(209) “あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。”

ある人々は、「クリスチャンの人たちはよく『お祈り』をするけど、一体どんな風にお祈りしたらいいの?」 と尋ねます。実のところ、そのような人々は「どう祈ったら良いのか分からない」のではなく、「どうやったら『あの人々のように』祈れるのか分からない」のです。 イエス・キリストは『祈り』に関して教えるとき、「形式や言葉遣いなどにこだわらなくて良い」とおっしゃいました。何故なら、神は私たちの祈る『ことば』に関心があるのではなく、『心』に関心があるからです。その祈りがどれほど口先で上手に表現されていても、その人の心が深く神様につなげられていないなら、その祈りは神の前に価値のないものなのです。 『祈り』はある面『呼吸』のようなものです。私たちは通常ほとんど意識することなく、本能的に『呼吸』をしています。それは私たちのからだが「酸素」なしには一瞬たりとも生きられないからです。すなわち『呼吸』は、「わたしたちが酸素にどれほど依存しているか」をありのまま表現しているのです。 『祈り』も同様です。私たちは何も格好をつけて「自分を信仰的に見せるため」に祈るわけではありません。それは「私たちが神様にどれほど依存しているか」をありのままに表現した、いのちの営みなのです。『祈り』を通して私たちは、今日も生きて働いておられる神様と、親しい関係を保ちながら歩むことができるのです。

2016年4月10日 「イエスとの再会」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「イエスとの再会」      (10/04/2016) ◆福音の中身⑨(最終回) ― 「キリストの再臨」 ・イエスは「また来る(私たちを迎えに来る)」と言われた。[ヨハネ14:1-3] ・イエスの昇天後、天使も念を押した。[使徒1:10-11] ・しかし『その日』がいつなのか、誰も知らない。 ◆『その日』に何が起こるのか? ①顔と顔とを合わせて主イエスと会う [Ⅰコリント13:12] ②『新しい(不死の)からだ』が与えられる ― 真の復活! [Ⅰコリント15:51-54] ◆再臨を待ち望む心 = 愛情の問題[マタイ24:14] ①主イエスに対する愛  ②人々(世界)に対する愛  ― 『再臨』と『宣教』の関係 ・イエスを求める心がなければ、宣教に対する情熱も生まれない。   ・「遅すぎるのでは?」という考え → [Ⅱペテロ3:9, 12-13] *聖書の最後のことば[黙示録22:20-21] ・このことばは「『神』と『この世』とのどちらをより愛しているか」を探るためのバロメーター。   Outline of the sermon        “Reunion with Jesus.”      (10/04/2016) ◆What has God given us with Jesus? ― ⑨(The end of the series.)“Jesus’ second coming.” ・Jesus said Read more…

(208) “人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。”

今日はまず、ちょっと想像力を働かせていただきましょう。暗くて長~い廊下を想像してみてください。その両脇にはいくつものドアがあるんです。それぞれのドアには、その部屋の中で行われている様々な「ためにならない楽しみ」が書かれています。『アルコール中毒』『ニコチン中毒』『麻薬』『ポルノ』『ギャンブル』などなど。各部屋の中からは楽しそうな笑い声や興奮に満ちた叫び声が洩れ聞こえてきます。 これは私たちの人生を現しています。私たちの人生(特に思春期)の道のりには、様々な「ためにならない活動への誘惑」が満ちています。しかもそれらの力は強大で、そこに加わらないことはあたかも「大事なものを受け損ねている愚かなこと」のように思えるのです。「いま自分が歩いている道はあまりにも不確かで、何の楽しみも感じられない。いっそのことどこかの部屋へ飛び込んでしまった方が・・・」 すべての誘惑は、大抵その『恐ろしい実体』を隠しながら、親しみのあるごくありふれた装いをして近づいてきます。「皆やっていることさ。ちょっと試してみるだけなんだから大丈夫。楽しいこと請け合いだよ!」そんな誘いについ心を許して「じゃあ、ちょっとドアを開けて中を覗いてみるだけ。」そのように始まって、そしてズルズルとアリ地獄へ落ちるように堕ち込んで行くのです。 ではどのようにしてこのような誘惑に打ち勝つことができるのでしょう?2つの方法があります。1つ目は「必要な忍耐力を養うこと」です。面白い実験を聞いたことがあります。3~4歳の子供をある部屋に1人にさせ、テーブルに美味しそうなお菓子を1つ置いておきます。子供にはこう言い聞かせておきます。「ここで15分間待っててね。このお菓子を食べてもいいけど、もし食べないで待っていられたら、戻って来た時にもう1つあげるよ。」ある子供は大人が立ち去った後直ちに食べてしまいますが、いろいろと気を紛らわせながら、最後まで待っている子供もいます。そして待つことができ、ご褒美をもらえた子供たちこそ、様々な誘惑に打ち勝つ人生を歩むことができるようになるのです。現代は「欲しいものを何でもすぐに買い与えてしまう時代」です。『恵まれた時代』ということもできますが、ある意味子供たちにとって大変不幸な時代です。『必要な忍耐力』を養いにくい時代だからです。 もう1つの良い方法は「人生の真の醍醐味を若いうちから体験しておくこと」です。我が家の3人の子供たちは、幼い頃から『宣教師の子ども』として発展途上国で暮らしながら「神を愛し、人々を愛して生きることの醍醐味」を実感しつつ育ち、日本へ帰国してから『思春期』を迎えました。当時日本はいわゆる「ファミコン」の真っ盛りの時代で、大変ご親切な知り合いがウチの子供たちにもこの魅力的な遊具を買い与えてくださり、しばらく彼らも「はまって」いました。ところがしばらくするとすぐに飽きてしまって、もっぱら親しい友人たちと外で遊び始めたのです(まあ長男は音楽にはまり、今では教会や高校などで楽器の指導に当たっていますが…)。すなわち『ファミコンの魅力』も、彼らの心に根差していた「より高次の楽しみ」には勝てなかったのです。 神は私たちを「人生の真の醍醐味を味わいながら生きるように」とお造りになりました。自分自身が、そして次世代の子供たちが『目先のお楽しみ』に振り回されることなく、しっかりと高次元の目標に向かって歩んでいけるように最善を尽くしていきたいですね。

2016年4月3日 「新しい人間関係」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「新しい人間関係」      (03/04/2016) *福音の中身⑧ ― 「新しい人間関係」(『神の家族』の1員となる) ◆[エペソ4:1-6] ― 「神の家族」は少なくとも4つのものを共有している   ①同じ父 ・唯一の全能なる創造主  ・ひとり子イエスを私たちのために遣わされた「恵みとまこと」に満ちた神 ・私たちは「よく分からない実体のない存在」ではなく、今日も生きて働いておられる同じ神を礼拝している。 ②同じ価値観 = 『聖書』 [マタイ4:4] ・私たちの行動の基準・善悪の基準は「この世の道徳」ではなく、『聖書』(神のことば)にある。 ・聖書には、「神とはどういう方か?」、また「『神と共に生きる』とはどういうことか?」が書かれている。 ③同じ目標 [Ⅱコリント5:9] ・「神のために」ではなく、「神の笑顔を見るために」生きる。愛されている者だけが真の意味で喜ばせたり 悲しませたりすることができる。神は私たちを「見張っている」のではなく、「注目しておられる」。 ④同じ使命 [イザヤ43:7] ・「神の栄光を現す」とは、私たちの存在・態度・言動を見て、周囲の人々が神を体験すること。 ・これは『私たちの努力』によるのではなく、「キリストを通しての神との親密な関係」 から生まれてくること。 ◆家族は1人1人違っている [ローマ12:4-5] ・1人1人が「自分勝手な道を進むため」ではなく、「互いに補い合って神の栄光を現すため」。[Ⅰペテロ4:10] ・人々は私たちが「自分の益」ではなく『互いの益』のために自分を献げ合っている中に神を見る。[Ⅰヨハネ4:12]    Outline of the sermon        “New relationship.”      (03/04/2016) *What has God given us with Jesus? ― ⑧“New relationship”(A membership of God’s family). Read more…

(207) “機会を十分に生かして用いなさい。”

私がまだ20歳の頃好んで人々に尋ねていた質問があります。それは「もしあなたが『余命3ヶ月』と宣告されたらどうしますか?」 というものでした。特に深い意図は無く、単なる好奇心から出た質問でしたが、返って来る答えはいつも「今と違った生き方をする」というものでした。「持っているものをすべて処分して世界旅行をする」とか、「食べたい物を好きなだけ食べる」、また「ずっと好きだった人に告白する」などなど。しかしたった1人だけ、こう答えた方がいました。「何も変わりはしません。私は今でも1日1日を精一杯生きていますから」。 この女性は、私が通っていた教会で託児所を営んでおられる方でした。こよなく神を愛し、また子供たちを愛していた人でした。毎週日曜日には教会学校で子供たちに神様の愛について教え、そしてある祝日にやはり教会の子供たちをピクニックに連れて行く途中脳溢血で倒れ、そのまま息を引き取られました。まさに死の瞬間まで子供たちを愛し、神に仕えていた人でした。 「豊かな人生を生きる」とは、単に長生きするとか、財産を増やすとか、多くの業績を成し遂げるとかいったものではありません。言わば「次の24時間にどれだけのエネルギーを注いで生きるか」ということだと思います。今日を精一杯生きられない人に、いわゆる「豊かな人生」を生きることはできません。ついダラダラとテレビを観てしまったり、意味も無くパソコンの前に延々と座ってみたり、くだらないおしゃべりに時間を費やしたり・・・ 現代の世の流れは私たちの貴重な時間を奪って行きます。私たちは「より確かな目標」に向かって歩みを進めて行かなければなりません。 あなたをお造りになられた神は、あなたの人生に崇高な目的・計画をお持ちです。イエス・キリストを通してこの神との関係の中に生きることは、あなたが『真に豊かな人生』を歩むための必須事項です。あなたに残された貴重な時間を最大限に生きるために、「神があなたのために抱いておられるご計画」にフォーカスをおいてみませんか?

2016年3月27日 「新しい人格」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「新しい人格」      (27/03/2016) *福音の中身⑦ ― 「新しい人格」 ◆新しく造られる [Ⅱコリント5:17] (「キリストのうちにある」 = 「キリストに結ばれている」) ・私たちは皆生まれつき『ズレ人』。「あるべき状態」へと造り変えられる必要がある。 ・『人間の完成像』 = イエス・キリスト 「新しく造られる」とは、キリストのごとくされて行くこと。[Ⅱコリント5:14-15] ・私たちは、「キリストのかおり」[Ⅱコリント2:15],「キリストを着た者」[ガラテヤ3:27],「キリストのような者」[Ⅰヨハネ4:17] ◆この世のものではない ・私たちのうちに『新しい人格(キリスト性)』が形造られるのを喜ばない悪魔は、「この世の全魅力」を駆使して妨 害してくる。私たちはこの攻撃に自分の力では打ち勝てないが、それらすべてに勝利された方が共におられる。 [Ⅰヨハネ4:4, ルカ4:13] ・悪魔は最終兵器(『死』)をもってイエスを滅ぼしたに見えたが、それは逆に「『死』さえも打ち破られる神の御霊 の力」を見せ付ける機会となった。この「神の御霊」が、今私たちの内に住んでおられる![ローマ8:11] ◆「キリストの十字架と復活」の意味 ・イエスが「十字架上の死」というリスクを犯してまで父なる神のみこころに従われたのは、私たちも彼の足跡に 従って「この世に対して十字架につけられる(悪魔の攻撃を無効にする)」ため。[ガラテヤ6:14] ・キリストを死からよみがえらせた神の偉大な力は、「キリストのために頑張る者」ではなく、「キリストと共に十字 架につけられた者」を通して発揮される。 [ヘブル12:11]    Outline of the sermon        “New identity.”      (27/03/2016) *What has God given us with Jesus? ― ⑦“New identity”. ◆New creation. [ⅡCorinthians 5:17] Read more…

(206) “神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。”

日本ではあまり馴染みはありませんが、この週末は「イースター・ウィークエンド」と呼ばれ、世界中で『イースター』すなわち「イエス・キリストの復活」が祝われます。 ここニュージーランドでは、イースターの時期が来るたびに店頭に並ぶ食べ物が2種類あります。1つは『ホット・クロス・バンズ』と呼ばれるもので、小さな柔らかくて四角いパンの表面に十字架の模様をあしらったものです。まあこれは意味が分かりやすいのですが、もう1種類は『イースター・エッグ』と呼ばれ、もともとは本物の卵が使われていたのですが、今では「卵型のチョコレート」がお店の広いスペースを独占して売られており、さながら日本の「バレンタインデー」のようです(ちなみに、バレンタインデーに女の子が男の子にチョコレートをプレゼントするのは日本くらいです)。 では、「キリストの復活」と「卵」とはどのような関係があるのでしょうか?1つにはやはりそこに『新しいいのち』が象徴されていることでしょう。卵は外側から見ると一見いのちを感じられません(単なる食べ物?)が、実はその中にいのちが宿っていて、時が来るとそのいのちが内側から飛び出してきます。そのようにしてイエスも十字架の死から3日目によみがえられたのです。 もう1つのことは、その『3重構造』にあります。卵が「黄身・白身・殻」の3つの部分からできているように、イエスの遺体も真っ白な「亜麻布」に包まれ、そしてその墓の入り口は堅く重たい岩で閉じられていました。しかし『黄身』の部分にいのちがあって、それがやがてヒヨコになり、まとわりつく『白身』を脱ぎ捨て、堅い殻を破って出てくるように、死からよみがえられたイエスは、まとわりつく亜麻布を脱ぎ捨て、堅く閉じられていた墓を打ち破って出てこられたのです! イエス・キリストは今日も生きておられ、ご自身に信頼し従う者たちを『死に打ち勝ついのち』によって生かしてくださるのです。

2016年3月20日 「信じる者に伴うしるし」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「信じる者に伴うしるし」     (20/03/2016) ◆福音の中身⑥ ― 「信じる者に伴うしるし」(信じる者は「イエスのわざ」を行う、と言われた)[ヨハネ14:12] ・イエスが最も頻繁に行われたことは「病のいやし」[ルカ6:19] ― これはイエスの『メシア性』をも証明。[マタイ8:16-17] ・これはもちろん私たちの能力を超えた、イエスにしかできないみわざ。しかし彼も私たちを必要としておられる。 ◆『病のいやし』の意味   ①「病がいやされること」は、神のみこころである。 ・神のみこころは、私たちが「神との個人的な関係」に招き入れられ、『人間本来の状態』へと回復されること。 病がその人にとってつまずきとなっているなら、神は喜んでいやされる。また『愛の神』は私たちが「不必要 な苦しみ」にさいなまれることを望まれるはずがない。 ②「信じる者に伴うしるし」は、福音宣教と共に働く。 [マルコ16:15-20] ・神の目的は「しるしそのもの」ではなく、人々を「ご自身との個人的な交わり」の中に招き入れること。それ故 イエスは「ご自身のことが大胆に紹介されている場面」で『自己紹介』としてみわざをなさる。 ・私たちが「奇跡的なみわざそのもの」や「手足として用いられる自分自身」に注目してしまうならば、イエスは もはや働くことができない。 ◆『祈り』ではなく、『宣言』 ・聖書の中で、誰かが「いやしのために祈った」という記事はほとんどない。それらはいつも「命令」や「宣言」。 ・私たちの熱心さや費やした時間の長さではなく、「イエスの力や権威」「愛と信仰」をもって、聖霊(キリストの 心)に導かれて、手を置き命じる。祈るなら、それは「手を置いてから」ではなく、その前。[使徒28:8]    Outline of the sermon     “Signs accompany believers.”   (20/03/2016) *What has God given us with Jesus? ― ⑥“Signs accompany those who believe”. ◆Anyone who Read more…

(205) “イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」”

1人の男性がローカル列車の中で、外の景色を凝視しながら「素晴らしい!なんて素晴らしいんだ!」を連発していました。これといって目を留めるほどの眺めがないばかりか、むしろゴミゴミした街並みの中、歩道には投げ捨てられた紙屑が散乱しているような光景しか見当たらないのを見て、隣に座っていた婦人が思わず彼に尋ねました。「一体何を見てそんなに感動しているの?」すると男は答えました。「いや、実は私は生まれてから30年間ずっと盲目だったのですが、多くの方々の資金援助と医学の発達によって『角膜移植手術』を受け、ついに見えるようになったんですよ!ですから、見えるものすべてに感動してしまうのです!」 心が不平不満に覆われてしまうと、せっかく神様が用意してくださっている『美しいもの』さえ見落としてしまいがちです。日常のささいなことの中にも『神の恵み』は満ちています。日々「神様、あなたが私の人生に用意されている祝福の一端を見逃すことの無いように、どうぞ今日も私の目を開いてください」と祈りましょう。

2016年3月13日 「祈りの扉が開かれた!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「祈りの扉が開かれた!」     (13/03/2016) ◆福音の中身⑤ ― 「祈りの扉が開かれた!」 *神はイエスの十字架と復活のみわざによって、私たちのために『祈りの扉』を開かれた! ・誰に向かって祈るのか? ― 天地創造の全能の神。ひとり子さえお与えになった気前の良い愛の神。 ・何によって祈るのか? ― 自分の業績や立派さではなく、義なるイエスの身代わりによって。[ヨハネ16:23-24] ◆『聞かれる祈り』の秘訣 ①信じて祈る [マタイ21:22] ・「何を信じるのか?」 ― 神は善い父であり、不可能は無い。みことばの約束と聖霊の導き。 ②しつこく祈る [ルカ18:1-8] ・「求めなさい」の原意に忠実な訳は、「求め続けなさい」。 ・いつまで祈ればいいの? ― 答えられるまで or 「みこころでない」とはっきり分かるまで。 ③共に祈る [マタイ18:19] ・神はいつも『愛のうちに』働く。 ・『信仰の友』によって霊的に励まされる。   *結局カギは、『信仰』! ◆よくある質問 ◎「こんなこと祈っていいの?」 ― それは「祈る側(私たち)」ではなく、『答える側(神)』が決めること。 ◎「みこころにかなった祈り」(Ⅰヨハネ5:14-15)をするべき? ・確かにその通りではある。しかし「みこころが分かるまで祈らない」よりも、「みこころはよく分からないけど、 とにかく祈る」ことの方が優っている。祈り続けるなら、やがて『みこころ』に近づいてくる。 ✰共に「祈りの答えをたくさん経験する教会」となって行こう!    Outline of the sermon    “Window of prayer is now open!” Read more…