(540) “妻に対し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。”

 夫婦そろって本当に久々に思い切り体調を壊してしまいました。2人とも1週間以上寝込んでしまい、未だに本調子に回復するには至っていません。特に妻は今までは多少体調が悪くてもそれなりに家事をこなせていたのが、全く『機能停止』になってしまって、我が家の生活は本当に惨めな状況でした。そんな中で気付かされたことが2つほどあるので、分かち合わせていただきたいと思います。  まず1つは、「神様は私たちに『強く(自信満々で)あって欲しい』とは決して思っていない」ということです。このことは「神に頼る者」として、分かっているようで、実はよく分っていない気がします。どこか「自分は大人なんだから、自分のことはちゃんと自分でできるようにしていないといけない」という自覚が先立って、神様や周囲に頼ることを避けようとしてしまいがちです。神様は私たちがそのように「強がって生きる」ようには造られなかったのではないでしょうか?  もう1つは、そのような弱い私たちですが「誰かに頼られた時に底力を発揮できるように」も造られている、ということです。自分の体調の悪さがピークに近い状態であった時、妻に「どうしても病院に連れて行って欲しい」と言われました。「何故いま!?」との思いがよぎりましたが、自分の中で選択の余地はありませんでした。「何が何でもこの求めに応えなくては!」との一念で奮い立ち、運転して妻を救急病棟へと連れて行き、自分はそこから100メートルほど離れた駐車場に車を置いて戻って来て、妻の介護を続けました。  今では妻と顔を見合わせながら、「本当に大変だったねぇ」と苦笑いする余裕が出てきました。このような人生のパートナーがいつも側にいてくれることは、本当にありがたいことだと、神に心から感謝しています。

2023年8月27日 「『礼拝する』のではなく、『礼拝者』になる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『礼拝する』のではなく、『礼拝者』になる」   (27/08/2023) [へブル人への手紙 9章1~7節] ◆『第1の幕屋』で起こっていたこと(2,6節)   ・幕屋の構造には、主に「第1の幕屋(聖所)」と「第2の幕屋(至聖所)」とがあり、「第1の幕屋」には祭司たちがいつでも入ることができ、様々な礼拝儀式を行っていた。   ・『礼拝』という概念に関して、主イエスの面白いコメントを見出すことができる。[ヨハネ4:19-23] 『礼拝』は「アクティビティ」を連想させがちだが、この幕屋の2重構造は私たちにそれ以上のことを連想させてくれる。 ◆『第2の幕屋』で起こっていたこと(3~4,7節)   ・「第2の幕屋」には『契約の箱』があった。そしてこの『契約の箱』の中には、モーセがシナイ山で神から受け取った「十戒が刻み込まれた2枚の石の板」が入っていた。まさに「神と人とを結ぶ『契約』」の象徴。そして神はこの『契約の箱』の前でモーセに語られた。[出エジプト25:22] 「第2の幕屋」は『神の臨在』の場であり、私たちにとって「真の礼拝」、すなわち「『聞き従う心』をもって神の前に出る場」なのだ。   ・御子の尊い犠牲のゆえに神に招かれて日々御前に出る。そこにふさわしいのは「祈り」「賛美」「説教を聞く」などのような『行為』ではなく、「1人の礼拝者」として自分自身を御前に差し出すことに他ならない。[ローマ12:1] ✰今週のチャレンジ: あなたにとって『礼拝』は「行為」ですか?「心の姿勢」ですか? ◎更に深い学びのために  ①「第1の幕屋」と「第2の幕屋」の間の大きな違いは何でしたか? 何がその『違い』を際立たせていましたか?  ②主イエスの『血』による「新しい契約」は、私たちの礼拝スタイルにどのような影響を与えたと思いますか?  ③今日神があなたに求めておられる『礼拝』とは、どのようなものでしょう? あなたはそれにどう応答しますか? Outline of the sermon    “Give God spiritual worship.”    (27/08/2023) [Hebrews 9:1~7] ◆Things in “the first section”.(Verses 2, 6)   ・There were mainly 2 sections in the tabernacle and priests were Read more…

2023年8月20日 「『古い契約』と『新しい契約』」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『古い契約』と『新しい契約』」   (20/08/2023) [へブル人への手紙 8章7~13節] ◆「古い契約」と「新しい契約」の違い   ・この「古い契約と新しい契約」というものが「旧約聖書と新約聖書」と呼ばれるゆえん。『契約』というものは両者の合意の上で結ばれるが、聖書が語る『契約』は「神と人」との間で「血が流されること」によって有効となった。   ・古い契約は、「神とイスラエル民族の間」でモーセを通して『動物の血』によって結ばれた。[出エジプト24:7-8]   ・一方「新しい契約」は、御子イエスを通して「神と、イエスを信じるすべての者の間」で結ばれたもので、「イエスが十字架で流された血」によって有効とされ、信じる者は『永遠のいのち』を得る。[マルコ14:23-24] ◆『新しい契約』の特徴(10~12節)   ・ここでエレミヤによる預言が引用されているが、この中に『新しい契約』の3つの特徴を見ることができる。    ①神は「私たちの心(思い)」にご自身の律法を書き記す ― 『キリストの心』が形造られる [エゼキエル11:19-20]    ②すべての者が神を知るようになる ― 個人的な関係の中で「自分にとって神とはどういう方か」を知る。    ③罪が拭い去られる ― 旧約聖書において[出エジプト34:6-7] 新約聖書において[へブル9:13-14]   ・あなたはこの「イエスの血による『新しい契約』によって、神と結ばれていますか? ✰今週のチャレンジ: 自分の力で神の基準に到達しようとしていませんか? ◎更に深い学びのために  ①『古い契約』と『新しい契約』とでは、どんなところがどのように違いますか? また、それはどうしてでしょう?  ②引用されている「エレミヤの預言」や「エゼキエルの預言」から、神様のどのようなご性質が読み取れますか?  ③「『新しい契約』の3つの特徴」を、あなたはどの程度味わっていますか? 互いに分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon     “Old covenant & New covenant.”     (20/08/2023) [Hebrews 8:7~13] ◆“Old covenant” and “New covenant”. Read more…

(539) “盗人(悪魔を指す)が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたし(キリスト)が来たのは、羊たち(私たちを指す)がいのちを得るため、それも豊かに得るためです。”

 人間には生来の『基本的な欲求』があります。①睡眠欲②食欲③性欲です。これらは私たちが健康な人生を送るために神様があらかじめ備えてくださった欲求であり、これらの1つでも正しく機能しなくなると人生に支障をきたします。  ところが残念なことに、悪魔はたびたびこれらの私たちの『欲』を刺激し「必要以上に」もしくは「不健康な形で」これらの『欲』を用いさせようとします。いわゆる『貪欲』というものです。私たちに「惰眠」を貪らせたり、「暴飲暴食」をさせたり、「結婚関係以外のセックス」によって肉体的にも精神的にも私たちの人生を破壊しようとするのです。  何故私たちはしばしばこのような『悪魔の誘惑』に屈してしまうのでしょう?それは、私たちの心の奥深くにある『霊的欲求』が満たされていないからです。腹ペコの時にレストランのメニューを見るとどれもが魅力的に見えてしまうように、私たちの『心』が「真に満たされるべきもの」によって満たされていないと、不必要なものを求めるようになってしまうのです。  それでは「私たちの心を真に満たしてくれるもの」とは何なのでしょう?それは、私たちの創造主である『神との関係』です。私たちの心の奥深くには、「神によってしか決して埋めることのできない空洞」があって、この『神との関係』に結ばれるまでは、それを別のものによって埋めようとどうしてももがいてしまうのです。それは『お金』であったり、『名誉』であったり、『異性』であったりします。これらのものを「一時的」には私たちの心を満足させてはくれますが、真の解決にはなりません。  私たちは皆、天地万物を造られた『創造主なる神』によって綿密にデザインされており、「この方との関係に結ばれることなしには決して満足することができない存在」として造られているのです。

2023年8月13日 「Temporary vs Permanent」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「Temporary vs Permanent」   (13/08/2023) [へブル人への手紙 8章1~6節] ◆『永遠の大祭司』イエス(1~2,4~5節)   ・地上の祭司たちは「天の写し」に仕えているにすぎない。しかしイエスは『永遠の大祭司』として「まことの幕屋・聖所」で仕えている。いわば「Temporary」と「Permanent」。   ・「神がモーセに命じられた『幕屋』」というものは、出エジプトの時代に造られた可動式のもの。後に壮大な『エルサレム神殿』がソロモン王によって造られた。これもいわば「Temporary」と「Permanent」。   ・しかし実際は「Permanent」と言っても『永遠』ではない。本物の「永遠の神殿」は、『神ご自身』。[黙示録21:22] そして私たちは本来、この『永遠の住まい』に生きるようにデザインされている! ◆「永遠の関係」のために造られた   ・私たちは「何かをする(活動の)ため」に生まれてきたのではなく、「関係に生きるため」に生まれてきた。地上においては「家族・友人・その他」、そして究極的には『神との永遠の関係』のために。   ・悪魔はいつも「Temporary」な魅力によって私たちを誘惑し、「神との関係」という真の魅力から目を離させようとする。悪魔に騙されないように、いつも「みことばと祈り」を通して『本物』すなわち「神との交わり」を味わおう! ✰今週のチャレンジ: 永遠に保つ『神との関係』に、日々魅了されていますか? ◎更に深い学びのために  ①私たちの人生において、「Temporary」なものと「Permanent」なものは、それぞれどんなものがあるでしょうか?  ②私たちは「どんなことのため」に生まれて来たのでしょう? また、どうしてそう言えるのでしょうか?  ③「Temporary」な魅力に惑わされることなく、いつも『神との関係』に留まるために、どんなことができるでしょう? Outline of the sermon    “Temporary vs Permanent.”    (13/08/2023) [Hebrews 8:1~6] ◆Jesus, our priest forever.(Verses 1~2,4~5)   ・Levitical priests were only serving in “temporary” building for “temporary” purposes.  Jesus came to Read more…

(538) “なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが1つになって、ともに生きることは。”

 人生で味わえる最高の喜び(醍醐味)は、何と言っても「深い信頼と親密さによって結ばれた人間関係」だと思います。ところがこれは「誰もが願っているもの」でありながら、「ほんのわずかな人たちしか経験していないもの」であるとも言えるのではないでしょうか?一体どうしてそうなってしまうのでしょう?きっとその大きな原因の1つは「相手に信頼を置き過ぎてしまったなら、万が一裏切られてしまった時に受ける傷が大きすぎる」という『恐れ』があるからではないでしょうか?  天地万物の創造主である神様は、私たち人間をお造りになる時に「自分に似るように造った」と聖書に書かれています。もちろんそれは『姿かたち』のことではありません。私たちと神様との大きな共通点の1つは、「関係性を求める」という点です。神は何よりも「私たち1人1人との個人的な関係」を求めておられます。それは何も「ご自分の満足のため」ではなく、その関係が「私たち人間同士の関係をより豊かで堅固なもの」にするということを知っておられるからです。  私たちが『神様との個人的な関係』に結ばれる時、私たちの心の深い部分に、言葉では言い表すことのできない深い『平安』が生まれます。それによって、他の人々を信頼しやすくなります。言わば「恐れから解放される」のです。そして皆さんも経験があるように、人は誰でも他の誰かから信頼されると「この人の信頼に何としても応えたい!」という気持ちが芽生えます。神様はこのようにして、この地を『人と人との信頼』でより美しいものにしたいと望んでおられるのです。

(537) “苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。”

 「苦しい時の神頼み」という言葉があります。この言葉は何となく「神様は苦しい時にだけ必要な存在」というイメージを与えますよね?実際、物事が順調に進んでいる時は人間は『神』という存在をあまり意識しないものなのかもしれません。しかし私たちがどんな状況にいる時でも、神は変わらず『神』として存在し、私たちがご自身と関わろうとすることを待っておられます。  このことは「親子関係」と似ている部分があるかもしれません。親はいつでも「子供のためによかれ」と思っていろいろと手をかけるのですが、子供はそれらの良いことをついつい『当たり前』と思ってしまい、たまに自分には手に負えない局面(お金が足りなくなったり…)などに出会うと、急に猫撫で声になって親におねだりするわけです。  聖書は私たちに「苦しい時に神に祈る」だけではなく、「良いことがあった時には、神に賛美や感謝をすること」を勧めています。「神のしてくださったことを、何1つ忘れるな!」と教えている箇所もあります。辛い時や悲しい時に、つい「神様の存在を疑ってしまうこと」があるかもしれません。そんな時、「神様が今までにしてくださったたくさんの良いこと」を思い起こすことは、私たちの心をもう1度奮起させる起爆剤になるに違いありません。