(113) “小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。”

心理学者たちの調査によると、私たちの行動の90%は『習慣的に』行われているそうです。90%ですよ! しかし考えてみるならば、私たちは皆この『習慣の力』というものの恩恵に多大にあずかっています。私たちは「習慣的に」生きているからこそ、多くのことをより迅速に能率良く行えるわけですし、1つ1つの小さなことにイチイチ煩わされることなく、大切なことに十分な注意と力とを注ぐことができるわけです。 しかし、ということは「良い習慣を育むことは人生の成功につながり、悪い習慣に支配されることは破滅を招く」ということも言えるかもしれません。「ついつい食べ過ぎてしまう」「万年の運動不足」「どうしてもタバコがやめられない」「自分は5時間睡眠で十分やっていける」などなど。日常のつい見逃してしまいがちな些細な『悪習慣』、その時は「まあ、いつか修正すればいいさ」で済ましてしまいがちですが、それらは確実に私たちの人生を蝕んでいるのです。そしてこの『習慣の力』の恐ろしいところは、「その習慣による悪影響がはっきり認識されるようになった頃には、既に手遅れになりかけている」ということです。 ある有名な企業の創始者は次のように言っています。「自分の夢を成し遂げようとする者が最も力を注ぐべきことは、自分を誘惑してくる『悪習慣』を徹底的に破壊し、夢の実現に役立つ『良い習慣』を何度も繰り返すことだ。」 では、そのような『良い習慣』をどのように見出していけば良いのでしょう? 1つの驚くべき事実は、世界人口の1%にも満たない『ユダヤ人』が、ノーベル賞受賞者の50%以上を占めているということです。彼らは幼い頃から聖書を学び、あるいは暗唱し、神を中心とした自意識、世界観、人生観を持って生きています。「自分の心のおもむくまま」ではなく、「神を恐れ、聖さを求め、常に自分自身を神の前に見張る姿勢」こそ、良い習慣を育む原動力なのです。

2014年2月16日 「キリストにつく者」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストにつく者」     (16/02/2014) [ガラテヤ 3:23-29]     *ここでパウロはとても大切なトピックについて2つのポイントで解説している。 ①信仰によって『神の子ども』とされる [26節]  ◆アイデンティティーと平安   ・自分が「何者であるか・どれほどの価値があるか」を移ろいやすいものに置いているうちは真の平安がない。          信じる者に与えられている確固たるアイデンティティー = 「神の子ども」   ・私たちは神からの『不変の愛』を注がれており、完全な保護と確かな未来とが約束されている。  ◆「律法」と「信仰」の関係 [23~25節]   ・「律法は私たちをキリストへ導くための養育係となった」  ―  律法(手段) ・ 信仰(目標)   ・信仰とは、『神への応答』(救いの招きは、神からのプロポーズ) ②バプテスマ(洗礼)によって『キリストにつく者』とされる [27節]   ・洗礼は「結婚式」に似ている。(『お試し』ではない!) 「どっちつかず」から手を切る決断      慎重であるのは悪くないが、結婚生活が始まるまでは「相手の本当の素晴らしさ」は味わえない。   ・「あなたがどういう人物であるか」は問われない。[28節] (あなたの過去も、罪も、弱さも、聖書知識も…)   ・「キリストのもの」であれば、「祝福の相続人」。[29節] ✯「神の子ども」そして「キリストにつく者」とされましょう!     Outline of the sermon   “Be baptized into Christ!”  (16/02/2014) [Galatians 3:23-29]         *Here Paul is pointing out two Read more…

(112) “私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。”

皆さんは「もっと人のためになりたいと思っているのに、なかなか実践できない」とか、「そんなことを言うつもりはなかったのに、つい相手を傷つけるようなことを言ってしまった」などという経験はありませんか?もちろん私もあります。どうしてそんなことが起こるのでしょう?聖書は「それは私たちの心の中に『悪の原理』が宿っているからだ」と言っています。常に「正直に生きよう」と意識していない限り、私たちはついついこの『悪の原理』に振り回されます。あたかも私たちの心の中にある「自動操縦装置」かのようです。 アメリカ南部に生育するある「つる性の植物」は、いったん庭木や塀にからまり始めると、それをすぐに抹殺してしまわない限り、あっという間に庭全体を覆い尽くしてしまうそうです。 私たちの心の『悪の種』も、小さなうちに摘み取ってしまわないと、雪だるま式に大きくなって、収集がつかなくなってしまいます。軽い気持ちでついた「悪気のない嘘」が、前述のつる性植物のようにあなたの心の中にからまり始め、ついつい「出まかせの言い訳」がクセになり、気がついた時には誰からも信用されない『嘘つき』のレッテルを貼られてしまうのです。 では、私たちは一体どのようにしてこの『悪の原理』に侵されることなく、正しい歩みをすることができるのでしょうか? まず朝ごとに(他の何事も始める前に)、すべてのことをご存知で正しくさばかれる神の前に出て(祈りや聖書のことばを通して)、心の中が暗闇で覆われてしまう前に、神の『真理の光』で照らしていただくのです。そして、心のベルトをしっかりと『真理の霊(神の霊)』につながれて、この神の霊が私たちを導いてくださるのを感じながら1つ1つの営みを進めていくのです。 「私は自分の心を自分の力で十分制御できる」と思うのは、傲慢に過ぎません。神はいつでも「へりくだる者に助けを与えてくださる方」なのです。

2014年2月9日 「『契約』による神との関係」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「『契約』による神との関係」     (09/02/2014) [ガラテヤ 3:15-22]  ◆「契約・約束」と「律法」 [17~18節]   ・人間の場合であっても、父親は子供に対する『約束』を何としても守ろうとする。それは「相手がそれにふさわ    しいから」ではなく、一方的な愛の故。『律法』は「神からの条件」ではなく、むしろ「神の性質・願い」の表現。   ・神が律法を与えたのは、「私たちがそれにふさわしくないにも関わらず、神は私たちを『子』と認めてくださる」    という、ご自身の驚くべき恵みを私たちに分からせるため。     *では何故すべての人が自動的に救われるようにしないのか?    私たちに「拒む余地」を残した。 ◆「律法」ではなく、「信仰」による [21~22節]   *何故神は「行い」ではなく、そこまで「信仰」にこだわるのか?       ― アダム&エバと神との関係が壊れた原因は、彼らが「禁断の木の実を食べた」という『行為』ではなく          「神の(「必ず死ぬ」という)ことばよりも、悪魔の言うことを信じた」という『信仰』の問題だから。   ・「神への信仰」が結果として「神に対する従順の行為」として現される。   ・神が求めておられるのは「形だけの従順」ではなく『関係』。だからこそ、強制はできない。(これが神のみこころ!)       ただ、自分で下した選択の結果は、自分で刈り取ることになる。(アダムとエバのように…) ✯今日も神は「律法(私たちの行い)」ではなく、「ご自身の変わらない約束」によって『関係』へと招く   Outline of the sermon  “Relationship with God through covenant.” (09/02/2014) [Galatians 3:15-22]  ◆ “The promises(covenant)” and “The law”. [Verses 17-18]   ・Even earthly fathers do their best to Read more…

(111) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

外見で人を判断することは、しばしば大きな失敗の原因となります。しかし実際に私たちは第1印象によってその人に対する見方を大きく左右されてしまうのも事実です。ある人の調べでは、初対面の人からの悪い印象でその人に対する見方を決めるのには10秒もかからないそうです。その人の外見、声の調子、握手の仕方、物の考え方などが自分とは違うと、つい「この人のことは好きになれない」と決め付けてしまうものです。 『好み』というものは誰にでもありますから、すべての人のことを「好き」になる必要はありませんが、それらの人々を「愛する」ことは可能です。人間というものは『外見』や『能力』以上の存在です。たとえその人の顔かたちや体格、立ち振る舞いが気に入らなくても、「この人は偉大な神によって造られた傑作品である」ということに気付くなら、愛することは可能になります。もし私たちが「神様、私はどうしてもあの人のことが好きになれません。でも、あなたが彼をご覧になっているように、私も見ることができるように助けてください!」と祈りつつ、大胆にアプローチしていくなら、『愛せない』というハードルを飛び越えることができます。『悪印象』を形作るのに10秒もかからないとすれば、いったん「愛する」と決めて相手に接していくなら、同じく短時間で相手に対する全く新しい見方を体験することができるのです。要するに「気分」ではなく「決断」の問題なのです。そして素晴らしいことに、「どうしても好きになれないと感じていた相手」を愛することができる術を身に付けた人は、「神がいつも共におられる」ことを実感しながら生きる者とされ、恐れから解放され、あらゆる環境の中で『愛による影響力』を流していくことができるようになるです。

2014年2月2日 「アブラハムの祝福」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「アブラハムの祝福」     (02/02/2014) [ガラテヤ 3:8-14]  ◆先週の復習と今日の箇所の要点   ・先週は「ユダヤ人たちは『すべての人々の祝福の基となる』という使命を忘れた」ということを学んだ。   ・今日の要点は、「キリストは私たちの代わりに『のろい』を受け、またご自分が持っておられた『祝福』を私たち    に受け継がせてくださった」ということ。[13~14節」 その祝福とは ― 『約束の御霊』。 ◆「約束の御霊による祝福」とは?  ①子としての身分を受ける [ガラテヤ4:4-6]    ・キリストの身代わりの死を信じる私たちは、今や神の目に「愛する我が子」と映っている。  ②子としての実質が結ばれる [ガラテヤ5:22-23]    ・私たちは日々(少しずつ)キリストのごとく変えられて行く。    ・実が結ばれるのは、枝の努力によるのではなく、ただ幹(キリスト)につながっていることによる。 ◆神の永遠・不変のご計画   ・神の計画は、天地創造以来変わっていない。それは「この地を、ご自身の子供たちで満たす」こと。   ・悪魔の企みも変わっていない。「私たちに神の愛を疑わせ、自分の力に頼らせようとする」。 ◆「信じる」とは?   ・祝福を受け継ぐのは「信じる(自分ではなく、神に頼る)者」。    神がアブラハムをお選びになった時の、たった1つの条件は = [創世記12:1] そうすれば… ✯『コンフォート・ゾーン』から抜け出し、信仰による新しい1歩を踏み出そう!   Outline of the sermon   “Be blessed along with Abraham.”  (02/02/2014) [Galatians 3:8-14]  ◆Last week review and main point Read more…

(110) “互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。”

「隣りの芝生は青く見える」ということわざがあります。最近の日本ではあまり『芝生の庭』が見られなくなったので、いまいち馴染みの薄い言い回しですが、要するに「同じものであるはずなのに、何故か人のものは自分のものよりも良さそうに見える」という意味です。隣りの家とか、友人の車とか、知り合いの旦那とか、近所の子供とか…、挙げていればキリがありませんが、「何でウチのは、あの家のようではないのだろう…」とグチをこぼしたくなることがよくありますよね? そこでよぉく聞いてください。実際は「隣りの家の芝生が青く見える」のは、目の錯覚です。そのように見えるのは、「自分のものは良く知っているけど、他人のもののことは良く知らないから」、または「自分のものをキチンと面倒看ていないから」のどちらかです。 こんな話があります。あるハンサムな大金持ちが、大した魅力もない女性と結婚しました。周囲の人々は次のようにウワサしました。「あの結婚は絶対長続きしやしないわ。」 さて、数ヵ月後この新婚夫婦がハネムーンから帰ってきたとき周囲の人が見たのは、この大金持ちが全く見栄えの違った女性を連れていることでした。「ほら、前の女より、今度の女性の方がずっとこの人にふさわしいじゃない!」と周囲の人々は思ったのですが、驚いたことにこの女性はあの『冴えない女』と同一人物だったのです。この金持ちの男性はその妻を心から愛し、折にふれて励ましと賞賛の言葉をかけ、彼女の存在がどんなに自分の喜びであり、支えになっているかを日々告げていたため、この新妻は日々自分の価値を再発見しては、その上に自分自身を築き上げていったのでした。 もうお分かりですね。他の人のものを羨ましがってばかりで、自分のものの真価を見出せない人は、決して『青い芝生』を手に入れることはできません。それよりも、自分の芝生にかかさず栄養を与え、しっかりと面倒を看ることが大切なのです。あなたの妻や夫、子供たちに日々励ましの言葉をかけ、その努力を評価し、彼らの存在があなたにとってどれほどかけがえのないものなのかを伝えてください。言わば彼らの『チアリーダー』になってあげるのです。そうすれば、やがてあなたの家の芝生が、他のどの芝生よりも青々と輝いているのをあなたは発見することでしょう!

2014年1月26日 「アブラハムの信仰に倣う」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「アブラハムの信仰に倣う」     (26/01/2014) [ガラテヤ 3:1-7]  ◆私たち(キリスト者)とアブラハムの類似点3つ  ①「他の人々の祝福」のために選ばれた。[創世記12:1-3]    ・ユダヤ人たちは「自分たちはアブラハムの子孫であり『神に選ばれた民族』である」という自負がある。その     こと自体は正しいが、大切なことを見落としている。それは「他の民族を祝福するため(3節)に選ばれた」と     いうこと。  私たちも同様である。[Ⅰペテロ2:9]  ②『信仰』によって義と認められた。[6~7節,創世記15:5-6]    ・ユダヤ人は「神はアブラハムに『割礼による契約』を与えた。だから割礼を受けなければ救われない!」と主     張する。しかし実際は、形だけの割礼は行うものの、「他の民族を祝福する使命」を忘れてしまった彼らこそ     『契約違反』を犯している。    ・私たちはアブラハムに倣い、固く『信仰』に立たなければならない。 [ローマ4:18-25]  ③「肉による完成」を求めやすい。[3節]    ・アブラハムにも、私たち同様、弱さによる失敗があった。[創世記16章]    ・私たちは「神の方法・神の時」を待てずに「自分の都合や方法」で事を成就しようとする。しかし神が私たちを     敢えて「待たせたり、試したり」するのは、「主こそ神である」ということを私たちの心に深く刻み付けるため。 ◆アブラハムが『信仰の父』と呼ばれるゆえん [創世記22章] ✯「神様どうして???」 さえも越えて、神に信頼する者となろう!   Outline of the sermon   “Real children of Abraham.”  (26/01/2014) [Galatians 3:1-7]  ◆ 3 points in common between Abraham and us.  ① Chosen to Read more…

(109) “すべての営みには時がある。… 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。”

神を信じ、神を求めつつ歩む人生は、しばしば「受けること」以上に「待つこと」が多い、と言えるかもしれません。そして待ちに待っていたものが与えられる頃には、もう『何か次のもの』を求め始まっているのではないでしょうか?ということは、もし「喜びをもって待つ」ということを知らなければ、相当イライラする人生になりかねませんね。 神様にとっての『ベストタイミング』と、私たちに都合の良い『ベストタイミング』は異なっている場合がほとんどです。神様は私たちにとっての「本当に必要なもの」をご存知で、またそれを「いつ・どうやって」私たちに与えるべきかも知っておられます。ですから、私たちはひたすら「神様は良い方で、私にとっての最善をなさる」と信じて待つべきです。 では、私たちは神様からの応答を待っている間、一体どうしていれば良いのでしょう?答えは「神様に対する『信頼』をひたすら育てる」ということです。私たちは何か新しいものが欲しくなると『今すでに与えられているもの』の価値を見落としがちです。「無いものねだりの心」は喜びを奪います。反対に「今あるものに対する感謝の心」は私たちに失われることのない喜びを与えてくれます。 神様と歩調を合わせ、その時その時神様が与えてくださっているものをじっと見つめて、その真価を見出しながら、「待つことの喜び」を味わう者となりたいものです。