたが真の神であると認めます!」と言うのです。そして自分の思い通りに事が進まなくなると、「神なんていない」と結論付けるのです。神が定めた真理の道を追求する代わりに、自分勝手に向かって行く方向を「神が定めた道」とみなす、まさに「神をも恐れぬ」態度とでも呼びましょうか。  真の神はただ1人。それはこの全宇宙を創造し、私たち1人1人をお造りになり、今日も私たちを正しい道へと導くことのおできになる権威あるお方です。そしてこの『唯一まことの神』を正しく知り、正しい応答をすることが、私たちの人生にとって「何よりも初めに覚えるべきこと」なのです。

2020年8月2日 「天国人のいるべき所」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「天国人のいるべき所」 (02/08/2020) ◆主イエスの許にいる [ルカ10:38-42]   ・マルタは、どれもこれも「やるべき事」だと思った。 “Better is the enemy of the Best.”   ・イエスは私たちに「何かをしてもらいたい」わけではなく、「いつも『一緒に』いて欲しい」。 ⇒ そのために十字架の道を辿られた。[Ⅰテサロニケ5:10]   ・では、今は目に見えない存在と「一緒に」生きるためには、どうすればいいのか?         ― その人が言っていた『ことば』を思い出す。[ヨハネ14:26] ◆主イエスと共に生きる [ヨハネ14:21]   ・イエスの『戒め』とは、「主が愛されたように、互いに愛し合うこと」。[ヨハネ15:12]    *ところで「主がおられる所」とは?(それは『場所』ではなく、『人』)      ①イエスの名による集い[マタイ18:19-20]  ②私たちが愛し合っている現場[Ⅰヨハネ4:9-12]   ・イエスがこれらのことを命じたのは、私たちに「何かをして欲しいから」ではなく、「私たちと一緒にいたいから」。 そして、「主イエスのおられる所」こそが、私たち(天国人)のいるべき所なのです! ✰今日のキーワード: 「主の足もと」 ◎学びを深めるための質問  ①「ふと、みことばが思い浮かんだ」という経験を分かち合いましょう。その時どんな気持ちがしましたか?  ②「主イエスは私たちに『何かをして欲しい』わけではない」と聞いて、どう思いますか?  ③「主イエスと共に生きる」ために、どんなことを心がけていますか? また今後心がけて行きたいですか? Outline of the sermon        “Where we should be.”      (02/08/2020) ◆Stay at Jesus’ feet. [Luke10:38-42]   ・Martha thought that everything should Read more…