(81) “あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。”

ここクライストチャーチでは、2年半前の大震災以来、そこらじゅうで『道路工事』が絶えません。ところで『工事中』というと、日本の工事現場でしばしば見かける、黄色いヘルメットをかぶったおじさんがペコリとおじぎをしている「ただ今工事中。各方面にご迷惑をおかけしています」という看板を思い出します。 私たちがイエス・キリストを信じて「クリスチャン」として歩み始めると、神の霊が心に働きかけ、私たちは少しずつキリストのごとくに変えられて行きます。いわば『修復工事』が始まるわけです。上記のように、工事中は各方面にご迷惑をおかけして当然です。しかし生真面目な人は時々自力で何とかして工事を終了し、早々と看板を取り払い「完成したふり」をしてしまうことがあります。 あるクリスチャンの夫婦に、待望の始めての赤ん坊が与えられました。結婚前にキャリアウーマンだった奥さんは、何とか『子育て業』をテキパキとこなそうと努力し、完璧なスケジュール表を作りました。「いつも決められた時間に寝かせ、決められた時間に買い物へ出かけ、決められた時間にミルクをやり、昼寝をさせ、そしてご主人の帰宅までに素敵な夕食を準備しておく。」 この見事な計画は、完璧なまでにこなされていくかに見えました。彼女がストレスいっぱいになって爆発するまでは…。やがてその日はやってきました。ある日ご主人が帰宅すると、家の中は散らかり放題。髪の毛を振り乱し、シャワーも浴びることなく、買い物にも行けずに、泣きじゃくる赤ん坊を抱きながら、奥さんは叫びました。「もう、夕食なんか作らないわ!ジャンクフードでも何でも食べてきて頂戴!」 これを見たご主人は、ひざまずいて神をほめたたえ、愛しい妻を優しく抱きしめながら言いました。「やっと『本来のキミ』を取り戻してくれたんだね!」 向上心を持つことは素晴らしいことです。ただ、それが高じて神様の恵みを見失い、「自分の力で成し遂げてやる!」とひとり走りすると、多くの場合燃え尽きてしまうものです。私たちは自分の力で完成するようには造られていません。私たちの造り主なる神の恵みの御手に工事をゆだね、「各方面にご迷惑」をかけ合いながら、1歩1歩成長していけば良いのです。

2013年6月9日 「真の権威に立つ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「真の権威に立つ」     (09/06/2013) [ヨハネ19: 1-11]  ◆血みどろのイエス。[1~2節]   ・ムチ打ちやいばらのトゲで、イエスは血だらけ。しかしその打ち傷の故に私たちは癒された。[Ⅰペテロ2:22-24]   ・何故父なる神は、イエスをこの窮地から救い出さなかったのか?    更に大いなる救いの達成のため。   ・ピラトは「この血みどろのイエスを見れば、ユダヤ人たちの怒りも治まるだろう」と考えたが、甘かった。[4~6節] ◆神への冒涜。[7節]   ・人々がイエスを「死に価する」と言うのは、「自分を『神の子』をするのは、神への冒涜だ」と考えたから。    しかし実際はイエスこそ神の子なのだから、彼らの態度こそ冒涜極まりない。(ローマ兵たちの冒涜:[2~3節])   ・自分の親に向かって「お前なんか俺の親じゃない!」と言うなら、親に対するひどい冒涜。同様に、あなたの罪の身代    わりにひとり子を犠牲にするほどの愛を示された神に対して「アンタなんか神じゃない!」と言うのは、恐るべき冒涜。 ◆『真の権威』   ・ピラトの持つ権威と、イエスの言う権威は根本的に違う。[9~11節] またイエスはこうも言われた。[ヨハネ10:18]   ・『真の権威』に従って生きることは、それが一見自分を不都合な事に至らせようとも、見せかけの権威に従って    得をするより優れている。なぜならその権威を持つ方は、『最善の計画』を持ち、それを成し遂げる方だから。   ・人間関係の内にも、神の権威は働く。(例:「親と子」[エペソ6:1],「夫と妻」[Ⅰコリント11:3])    但し、権威が与えられている者は、「善意」をもって「人を恐れず、神を恐れつつ」それを行使する責任がある。 ◆[Ⅰヨハネ5:5] = ここからズレると、神を冒涜したり、人を恐れたり、神の最善が信じられなくなったりする。 ☆「イエスは神の子である」と宣言し、世にある恐れに立ち向かい、勝利者として生きよう!     Outline of the sermon      “Stand on the true authority.”    (09/06/2013) [John 19: 1-11]  ◆   Jesus was wounded for us. [Verses Read more…