2018年9月23日 「本当の満足」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ             「本当の満足」            (23/09/2018) ◆人間は3重構造[Ⅰテサロニケ5:23b] ・人間は〔霊・たましい(心)・からだ〕の3重構造になっていて、物質的な満足では心は満たされず、精神的な 満足では霊は満たされない。 ⇒ では、この『霊』は何によって満足するのか? ◆神に似せて造られた[創世記1:27] ・私たちは、神に似せて「霊的な存在」として造られた。それ故「霊の源」である神と結ばれるまでは迷い続ける。 ・人の『霊』は、神を認識し、神に育まれ、人と人とを深いレベルで結び付ける。⇒ では、どのように「神と結ばれる」のか? ◆イエスを通していのちを得る[ヨハネ14:6] ・イエスは『まことの神の子』として地上に来られ、「私たちと神との関係の回復」のために自らをささげられた。 ・イエスを救い主として受け入れることによって『いのち』を得る。この『いのち』は少しずつ成長する。[ヨハネ10:10b-11] *私たちの成長は実にゆっくりだが、神は待っていてくださる。そして1歩1歩一緒に歩んでくれる。 そしてこの方が私たちの『霊』を真の意味で満足させ、人として完成させてくださる!   Outline of the sermon      “Where does ‘True satisfaction’ come from?”     (23/09/2018) ◆Human being is triple structure.[ⅠThessalonians 5:23b] ― “spirit”, “soul” and “body”. ・Our heart cannot be satisfied with physical contentment.  Our spirit Read more…

(315) “訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。”

私たちは人生の過程で様々な『変化』を経験します。その中には「自ら買って出る変化」もあれば、「自分では願っていなかったのに、避けることのできなかった変化」もあるでしょう。ところがこの「願ってもいなかった思いがけない変化」が思いもよらない良い結果を生むことがしばしばあるのも事実です。では何故私たちはそのような『変化』を歓迎したがらないのでしょうか?それは元来人間が「習慣的に生きる」ことを楽に感じるからです。 私たちは実に多くのことを『習慣的に』行っています。朝起きて顔を洗う。食事の時にまずお味噌汁を飲む。靴は右足から履く。ランチは近くのコンビニでサンドイッチを買う。お風呂で体を洗う時は首から洗う。などなど。これらをいちいち「えーと、今日はどちらの足から靴を履こうかな?」「体をどこから洗おうかな?」などと考えていたら、時間がいくらあっても足りなくなります。「習慣性」って、実に素晴らしいですよね?これが例えば「朝起きたら断水していた」とか「サンドイッチが売り切れていた」などのハプニングがあると、とたんに生活のリズムが狂うわけです。通勤電車の遅れやインターネットの接続不良などが起こるとすぐ「キレて」しまう人がいるのも現代の特徴の1つでしょう。 ところが、もし人生がすべてこのように『習慣的に』進められてしまったら、進歩がなくなってしまうというのも事実です。「生活の改善」や「私たちの人格的成長」は、ある意味『強制的な変化』に伴ってやってくるものなのです。別に『変化』を大好きになる必要はありませんが、それらを肯定的に受け止め「成長のための栄養」としていくことは大切です。 神様は私たち人間を『現状維持』のためには造りませんでした。「日々成長するように」お造りになったのです。それ故、神様は時々私たちの人生に「避けられない変化」を送られる時があります。それらに対して私たちはつい「神様どうして?!」と呟いたりしてしまいがちですが、そこにも私たちに対する『神様の愛』を見い出すことができたら、人生がより輝いて見えるようになるのではないでしょうか?

2018年9月16日 「『神のもの』として生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『神のもの』として生きる」       (16/09/2018) [マタイ6:25-34] *この箇所は「どうせ神様が全部やってくれるんだから、自分はサボってても良い」ということではなく、むしろ「自 分に任された範囲をわきまえ、それを超えて出しゃばるな」ということ。では『私たちに任された範囲』とは? 「『信仰』によって生きる」ということ ― これこそ、イエス・キリストが地上の生涯において示された『生きる姿勢』 ・「キリストのような歩み」とは、「立派な」とか「奇蹟を行う」ではなく、「愛と信頼の故に、御父に依存した」人生。 ◆神を喜ばせるもの[30節] ― 彼らはどういう点で「信仰が薄かった」のか? ①「神が良い父である」ということが信じ切れていない。 ②「この世の王(サタン)が提供してくれるものに対する未練」を捨て切れていない。 ⇒ 「だから、神の国とその義とをまず第1に求めなさい」。  これが主イエスからのチャレンジ! ・神が喜ぶのは「見せかけのおだて」ではなく、「神こそが最善をご存知なのだから、彼にのみ信頼して生きる」という歩み。 ◆今週の『暗唱聖句』: [ヘブル人への手紙 11章6節]   Outline of the sermon        “Live as God’s own.”       (16/09/2018) [Matthew 6:25-34] *These verses don’t mean like, “We have no part to play because God does everything”, but Read more…

2018年9月2日 「富に対する態度」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「富に対する態度」         (02/09/2018) [マタイ6:19-24] ― [24節]の『仕える』という語は「奴隷になる」と同義語。「所有物に『所有』されない」ように気を付けて! ◆良い目・悪い目[22~23節] ― 視力のことではありません! ・「悪い目」:目つきが悪い、貪欲、目移りする。  ・「健全な目」:気前が良い、澄んだ目、1つのことに集中。 *「目先のこと」ではなく、「永遠の視点」を持った生き方をしましょう。 ◆宝を天に蓄える[20~21節] ― 「たくさん献金をしましょう」という意味ではありません。 ・信仰の冒険をしない人は、神がその人のために蓄えている『神の国の宝』を地上で味わうことができない。 ・悪魔の狙いは、私たちが神以外の『頼りにならないもの』に捕らわれて「いのちの道」を見失わせること。 ⇒ 「信仰の賭け」は間違いなく、神とその人との間に「太くて新しいパイプ」を形造る。 あなたの『宝』は何ですか? ― それが『神』を指し示すものでありますように。 ◆今週の『暗唱聖句』: [マタイの福音書 6章21節]   Outline of the sermon        “Right attitude to the wealth.”       (02/09/2018) [Matthew 6:19-24] ― The word, “serve”(verse 24) means “becoming its slave”. Do not be Read more…