聖書

(102) “草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。”

超大型台風がフィリピンを襲い、多くの尊いいのちが奪われました。本当に心が痛みます。私たちが住むこのクライストチャーチでも多くのフィリピンからの移民の方々が暮らしており、家族の消息を案じています。私たちもできる限りの支援を行っています。 私たちの人生にもしばしば『台風の襲来』のような出来事があります。残念ながら「生涯に1度も試練がなかった」という人には会ったことがありません。ある意味「試練に直面する」という経験は、「生きているからこそ」と言えるのかもしれません。ですから大切なことは「いかにして試練を避けて通るか」ではなく、「どのように人生の嵐に備えるか」ということになります。 ある人々の人生、またクリスチャンとしての信仰生活は『自分の気分」に基づいているかのようです。気分の良い日は「何もかもうまくいく」ような気がしたり、「神様は私を愛しておられる」と感じたり。しかし毎日雨ばかり続いたり、何となく気分の乗らない日は、心がふさいでしまったり、「神様なんていやしない!」などと思ってしまう。 イエス・キリストはある時たとえ話を用いて次のように話されました。「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ています。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れません。ところが、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人のようです。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、ひどい倒れ方をしてしまいます。」 神が与えてくださる人生は、「毎日お天気の楽々人生」ではなく、「台風が押し寄せても倒されることのない、確固たる確信に基づく人生」です。そしてそのような人生は「ただ神様について知っている」ことから来るのではなく、「神のことばを聞いて、それに従って生きる」ことから来るのです。

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2013年11月24日 「まことの割礼」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「まことの割礼」     (24/11/2013) [ガラテヤ 2:1-5]  ◆登場人物紹介   〈バルナバ〉(1節):疑心暗鬼だった弟子たちの中にあって、真っ先にパウロを受け入れた。   〈テトス〉(1節):パウロによって導かれたギリシャ人クリスチャン。割礼なしにリーダーとなった。   〈おもだった人たち〉(2節):エルサレムにいた12使徒や、ヤコブをはじめとするその他のリーダーたち。   〈忍び込んだにせ兄弟たち〉(4節):「信仰による救い」に条件を付け加えようとする人々。 ◆エルサレム再訪[1節]    [使徒15:1-2] ◆『割礼』とは?   ・男性器先端の包皮を切り取ること。アブラハム以来「神と契約を結んだ民」としてのしるし。   ・私たちの『神の民のしるし』は、「自分に信頼する生き方」を切り捨て、キリストのものとされること。[ピリピ3:3] ◆パウロの強調点(たった1つのポイントに、4つの表現を用いている)    ①異邦人の間で宣べている福音 [2節]    ②力を尽くして走っていること [2節]    ③キリスト・イエスにある自由 [4節]    ④福音の真理 [5節]  ⊚すなわち「キリストを通してのみ実現する、神との特別な関係」。[ヨハネ1:12-13]    ・肉と肉が結ばれると『誕生』があるように、「神と人(霊と霊)」が結ばれても新しい『誕生(創造)』がある。    [ガラテヤ6:15] ― この新しい『誕生(創造)』は、キリスト抜きではあり得ない! ✯あなたは新しくされましたか? 新しい価値観で生きてますか? それとも、相変わらず「人間的なもの」を頼みにして生きてますか? Read more…

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聖書

(101) “思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。”

有名な作家であり評論家であるジョージ・バーナード・ショーの遺した言葉に次のようなものがあります。「人々はしばしば自分の置かれている環境に文句を言うが、私は環境などに支配されはしない。人生の成功者たちは皆、逆境の中で奮起し、そこに新たな環境を造り出す人なのだから。」 あなたがもし農場で働くとしたら、重要なのは「どのような土地であるか」以上に、「何の種を蒔くか」に違いありません。どんなに立派な土地でも、誤った種を蒔くならば、望んだ収穫は得られないのです。ましてやあなたの人生のフィールドにどんな種を蒔くかは、あなたの志し次第です。「不安や恐れの種」、「不純な志や自己中心の種」を蒔くなら、必ずその結果を刈り取ります。しかし、「平安や喜びの種」、「愛と思いやりに満ちた優しさの種」を蒔くなら、やはりそれに見合った収穫を刈り取るのです。 祝福された人生のカギは、何か特別な場所やイベントの中にころがっているのではありません。むしろあなたの平凡な日常生活の中に隠されているのです。祈り深く聖書を読み、その日に出会う1人1人に仕える心を保ちながら生きるとき、あなたはそれらのカギを見出すことができます。ある時はそれは「落ち込んでいる人を励ますこと」かもしれないし、またある時は「一見自分には大きすぎるような課題に挑戦すること」かもしれません。お返しできないような人に敢えて施すとき、神はあなたのその手のわざを見ておられます。そしてそれは神が私たちのために用意しておられる『祝福の大倉庫』のカギを開くのです。

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2013年11月17日 「新しい価値観に生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「新しい価値観に生きる」    (17/11/2013) [ガラテヤ 1:18-24]    *『ペテロ』(ギリシャ語:『岩』) = 『ケパ』(アラム語) イエスもペテロをそう呼んだ。[ヨハネ1:42] ◆ここでパウロが述べている2つのこと   ①自分が『エルサレム教会』の影響をあまり受けていないこと [18~19節]     ・エルサレムから発信される福音は、昔ながらのユダヤ文化の影響を強く受けていた。     ・パウロは、全く新しい「キリストにある文化・価値観」の重要性を強調した。[Ⅱコリント5:17]     ・私たちも「日本の伝統的思考パターン」に多大な影響を受けている。(そのいくつかは「非聖書的」)       (例)「出るくいは打たれる」 「人に迷惑をかけないように」 「妻は家でおとなしく」 「救いは行いによる」 「進化論」     ・聖書(神のことば)に根差した、新しい価値観の上に建て上げられることが必要。[コロサイ2:6-8]   《JCF 5つの目当て》    1.私たちは神様の子どもです。天地を造られた神に無条件に愛されています。    2.私たちは神の傑作であり、1人1人が「神のかたち」を心に宿しています。    3.私たちが不完全なのは、その弱さのうちに神の恵みと力が現されるためです。    4.私たちの「良い行い」は、救いの『結果』であって『条件』ではありません。    5.私たちは1人で生きるのではなく、父なる神や主にある兄弟・姉妹の助けが必要です。  ②自分の行いが讃えられるのではなく、自分に変化をもたらしておられる神こそあがめられるべき [23~24節]    ・神のわざは「私たちのしていること」ではなく、「私たちに起こっている変化」にこそ現される。 ⊚キリストを求め、キリストにある新しい土台の上に築き上げられましょう!   Outline of the sermon    “Live Read more…

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聖書

(100) “あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。”

皆さんは『愛』という言葉を聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?恐らく多くの方々は「男女間の愛」を思い浮かべるのではないでしょうか?または「親子の愛」「人間愛」、そしてまた「愛は地球を救う」などの標語まで思い浮かべる方もいるかもしれませんね。どちらにしてもそこに共通している概念は「何か崇高で温かいもの」ではないかと思います。 もしかするとある方々は「私はそんな立派な人間ではないから・・・」とか、「愛とか恋とか、そんな乙女チックなことばかり求めていたら食っていけない」などと言って『愛すること』を敬遠しようとしておられるかもしれません。しかし実際は『愛する』ということは、「夢を追うようなこと」でも「非日常的なもの」でもありません。もし『愛する』ということをもっと分かりやすい日常的な言葉に言い換えるとすれば、それは「相手のためにちょっとだけ損をすること」なのです。 現代の私たちの生活は、100年前に比べれば格段に『便利』になりました。ところが「便利になったのならさぞかし暮らしにゆとりができたはずでは?」と問うてみるなら、決してそうではないことは歴然です。『便利さ』は更なる能率性を追求させ、現代人の生活は忙しさに追われ、「自分のことで精一杯」の人間を生み出し続けています。ご存知でしたか?『忙しい』の『忙』の文字は「心が亡びる」ということを意味しているのです。 神は私たちを「互いに愛し合う」ようにデザインなさいました。自分のことばかりにかまけていると「心が亡びる」ようにお造りになられたのです。実際、道端で助けを求めている人にちょっとだけ手を貸すのに、5分もかかりません。けれどもそのたった5分を他の人のために用いるだけで、私たちの心は息を吹き返すのです。 私たちは今日までどれほどの「心を亡びから免れさせるチャンス」を逸して来たことでしょう。でもガッカリしなくても大丈夫。今日から始めれば良いのです。神様はいつでも「愛する機会」をくださっています。もし私たちが『目を覚まして』歩んでいるのなら・・・。そしてイエス・キリストはこう言われました。「あなたがこれらの人々にしたのは、わたしにしたのです。」

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2013年11月10日 「自分ではなく、キリスト」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「自分ではなく、キリスト」    (10/11/2013) [ガラテヤ 1:11-17]    *ここからしばらくパウロは、自分の証をしながら「何故自分ではなくキリストなのか」を語っている。 ◆私たちは主のもの [13節]    ・『神の教会』    「パウロの回心の証」[使徒9:1-9] イエスは「わたしを迫害している」と言われた。    ・私たちは2つの理由で「主のもの」。[詩100:3,イザヤ43:1]    しかし実際はそれ以上の存在! ◆恵みによって召された   ・パウロは断食していた3日間(使徒9:9)何を考えていたのか?     「人生をかけていたことが間違っていた!人を死に追いやることさえした!」(特に男性にとっては死活問題)     『生きるにふさわしくない自分』に気付いたとき、真の意味で『キリストの恵み』が分かった。   ・[14~16節]「生まれたときから選び分け、恵みをもって召してくださった方」      だからこそパウロは、「神の恵みによる招き」に対して、その『恵み』を拒み「自分の力でその資格を      主張しようとする姿勢」に陥ろうとしているガラテヤ人に対して、激しく抵抗している。 ◆「理にかなう神」ではない!   ・パウロは人一倍ユダヤ教に精通していた(14節)のだから、ユダヤ人宣教に召されてしかるべき。    神はこの世でいう『Logical』な方ではない!「理にかなったこと」ではなく、「みこころにかなったこと」をなさる。   ・「何をして生きるか」は重要ではない!何をしていても(愚かに見えても)キリストが輝き出ていることが重要。 ⊚私たちの人生は「神の恵みによる選び(召し)」に対する「信仰による応答」である!     Outline of the sermon    “It’s no longer me, but Christ.” Read more…

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聖書

(99) “行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。”

私の知り合いの牧師が、「ぜひキリスト教のお話しをしてください」と幼稚園に招かれました。彼は幼い子供たちにも分かりやすく、単純明快に『キリスト教における救い』を伝えようと、子どもたちの前で次のように言いました。「イエス・キリストを救い主と信じるだけで、天国へ行けるんですよ~。」 すると、後ろのほうに座っていた年長の男の子が大声で応えました。「そんなウマい話があるもんか!」 笑い話のように聞こえますが、実際「『救い』というものは、そうやすやすと手に入るものではない。 厳しい修行が必要なはずだ。」というのが、大方の人々の考えのようです。しかしこの考えは2つの点で問題があります。 1つ目は、「どんなに頑張っても、誰もカンペキにはなれない」ということです。これは誰もが認めるところでしょう。立派な人になりたい、と頑張れば頑張るほど、自分がイメージする「立派な人」には到底手が届かないことを思い知らされ、多くの人はうつ病になったり、罪責感にさいなまれたり、悪くすれば自殺に至ったりもします。 2つ目は、誰かが仮によく頑張った末、自分が目指していたゴールにかなり近いレベルまで達することができたとします。そのような人はつい『高慢』に陥ります。そしてそれができない多くの人に対し優越感を感じたり、見下したりするのです。 面白いことに、聖書は「悪魔が私たち人間を神から引き離す常套手段は、『罪責感』と『高慢』である」と教えています。『罪責感』は私たちに「自分はこんなにダメな人間だから、神様が愛してくださるはずはない」と思わせますし、『高慢』は私たちに「お前にはどんなことだってできるのだから、神様なんか必要ない。そんなのは弱い人間だけがすることだ」とささやきます。悪魔にマンマと騙されている人はいませんか? 「信じるだけで救われる」というのは、『ウマい話』に聞こえるかもしれませんが、これは「救いはタダである」という意味ではありません。私たちの側で払う犠牲はありませんが、神様の側では大きな大きな犠牲が払われたのです。それは、ひとり子イエス・キリストのいのちです。私たちの側で努力をして「救いを勝ち取ろう」とすることは、この『神が払われた犠牲』の価値を認めまいとする行為なのです。救われるために必要なのは、「神様、あなたがそれほどの犠牲まで払って私を救おうとしてくださったことを、心から感謝します」と言う、素直でへりくだった信仰だけなのです。

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2013年11月3日 「キリストの恵み」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストの恵み」    (03/11/2013) [ガラテヤ 1:6-10]  ◆書き出しのことば:『驚いています(サウマゾー)』[6節] = 「驚きあきれかえる」    ・『ほかの福音』:後で詳しく出てくるが、要するに「律法を守ること(行い)による救い」のこと。 ◆注目すべき2つのポイント   ①私たちの罪は、神の前に、自分では償いようがない    ・私たちの罪は『行い』ではなく、創造主である神に対する『不遜・不信仰』であり、その顕著な現れは     「自己中心や高慢」。行いによって救われようとすることは、これらの『罪』を助長する。    ・悪魔はいつも私たちの思いを『神』から引き離し、『自分自身』に向けさせようとする。    [8節]   ②神はただ『キリストの代償』の故に私たちを受け入れてくださる [6節]    [Ⅱコリント13:13]の真意    ・『恵み』は十字架のわざによって明らかにされ、キリストの許に来る者にのみ有効となる。[ガラテヤ3:1]    ・イエスの懇願[マルコ14:36]を、父なる神は私たちに対する愛の故に拒んだ。    ・神の目的は「私たちの救い」だけではなく、すべての造られたものがキリストに注目し、『神の御姿の     正しいイメージ』をつかむこと。[コロサイ2:9](それは「動植物」や「コワいおじさん」などではない!) ◆見習うべきパウロの態度 [10節]   ・パウロこそ、かつては「律法(行い)による救い」を切に追求していた人だった。[ピリピ3:4-8] 「神が『身を裂かれる思い』でひとり子を十字架におかけになった」、この驚くべき愛のわざを 「律法を行うことによる自己満足」 などに決して置き換えてはならない!     Outline of the Read more…

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